夢的文字書き10年+α録【短編作】

本当に徹頭徹尾、なんの修正も入れていない発表当時の文章です。たまにコピペミスってるかも。
2006年のをちらっとでも読んでから2015〜2017年辺りを読んでみた時に何となく成長してるといいですね。

作成or発表年月日 原作人物名/夢主簡易表記

2006/09/10 ダイゴ(ポケモン)/道場師範代主 2250字
2007/03/17 ディーノ/現代日本高校生主 2899字
2008/07/02 西東天/吸血鬼主/吸血鬼パロ 2904字
2009/08/25 池沢佳主馬/年上女子高生主 1733字
2010/07/30 ユーゴ(緋色欠片)/幼馴染幼女主 2692字
2011/08/19 ネフィリム/紀元前成人主 4411字
2012/05/13 ダークリンク/剣士主/全員死亡 4378字
2013/05/11 魔王軍(はたまお)/魔王軍所属主 8604字
2014/02/20 シーク/闇の眷属主 2359字
2015/08/27 モーファ(時オカ)/カカリコ村一般人主 2960字
2016/08/23 轟焦凍/同学年人魚主 6390字
2017/07/04 爆豪勝己/同学年経営科主 6717字

2006/09/10
ダイゴ(ポケモン)/道場師範代主 2250字




昼頃のとある街のある道場のような所から、話は始まる。






チャンピオンな彼奴






「はい!今から休憩はいります!」

道場内に、子供や若い女の人、高齢の人など様々な年齢層の人たちの「ありがとうございました!」という声が響きわたる。
此処は、ポケモン道場兼人間道場なのである。ポケモンを鍛えながら己も強くなる為に設立された。

イナミ先生!」
「んー?」

子供が呼んだ『イナミ先生』というのは道場の師範代である女性のこと。彼女の瞳は赤褐色で、茶色のクセのある髪の毛は今は後ろで縛られていて、師範着にかかっている。

「入口でイナミ先生のこと呼んでる人が居るよ」
「えっ、あ、そう?ありがと、カズキ。みんなと昼御飯食べてきな」
「うん!」

弟子のカズキから伝言を受けたイナミは、少々の駆け足で入口に立っている人影に近づいてゆく。

「や、イナミ

人影は手を挙げて挨拶をする。

「ダイゴ。どーしたの?今日はお休みだったっけ?」

『ダイゴ』と呼ばれた人物は軽く肯き、イナミの頭を撫でながら話す。

「四天王の彼らが『絶対通させませんから今日は休んでもイイですよ』って、言ってくれたから」
「へーそうなんだ。良い人達だね」

ダイゴが「そうだね」って言ってお互いに笑っていると、道場の中から「イナミ先生一緒に食べよー!」とまた元気にカズキの声がする。

「ダイゴも食べてく?子供達、アンタが居るとすっごく喜ぶんだけど」
「でも、ボクお弁当持ってないよ?」

そんな心配をするダイゴをおいて私は更衣室に向かった。

「……えっと、私のロッカー、ロッカーはっと」

カドマキイナミ】という表札を見つけて鍵を差し込んで回すと、カチリと開く。中には着替えと鞄と重箱のような物を包んだ縦長の風呂敷。ソレを掴んでまた戻る。
まだダイゴは待っていてくれた。

「……今日、来るかなって期待して多めに作ったんだけど、食べる?」
「……いいの?」
「『いいの?』って毎度食べてるでしょうに」
「だってソレは約束してたときだったから……」
「そ・れ・で、食べるの食べないの?」

強く訊いて弁当箱を持っていこうとすると、「あ、食べる食べる」なーんて焦りながらの返事。これでトレーナー登録の所には
『結局ボクが一番すごくて強いんだよね』
なんて書いてるんだから一発殴りたい気分にもなる。

カズキ達と合流して、昼食をとっているときにダイゴがおにぎりを食べながら言ってきた。

「此処も結構繁盛してるねー」
「この道場のこと?」

そう、と言いつつ今度は箸を持って出汁巻きを頬張る。

「まー近頃物騒だからねー。女の人に勝負挑んで自分が勝っても負けても強姦しようとする奴もいるし、護身術用の道場も少ないからねー。護ってくれるポケモンがいるからさ。其の点、この道場だとパートナーと一緒に己を鍛えられるからね」
「そーだねー。珍しいよね、ポケモン道場兼人間道場なんてさ」
「それでも必要、デショ?」

笑って訊くと、確かにね、ってダイゴも笑みを濃くする。

「でも、イナミが強くなったら僕は必要なくなるかな?」

朝から作った焼そば入り餃子を口元に運びながら隣のヤツの頭を少し小突いた。何、気弱なことを言っているのか。

「ふぁーか、あんらこれいりょうつよくなりゃないつもり?」(バーカ、アンタこれ以上強くならないつもり?)

多少(いや、かなり)不明瞭な台詞ではあったが、伝えたかった相手は虚を突かれたように揚げ餃子を口から半分出した状態で固まって、一秒か二秒ぐらいたった後に急いで食べて、まさか、と言って笑った。

必要じゃないはず、無いでしょ。

気付いてないかも知れないけど、ダイゴの其の笑顔が私の動力源なんだから。

守って欲しくない、何て言わないけど、君の笑顔を護るためだったら私なんだって出来る。君の身を守ること、自分を守ること、この街を守ること、沢山の平和を君にあげる。



君が傷ついて其の笑顔が消えないように

私が泣いて君の笑顔が歪まないように

この街が荒れて貴方の笑顔が遠い物にならないように



馬鹿かも知れないけれど、私はあの時誓ったんだ。

15歳のあの時、木の上から落ちてきた弱そうな君に初めて会ったときから、貴方を守りたいって思った。
其れは君が強くなっても関係ない。

人間は一人じゃ笑うことも出来ないから。





「ねぇ、ダイゴ」

彼がコッチを向く。

「私、貴方とずっといたい」

だから、と続けて口元が笑む。

「これからも、側にいさせて?」

そう言ったら、ダイゴが真っ赤な顔で抱きついてきた。ちょ、此処道場だよ!?他の人達見てるよ!

慌てふためいていたら、耳元で微かに音がした。震えた声。

ありがとう、勿論お願いするよ、って。しかもお次は

「結婚しようか」

なーんてムードの欠片も何もない所で言ってきて、返事を返す間もなしに額にキス。わ、私いま汗くさいからそーゆうこと止めて欲しかったのに!
額を押さえていたら、目の前の人物が首を傾げながら返答を強請って来やがった。大の大人のやる仕草じゃない……。
小さく首をしたに振ったら、周りから拍手が起きる。あぁ、恥ずかしい!でも、ダイゴは笑ってるから私もつられて笑う。

どんなにトレーナー登録所で変なこといってても、お弁当のことで慌てても、気弱なこと言ってても、私は君にいろんな意味で勝てないから、やっぱり私のチャンピオンは君しかいなくて、これからも君しかいない。




大好きな人と一緒に笑う昼下がり



(そういえば、いま気付いたんだけど、私のあの台詞ってプロポーズみたいだね)
(え、イナミってそういう意味で言ったんじゃなかったの?)
(……いちおう)
(……ま、いっかな)

2007/05/16
ディーノ/現代日本高校生主 2899字




受験。

キツいもの。

合格。

嬉しいもの。

ディーノさん。

今一番逢いたい人。






紡いでください。貴方が。






いち、がつ。受験シーズン真っ直中。冬も冬もいいところ。極寒の地で私たち中学三年生は戦争を繰り広げている。いや、国内のことだから紛争かな?まぁいいや。そんなこと試験に出ないだろうし。ちらりと携帯電話を眺めてみて、ついつい手に取ろうとしてしまう。ついつい、あの人の声が聴きたくなる。すっごい大好きなあの人の声。わたしの(親には内緒だけど)恋人のディーノさん。……。だめだめ。後期選抜が終わる二月二十二日までの我慢!今は……一月二十六日。あと一月弱。今日はみんなは前期選抜に行ったりして大忙しだったらしい。私は、諸事情で受けなかったけど、その分、後期用に勉強できるから、頑張らなくっちゃ!携帯電話を充電機ごと机の下に置いて見えないようにしてから、カリカリと問題を解いていく。






……過去問おわったぁ……っ。と、もう零時かぁ。寝なきゃなぁ。ケータイを確認すると画面の真ん中に出てきていた[お知らせ]に<新着Eメール一件>と出ていた。私は急いでそれを押してメール制限用にパスワードを入力してメールボックスを開いた其処には、差出人のところには、ディーノ、とでていた。頬が紅潮したのがわかる。メールを選択して、開いてみる。




[ディーノ]
[ひさしぶりだな!]

勉強、どうだ?
オレは受験ってやったことねーからわかんないんだけどよ、知り合いの奴曰く、やっぱり大変らしいな。
オレはちょっと野暮用でイタリアに帰るけど、また二月の終わり頃に帰ってくるから。
身体こわさずに頑張れよ。
あと、いつでも電話かけてきていいからな!




やばい。嬉しすぎる。え、なんかも、これだけですごい頑張れる。友達の応援メールも勿論すごく元気もらうけど、ディーノさんからもらうあったかさはなんかモノがちがうかんじがする……。うれし……っ。よし、あしたもがんばろ!






二月二日。前期選抜の合格発表の日。今日は、学校は臨時に休み。みんなが前期の合格発表見に行くから。あー、みんな受かってますよーに。天に合掌。



私たち後期組や私立組は自宅学習だったので、大人しく問題を解いていた。ら、友達からは続々と[合格したよメール]が届いてくる。よかったぁ……。私も公立に受かんなきゃ。私立とかって学費すごいらしいしね……。三年間合計学費の私立と公立の差額で車一台以上買える、って噂あるし……。おそろしい……。さて、もうひとふんばりしますか!






二月二十二日。……試験、しゅう、りょう。終わった……。いや、正確にはまだ終わってないけど……。でも十分手応えあるし、イイかんじ!あとは三月一日の合格発表を待つばかり!






二月二十八日。今日は卒業遠足でネズミとファンタジーの王国にきています!友達二人と回りながらチュロスとかワッフルとかお菓子巡り中。うぅ……でも明日の結果が気になる……。






運命の三月一日。受験票を握りしめたくなるぐらいなんだか心臓バクバク。今日は学校に一旦集まってから合格発表を見に行く。一時間だけの学校。友達とかに背中押されて、私は電車に飛び乗った。



……受験票を受付に出すと、封筒を渡される。他の受験生からちょっと離れた壁際でこっそり開封。中にあった紙をスルスル出していくと、其処には、三文字ではなく、漢字二文字が印刷されていた。思わず、名前欄のところに自分の名前が書いてあるか確認してしまったり、『合格』は『ごうかく』って読むんだよね、って思ったり。ホントにちょっとバカなことをやってしまった。受付に行って封筒の中身と受験票を出すと、今度は入学用の書類が渡された。事務のおばさんに、おめでとうございます、と言われて嬉しくなった。入学用書類に不備がないことを確認して、私は学校の門を出た。足取りが、来たときよりもずっと、ずぅっと、かるい。ケータイを取り出して、親にメール。学校に電話。友達に一通りメール。そんで、あの人に、でんわ。

TRLLLLLL
TRLLLLLL
TRLLL...

「あ、ディーノさん?うん。あのね、今日、公立高校の合格発表だったんだ。え?結果?……どっちだと思う?……即答だね。ん、あったり。えへへ、ありがとー」

久しぶりの貴方の声。低音みたいな少年みたいな、声。耳から、熱が広がる。末端冷え性なのに、ケータイを持つ手が汗ばむ。アスファルトを踏みつけながら、私は駅の方に歩いていく。駅までこの道は近道。あんまり誰も何も通らない道。そういえば、貴方とこの道を一回だけ歩いたりしたね。私の志望校を紹介したときの帰りに。ねぇ、いま、あなたはどこにいますか?

「みつけた」
『みつけた』

ケータイから流れてくる音声と、後ろからなげかけられた声が、微かにズレながら、重なった。後ろを振り向く前に後ろをとられて、抱きすくめられる。ちょうど、私の頭が貴方の胸の位置で、心臓のリズムが、響いてくる。私の身体全体に。くる、来る、クル、クる。非常にこれは頭がショートする。肩に回された腕に指をかける。でぃ、の、さん。でぃいのさん。でぃのさん。

「……ディ、ノ……」
「……逢いたかったぜ」
「――――っ」

指に力が入る。頬が一筋冷たくなる。喉で音が絡まって声がでなくなる。嬉しすぎて身体がふるえる。足下がおぼつかなくなる。ぎゅ、と掴むと、ぎゃ、と抱き返されて、もっと、ぎゅう、とすると、もっともっと、ぎゅうっ、とされた。逢いたかった逢いに走りたかった逢いに来てほしかったふれたかったふれられたかった抱きつきたかった抱きしめたかった抱きしめられたかった哀しかった淋しかったメール嬉しかった―――名前を、貴方の声で呼んでほしかった。


華夜って


よんでほしい。


だいすきでだいすきな、貴方に。


かや

頬が幾筋にもつめたくなる。涙があふれて、止めどなく、やまない。背中から伝わる体温があたたかくて、あたたかすぎて、うれしくなる。固められていた肩が解放され、身体は回れ右をされて、今度は頭と背中でホールドオン。心音が、より、もっともっと、近くなる。

「……ヤバい」

頭上で声がする。ヤバい?何が?上を見上げると、ディーノさんが恥ずかしそうに笑った。

「やっぱオレ、華夜のことすっげぇ好き」

………………。………………。はず、い、ことを。う、うれしいけど。ね。うん。ぎゅ、と彼の背中に腕を回すと、抱きしめ返される。よし、言うなら今だ、言え!頑張れ私!恥ずかしさで伏せていた顔をまた上げて、私は頑張った。

「ディーノさん、私はディーノさんのこと愛してますよ」

そう言うと、ディーノさんはみるみるうちに赤くなって、ん、オレも華夜のこと愛してる、って言ってくれた。お互いに抱きしめあっていると、コートに入ってるケータイが震えたのを感じた。開いてみると、母からメールが。合格おめでと!実はあんたが内緒にしてたみたいだから言わなかったけど、あんた彼氏いるでしょ。今度紹介しなさいね。だって。ディーノさんに見せると、彼は笑って肯いた。さぁ、帰ろうか。




父さん

母さん

この人が私の恋人です

ディーノさんは

呼んでくれるんです

低音みたいな少年みたいな声で





私の名前を。

2008/04/24
西東天/吸血鬼主/吸血鬼パロ 2904字




※夢主×西東さん×夢主の吸血鬼パロ
※夢主(♀)が吸血鬼







存在を破壊し

完全を略奪し

現在を終焉へ誘おう







First kiss







北欧に彼女は存在した。
ヴラドーの血脈を持ち、闇を従え、とある森に彼女の城は建っている。馬が嘶き蝙蝠は囀ずり蜘蛛が舞う。そんなところで、彼女は歴史が移り変わっていくのをただ傍観していた。







あらゆる場所に彼は存在した。
季節に拘わらず真白のコートを纏い、不気味な狐の仮面を被る流浪人。彼の本名を知るものはおらず、人々は彼の仮面をなぞり≪フォックス≫と、畏怖を込めてそう呼んだ。







これは、そんな彼女とそんな彼の、物語







呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息が出来ない。あ、あ、っう、……ぁぐ。声がマトモに出なくて情けない。嗚呼、もう何年だ。何年生きた?もう何年人間の血を啜っていない?首に爪を立てて荒ぐ呼吸を無理矢理整える。人間、人間、人間、彼奴らの血が欲しい。あらゆる生物の血の中で我ら吸血鬼と合う血を持つのは人間だ。人間一人の血で何年、何十年、どれだけ生きられるかどうかわからない。それでも私は……ヴラドーの血を絶やすと決めたのだ。…………誰かが、森に、入ってきた、か。よろめく足を無理矢理立たせて、城門に向かう。門の外には人間らしきものがいた。白い外套に狐の仮面。

「何者だ」

勿論、知らない訳じゃない。ただ扮装が白い外套・狐の仮面なだけかもしれない。荒れる呼吸を抑えて簡潔に訊ねた。奴は、ゆらり、と仮面を微かにずらし口許だけ露にした。

「名乗る名はない」
「……≪フォックス≫と呼ばれている者か」
「そう呼ぶ奴もいる」

嗚呼嗚呼嗚呼、人間だ。血の一滴も残らず喰らい尽くしてしまいたい。

「何ゆえ此処に来た」

顕れたままの口許が、歪む。よくぞ訊いてくれた、と言わんばかりにしっかりと。

「不老不死に成るため、ヴァンパイアを探しにな」

此奴もか。本当に人間というものは代わり映えがない。

「不老不死を何故望む」
「世界の終わりをみるためだ」

頭が可笑しいのか、此奴。

「……取り敢えず、ヴラドーの血脈は途絶えた。無駄足だったな」

言外に、帰れ、とそう言って背を向ければ門が、がしゃん、と揺らし鳴らされた。

「もう陽が落ちた。俺は見ての通り何か出来る訳じゃないからな。獣に襲われたら大変だろう?」

いっそのこと襲われてしまえ。あぁ、けれどもこの森の獣が人間の味を覚えてしまったら酷く面倒なことになるだろう。下手を打てば私の居場所がなくなるかもしれん。私は振り返って門を掴む≪フォックス≫の手を追い払って錠を上げた。

「食い物も尽きたからな、数日いさせてもらうぜ」

さっさと帰って欲しかったが、これ以上人間の匂いを嗅いでいるとこちらの頭が可笑しくなってしまいそうで、背を向けて力なく頷いた。

「ただし、日中は城の中を歩いてもいいが日没後に不用意に部屋から出歩いたら、命の保証はしない」

私が喰うかもしれない。闇にのまれるかもしれない。そして、また独りの時を何十年と味わうのだ。≪フォックス≫は、何も言わなかった。了承を、しなかった。







平穏な日が過ぎた。ベッドに横たわりながら、息を整える。あの≪フォックス≫が闇にのまれた様子は全くもってない。早く、早く、出ていけ。人間の匂いが城にうつる。ドアの方に身体を向け腕を伸ばして、つ、とドアに紋様でも描くかのように空中で指を動かした。≪フォックス≫が入ってこないように、結界だけは張っておかないとな。力の入らなくなってきた腕を落とし、窓の外を見た。夜が深い。段々、日没直後に起きれなく、なってきたな。弱体化しているならそれも良しだ。眠るように、死ねるのだから。そして私はまた瞼を落とした。







……………………っ。羽根、が、熱い。白いシーツに爪を立てながら四つん這いになり、荒れる息を抑えていた。≪フォックス≫の、匂いのせ、いか……っ。変な音しか出てこない喉を潰していたら、がちゃり、と音、が、した。

「貴様……っ」

近くの燭台を引っ掴み、思い切り投げた。立てる蝋燭がなかったのは、幸いだっただろうか。

「危ねぇな」

ガチャン、と燭台は≪フォックス≫を刺さずに床に落ちる。い、きが、つらい。視力、が、落ち、て、きたな。

「消えろ」
「そうはいかねぇよ」

カツンカツン、と≪フォックス≫が近付いてくる。来るな、来るな、来るな来るな来るな来るな!

「近、寄るな!」

花が生けられていない花瓶を掴み、投げようとすれば、投げる前に落ちた。握力もか……っ。荒ぐ呼吸音が耳障りだ。次第に≪フォックス≫は近付いてきて、私を、押し倒した。

「退け……っ!」

身を幾ら捩っても腕を動かそうとしても、びくともしない。人間、ごときに、勝てないなんて。

「ヴァンパイア、だな」

羽根が、熱くて、いたい。≪フォックス≫は、羽根を眺めながらそう言った。

「それが如何かしたか。見世物小屋にでも売るか?私の血を抜いて不老不死となるか?」

私は、はっ、と笑う。

「ヴラドーの血にそんな作用は、一切無い」

≪フォックス≫は、仮面を完璧に外して、笑った。世界にこれ以上無いぐらい、美しくその眼を、その唇を、歪ました。

「お前、血がのみたいんだよな」

ぞわり、と恐怖が背中をつたった。妖艶すぎだ。此奴は本当に、人間か?

「ならこれは取引だ」

≪フォックス≫は私の首筋に口付ける。

「お前は俺の血をのみ、俺をヴァンパイアにしろ」

首元から上げたその顔は、私を挑発していた。

「……狂ってる」
「Tokigt?そんなもん、城に招き入れたときから解ってただろ?」

嗚呼、確かに、その通りだ。私は解っている。この男が狂っていることを。生まれ、そして、死ぬまで。

「死にたいのか」
「『死にたいのか』。ふん。死ぬ気なんかこれっぽっちもねぇよ」

お前だって殺す気なんか無いんだろ、と。

「お前に……何がわかる……」
「『何がわかる』。ふん。わかんねぇよ。ただお前が殺した奴らの墓を立てるお人好しだってことはわかるぜ」
「……っ」

見られたのか、あの墓地を。畜生。彼処にも結界を張っておくべきだった。

「不老不死になりゃ俺は世界の最後を見られる。まぁ、その間なら、血を分けてやってもいい」

お前は俺の血を、俺はお前の血を、のめば半永久的に生きられる、と、頭が可笑しくなっている人間にしか辿り着かない思考を話しやがった。そんなに、不老不死がお望みか。なら、やってやろう。自由に動く足を懐に潜り込ませ、≪フォックス≫の胸を無造作に蹴り、そのまま向こうに押し倒した。

「いいか」

顔の横に手をつき、荒ぐ呼吸を抑えて言葉を紡ぐ。

「痛みに意識を持っていかれるな。持っていかれたら最後、私はお前を喰らい尽くす」

餓えた獣。

「悲鳴を、上げろ。力の限り」

≪フォックス≫は不敵に笑み、私は、露になったその首筋に、牙を立てた。







「タカシ、貴様は馬鹿か」

陽に当たって火傷を負うなど愚の骨頂。

「……うるせぇ」
「どうやらヴラドーの血脈を担ったという覚悟が足りないようだな」

ぎし、とベッド際に座れば腕を引かれキスをされる。

「まぁ、最初のキスを奪われたからな、最後のキスもお前に奪ってもらわなければ困る」

さらり、と短い髪の毛を撫でて、深く、口付けた。







君の永えの刻を

私は奪おう

2009/08/25
池沢佳主馬/年上女子高生主 1733字




長野から家に帰ってきて、荷ほどきしながらNPCの充電をして、デスクトップの電源をつけた。

いつものようにOZの中を漂ってたら、携帯が震える。

誰だろう、と思ってメールを開けたのと同時にログアウト。

チャレンジ受けてなくて本当によかった。

携帯電話引っ掴んで、部屋を飛び出す。

玄関まで走ってサンダルに足を突っ込んで飛び出した。







「今、出てこれる?」







急いで走ってたら、サンダルが砂利を巻き込んで、痛い。でも、蔡茶が呼んでる。俺を呼んでるから、俺は走らなきゃ。不思議と道は切れかけの外灯でも明るかった。月は、満月。




公園についた。入り口にある黄色い車両進入禁止の柵を飛び越えて、ブランコまで走れば蔡茶がキィコキィコと足を揺らして座ってる。俺も隣のブランコに足を進めて座った。隣のブランコが長い弧を描き始める。ギィギィ悲鳴をあげるブランコに構わず、最高点で蔡茶は飛ぶ。ブランコの柵を飛び越えて、難なく着地した蔡茶は振り向いた。

「おかえり」
「……ただいま」

暴走ブランコなんて見ずに、蔡茶は俺に近付いてきて、額に違う温度。

「それと、お疲れさま」

さらり、と頭を撫でられる。

「え?」

思わず見上げれば蔡茶は笑ってた。……可愛い。

「あの戦い、見てたから」

両手で俺の座るブランコの鎖二本ともを持ちながら見下ろす蔡茶の眼の、感情が読めない。怒ってる?苦しんでる?泣いて、る?

「……見てたの」
「うん。果たし状からは、仮アバターだったけどね」

瞬間、血の気が引いた。

「そう、実は私のアバターも奪われちゃってたんだ」

ラブマシーンは、最終的にOZアカウントの約四割を奪った。あの怪物の中に、蔡茶が居た?

「本当は、一回目のダウンの時に傍にいたかった」

掴まれた鎖が悲鳴をあげる。

「……」
「リベンジのときも、現実世界で一緒にいたかった」
「……うん」

蔡茶が鎖から手を離して、ふらふらと背中側に下がってブランコの柵に腰を下ろした。

「傍にいられなかったのが、すごい悔しい」
「だって、蔡茶は来年大学受験、でしょ」

仕方ないよ、とは言いたくなかったけれど口から零れる。年の差が憎くない、とは言わない。

「あたしは、格好いい佳主馬、傍で、見たかったんだもん……」

恥ずかしいのかどんどん最後が小さくなっていった。

「カッコよくなんか、無かったって」

師匠やみんなの前で負けて、泣いちゃうし、あのお兄さんがいなかったら俺はあの頃に戻ってた。ブランコの上で足をふらふらさせる。

「ううん、だって、OZのカズマが格好良かったんだから、リアルの佳主馬が格好良くない道理がないよ」
「……」

なんか、もう、恥ずかしいことをよく真顔で言えるなぁ。こっちの方が何だか恥ずかしい。

「……恥ずかしくないの?」
「え?」

純粋な疑問の声。

「あー、いや、いいや。蔡茶がいいなら」
「?」

小首を傾げて疑問を強められる。

「ま、佳主馬がいいなら、私もいっかな」

膝についた肘から延びる手に顔を乗せて蔡茶が笑う。

「時間、平気なの?」

蔡茶が携帯のサブディスプレイを光らせて苦笑する。

「まだ九時過ぎだよ?両方とも帰ってきてないって」
「もう九時、だよ」

ブランコから立って手を差し出す。

「話すなら、俺の家で話そう」

少し寂しそうな顔が、途端に明るくなる。蔡茶が俺の手をとって立ち上がったら、手を絡まされて、そのまま歩きだした。

「帰るときも、送るから」
「いいよ、別に。近くじゃん」
「俺が心配だから」

絡んだ手を少しだけ強く握れば、蔡茶は弾んだ声で、うん、と言う。俺が、キングで蔡茶に迷惑かけたこともある。それでも、勝つことが好きなら、私なんかのために諦めちゃ駄目だよ、って笑って叩いてくれた蔡茶のために、俺は強くなりたい。OZの中だけじゃなくて、現実世界でも。

頭一個分上の蔡茶の横顔を見上げて、少し手を引っ張って背伸びして、頬にキスをした。

「……」

蔡茶は一瞬かたまって、空気が抜けたみたいに空いてる片手で膝を抱え頭を埋める。繋いだ手を離さないところが、らしい。

蔡茶?」
「……不意打ち、禁止」

真っ赤な顔で言われても。

「ほら、蔡茶

手を引いて立ち上がらせてまた歩き出す。







この華奢で強い手を、ずっと、護っていけたら、どれだけいいだろう。







「佳主馬」
「ん?」
「好きだよ」
「…………そっちこそ、不意打ち禁止」

2010/07/30
ユーゴ(緋色欠片)/幼馴染幼女主 2692字




白。







優夢







眼を開けた。横たわっている俺の視界に入ってきたのは、一面の白。上体を起こし辺りを見回しても、ただ白い世界だった。足に力を入れて立つと、微かに沈みしかし確かな弾力によって俺は白い不思議な地面に立っている。

「……死後の世界とでも言うのか」

一歩、踏み出した。

「そう、死後の世界だよ」

高い幼い女の声が背中から聞こえる。後ろを振り向けば、テディベアを片手に持った奴が立っていた。五、六歳だろうか。

「あれ、忘れてる?」

くすくす、と笑い、この世界に映える赤いワンピースの裾を揺らめかせながら、そいつは俺に近づいてくる。

つきん、と頭が痛んだ。何だ。誰だ。誰だ。誰だ。(俺はこいつを知っている)誰だ。誰だ。だれ、だ。

アズリア……」

ふわり、彼女は笑う。あの頃と全く変わらない。俺が、魂を貪り喰べたあの頃から。

上手く声が出ない。まるで声の出し方を置いてきてしまったかのようだ。アズリアは笑みをたたえたまま俺の前に来る。とすん、と俺は膝を落とした。否、落ちた。

「どうしたの」

まるで何も変わらない。

次の瞬間、俺は小さな体躯を引き寄せていた。

「ちょ、痛っ、いや、痛いって感覚は此処にはないけど何か痛い!」
「……」

アズリアが俺を叩く。

何処にこんな感情があったのだろうか。どうやって、ソウルイーターから逃げていたのだろうか。俺の魂はまだ死んではいなかった。アズリアを覚えている。最初で、最後の、愛した人を。

もう俺は彼女に触れられるのだ。彼女の魂を貪らなくてもいい。ソウルイーターは疼かないのだから。

「……アズリア
「……逢いたかったよ、ユーゴ」

小さすぎる身体は、俺の背を軽く撫でた。

「すまなか」

った、と言い切る瞬間、腹に蹴りが入る。痛みはない。拘束されたままアズリアが話し出した。

「ユーゴ、あれはユーゴの意思だったの?」
「違う、と考えていたい」

ソウルイーターが俺に囁いたのだとしても、あれを、あの惨劇を起こしたのは紛れもなく俺だった。モナドを愛し、そのモナドが愛したアインとフィーアを殺したのも。

「そう、だったら謝らないで。謝られたら、私は私を殺したのがユーゴだと認めなくちゃいけない」

それは辛いよ、と言葉が落ちた。







どれ程そうしていたのか。アズリアはベアを持たない手で自らの顔を拭う。ゆっくり、俺の体を離した。

「あのね、向こうにユーゴの父様と母様がいるんだ」

むこう、と指で示され僅かな人影が見える。自分でわかるほどに硬直した気がした。暫くその影を見ていたら別の体温が頬を滑り、掴めば、それはアズリアの手。

「行こう」
「……あぁ」

その手を握りながら、俺は歩いていく。どんな任務の時も緊張したことなどなかった。ただ狩り、喰らうのみの、簡単な――――。どくん、と、もうある筈のない心臓が跳ねた気がする。

「怖い?」

その問いに沈黙を以て答え、アズリアは、そっか、と握る力を強くした。




段々と影は濃くなり、そしてある瞬間、姿がハッキリと見えるようになる。記憶に違わない両親。そっ、と片手の温もりが遠ざかった。

「ご無沙汰していました、父さん、母さん」

母さんは俺を抱き締め、父さんは頭を撫でてくれる。ずっとこれだけを求めていた。自ら刈り取った魂にすがり付き、ふ、と声を漏らす。

ゆらり、二人の身体が揺らめいた。

「もう、行かれるんですか」

驚いたようなアズリアの言葉に二人は頷く。行く?母さんは俺から離れ、頬に手を伸ばし、いつの間にか流れていた涙を拭ってくれた。

「此処は死後の世界といっても、転生を統べる世界と現世の境界」

だから、ユーゴの父様と母様はまた生まれ変わるの、と静かな声が聞こえ、頭に響く。二人を見れば、微かに笑って頷いた。

「幸せに」

そう言えたと思う。父さんと母さんは、二人同時に消え、後には何も残らなかった。

アズリア
「なに?」
「お前は、転生を果たさなくていいのか」

顔を苦しそうに歪めて、アズリアは笑う。そんな顔をさせたかった分けじゃない。俺はまた間違えたのだろうか。

「私は、やっと、やっとユーゴに逢えたんだ」

彼女は手に持っていたベアを胸元で抱き締め、俯きながら呟く。

「転生何か、したくない」

自惚れてもいいのだろうか。なぁ、俺の愛しい人。

「いろんなこと話したい。言えなかったことを言いたい」

彼女の前に膝をつき、その髪を、さらり、と撫でた。僅かにその身体が強張ったから、細い髪から手を抜き、手袋を放る。

「好き」

肌と肌を触れさせれば、その手に手を重ねてきたアズリアが言った。ぽろり、ぽろり、と涙が流れていく。

「……」
「生きていた頃から、ずっとずっと」
アズリアは、俺が現世で何をやっていたか知らないだろう」

何の疑問も持たず、欲望のまま俺は魂を刈り取ってきた。死神などと自ら吹聴し、馬鹿げている。

「知ってるよ。此処から君のことを見てたもの」

今度は俺が強張る番だ。

「でもね、それでもやっぱり君が好き。愛してる」

辛そうに眼を伏せながら、アズリアは言葉を紡ぐ。こんな風に静かに泣く奴だっただろうか。

「……俺は赦されざる人間だ」
「じゃあ、何で君を恨んでいる筈の人間が此処に襲いかかってこないんだと思う?」

周りを見渡しても、白い世界には一つも影が見当たらない。誰もいない。この世界には誰も。

「みんな、みんな、あっちに行ったよ。罵詈雑言恨み辛みを吐きながら、それでも彼らは直ぐに行った。生きたいと思っていたから。死にながら恨むより、生きて忘れることにしたんだ」

苦々しく吐き捨てられ、だから、と続けられる。

「私以外いないの。ソウルイーターに喰われた魂は、もう」
「……そうか」

呟けば、そう、と同意された。

「君が本当は敬愛していたモナドも、君を殺し解放したマヒロも、君を赦したでしょう」

誰も恨んでいる人間なんていないのに、それでも自分を苛み続ける君は馬鹿だ、とも言われる。

「俺は赦されてもいいのか」

俺の手を外し、アズリアは俺を抱き締めた。

「もしも、神が赦さなければ私はそれに刃向かうだけ」

そうか。共に、戦ってくれるのか。

ぎゅ、と俺も抱き締める。

アズリア、俺も愛している。生前から、今に至るまで」

彼女が笑った。そんな気配がしただけだが、恐らく外れてはいないだろう。

俺もまた、笑えた気がする。







俺たちは気の遠くなるような回り道をしていた。

回り道と言うには俺は魂を狩り過ぎていたけれど。

だがあいつは、君が罪を感じるなら私もそれを背負おう、と。

これは俺の欲望による死中夢なのかも知れない。

それでもいい。

またお前に触れられたのだから――――。







「あぁ、ほら、マヒロが玉依姫と仲良く喧嘩してる。懲りないねぇ、マヒロも」
「本当だな」

白い世界に二人。穏やかに。

2011/05/28
ネフィリム/紀元前成人主 4411字




※ネフィリム消失話。天界が悪役側。
回復するけど夢主足欠損。




こわれた玩具




多数のネフィリムが住み処としているフロアを私は小さな腰ぐらいまでのネフィリムと手を繋いで歩く。

「あ、塗料が剥げてる」

歩きながら各所の玩具を目視点検していた私は、小さな坂を作りだしている玩具の横で立ち止まりそう呟いた。どうしよう、と悩んでいると繋いでいた手の先にいるネフィリムが見上げてきている。

「ん?あぁ、使うのには問題ないよ」

撫でながらそう言葉をかけると僅かにネフィリムの表情が華やいだものになった気がして私も口許に笑みを浮かべた。

歩いていると最近生まれたのにもう私の身長を遥かに越しているネフィリムとすれ違い、大きくなったね、なんて言いつつお互い手を振る。

暫く歩くと小さなネフィリムたちが集まっている小さな広場につき、私は繋いでいた手を離して一緒に歩いてきたネフィリムの背を押した。

「ほら、遊んできな」

ネフィリムは少し考えるように体を傾いでから、うん、と頷いて向こうへ暫く歩きはじめる。一息ついて切り株に座りそれを眺めていたら、小さなネフィリムは暫く行ったところでこちら方に振り向き、私が手を振るとまた歩き、数度それを繰り返して仲間の輪に入った。

甘えん坊だなぁ、なんて少し苦笑しながらいわゆる魂と呼ばれるものがないと聞かされたネフィリムたちを眺める。果たしてそれは本当なんだろうか。

私には彼らに感情があるように見えるし、他者を労る行動を起こすときがあるのを知っている。それとも魂なんてなくてもそれはありえることなのか。それじゃあそれはどこから来て、魂は何をしているんだろう。

そんなことを考えていたら、私はいつかの日の事を思い出してしまった。







「……」

私の母や姉を拐かしたサリエルという、この世の術ではないものを操り崇め奉られている人物に物を申すために私は此処、タワーに来た筈。

それが如何してこんな、肌色の生き物に囲まれているんだろう。

「あー、もう、動けないじゃないか」

よくカラクリがわからない玄関口を通っていたら目と耳が驚く爆発音を聞かされて頭がくらくらになり、通り抜けてやっと建物の中に入ったと思ったら前後左右、空間の認識を狂わせる場所に出た。

それから階段を昇って、ここについた途端、小さな生き物に囲まれて今に至る、と。

「……」

途方に暮れながら辺りを見回してみる。それにしても殺風景な場所だと思った。こんな人間サイズぐらいの生き物が遊ぶ玩具すらない。ただの木々が疎らに並ぶ空間。

「んー」

近くにいたネフィリムを持ち上げ抱きながら、少し遠くの木を指を差す。

「あそこまで行きたいんだけど」

そうぼやくと、進路上にいた彼らは素直に退いてくれた。ありがとう、と言って歩き出す。

木の前に到着した私は抱いていた白い生き物を下ろしてその辺に落ちていた少し太めの小枝を拾い、持ってきていた少し細目のロープでそれらをイカダ上に編んで、小さな板ぐらいになったところで太めのロープを両端につけた。

うん、こんなもんかな。

と、そこで私がさっき下ろした生き物が私の手元を興味津々に見ていることに気が付く。

「ちょっと待ってくれたら面白いことが出来るよ」

言いながら立ち上がり、私は木に登り始めた。太くて固そうな枝に二本のロープをくくりつけ、そのまま飛び降りる。

けれど私が降りた衝撃で玩具を見上げていた小さな生き物は転んでしまい、うわぁ、と慌てた私は急いでその子を抱き上げた。

「ごめんねー」

よしよし、と頭部だろう部分を撫でれば無い表情が見えた気がする。それから直ぐにその子が何かに腕を伸ばすので何だろう、と見てみたら腕の先にはさっき作ったばかりの玩具。

「あぁ」

私がその立ち直りの早さに苦笑しつつその子を板に乗せ、ロープにしっかり掴まってるんだよ、と横にたって伝え、ロープを掴みながらゆるくゆらし始めた。

最初は首をかしげていた小さな生き物も、要領がわかってきたのか立ち上がり、自分の手で二本のロープを掴んで漕ぎ始めてくれる。

良かった、と眺めていようとしたのも束の間、勢いつけすぎた小さな生き物はうっかり手を離してしまったのか吹っ飛んでいく。

「!」

慌てた私は急いで走り始め追いかけて滑り込んで下に入り胸に受けた。上半身を勢いよく起こして小さな生き物の無事を確認しようとしたら、彼は何が起こったのかわからないのか首をかしげる。一緒に首をかしげて、ふっ、と脱力し、後ろに倒れ込んだ。

影。

逆さまになった世界の地面から上へ視線を動かせば、そこには私が探していたフロアマスター・サリエルが。

「あ」
「……何をしているんだ?」

私は乾いた笑いしか出てこなかった。







それから私がネフィリムたちがいるフロアの玩具をつくることになったのは、そう遅くなかった。

あの後、目的を果たすためにフロアマスターに詰め寄ってみたら母と姉はもう死んでいて(幽霊になっても楽しそうだった)、ぽかり、と穴が空いたところを拾われてしまったのだ。

「なんだかなぁ」

流されすぎな自分の呟きは誰に拾われることもなかったけれど。







そんなこんなでアザゼルという鎧に身を包んだ上階の主から頂いた道具(名前はチェーソーとかそんな感じだったような気がする)を使って木材を削っていた時、手元が滑った。

「────!」

私がそれに反応して回避するには判断が遅すぎた。その回転する刃は私の足を膝からいとも容易く切り離し、付着した血を撒き散らしながら地面を転がる。

「あ……うぁっ、あ、あぁっぁあ!」

息が詰まり地面に体を押し付け土を指で抉り体を走る何かをやり過ごそうとしても上手く出来ない。言葉にもならない呻きと叫びが無理に口から出ていこうとし呼吸不可能。

だぱりだぱりと止めどなく溢れる血液は吸いきれなくなった地面から広がっていく。あぁ、あぁ、あぁ。熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、痛い。

呼吸のバランスに噎せながら土を抉れば指先に何かが当たり、私はそれが何かと認識する前に理解し必死でそれを足に巻き縛り上げた。

「……うぁ、は、……っ。────」

血が止まりつつある足を眺め、どしゃり、とまた体を地面に投げ出す。じわり、と地面に広がった血を衣服の生地が吸い込んだ。気持ち悪い。息が上がる。息が詰まる。死ぬと思ったのに死ななかった。

「…………」
「何かあったのか?」

聞き覚えのある声がしたので朦朧とする頭とぼやけた視界にそれを収めようとすれば、声の方が近付いてくる。

「ネフィリムが必死に俺を呼んだんだが」
「……あー……ちょっと、ドジって、足、切断しま、した」
「そうか」

そう頷いたフロアマスターは、歩き、血の海に沈む私の足を掴み、私の傍に膝をついて止血用の縄を解いた。

「────っ」

麻痺っていた痛覚がまた動き出す、が、それは直ぐにまた収束する。

「治した」

立ち上がりながら落とされた相手の言葉が、私には徹頭徹尾理解が出来ず、足に目を向けた。

────奇跡だ。

足は何事もなかったかのように膝から伸びていて、白んでいた切断された筈の足も赤みを帯びていく。

「お前が居なくなるとネフィリムが悲しむ」

そう呟かれたのを機に、フロアマスターは姿を消した。切れているズボン、汚れた地面、失血の頭痛、それらはすべて私の足が一回斬れたことを表しているのに、私の足は紛うことなくついている。

「…………」

確かにあれは、奇跡の力だ。そうとしか言いようがない。

そんな風に考えていたら、ぱしゃり、と音が聞こえ、視線をやれば大なり小なり、たくさんのネフィリムが私の足を撫でていた。感覚が戻ってきた足は確かにその手を感じられる。

その彼らに私は、怖がらせてごめんね、とか、ありがとう、とか言うべきなんだろう。それなのに私の息は詰まり、どうしてか涙が溢れた。








三百年ぐらい前の回想から、ふ、と我に返る。

あの時から私は人間じゃなくなったのかもしれない。それでも何か特に変わるわけではなかったし、彼らが一緒なら全く構わないとさえ思っていた。

そんな風に、ぼー、っと考えながらネフィリムたちを見ていたら、何処からか走る足音が聞こえてきたのでそちらに目をやる。

「あ、」

その瞬間、ガコンッ、と初期よりずっとしっかりとした板で作り直した漕ぎ板が白い誰かの頭に当たり勢いよく彼を弾き飛ばした。駆けよってわかったけれど、彼の意識さえも。




「……、……?」

私が水で濡らした布を走ってきていた人の額に乗せて先の衝突で傷んだ木の板に塗料を塗布しながら小さなネフィリムと見守っていたら、彼がみじろいだ。

その意識を取り戻しただろう一瞬で、がばり、と先程気を失った男性は急いだように体を起こし、次いで頭と鼻や口許を押さえる。塗料の臭いがきつかったのかもしれない。私は、きゅ、と塗料の容器の蓋を閉めた。

「気がつきましたか」

そこで彼は私に気がついたのか私の方を見る。

「さっき、漕ぎ板に頭ぶつけて気を失ったんですよ」
「……」

泥濘したような、気味の悪い瞳だと思った。

「……申し訳なかった」

そう言うだけ言い、彼はまた走り出す。白。そう、天使を思わせる白だったのに、どうしても白には思えなかった。清浄な空気を纏っていたのに。

私には何故か恐怖の対象に感じられた。







「あっ」

どうしても落ち着かなくて目視点検をまたしていたら大きなネフィリムが、あぐり、と口を開けて小さな坂の玩具を食べてしまうところに出くわしてしまう。

「あー、あー……」

結構な力作だったのに……。その玩具を食べたネフィリムは私に気が付かないのか、また何処かに歩いていってしまった。……また、暴走するのかな。嫌だな。

はぁ、とため息をついて立ち上がれば小さなネフィリムたちが玩具を探しているのが見える。

「いまさっき食べられちゃったから、また造るよ。その時に遊んでね」

膝ぐらいまでしかないネフィリムたちの頭を撫でながら、私はそう約束をした。







「────」

階下の森で木を伐採して、ネフィリムたちがいるフロアに帰ってきたら、そこには誰もいなかった。

がしゃん、と機材を落とす音が遠くに感じられる。

「……ネフィ、リム?」

私はフロアを隅々まで走り、躓き、秘密基地みたいな玩具を覗いても一人もいない。そうだ、寵愛者の魂もいない。……あぁ、天が罰しに来たのか。きっと空色の瞳を濁らせていたあの人間だ。

ふらりと体が傾いで膝をつく。

「……造るって、遊んでねって、言ったのに」

あ、あ、と言葉にならない、意味を成さない音が喉から漏れていく。もっと作りたかった。もっと一緒にいたかった。

消えるだなんて、思わなかったよ。







「…………」

ふらり、と誰もいないフロアを歩き始める。酷く空虚を感じながら、私は機材を手にした。木材は、どうしよう。必要になったら取りに来ればいいか。自問自答で軽く頷く。

「……楽しかったよ」

そう一言がらんとしたフロアに呟いて、死ななくなった私はいずこへとまた足を動かし始めた。







また、家族は消えてしまった。

2012/05/13
ダークリンク/剣士主/全員死亡 4378字




「俺の影、か。さしずめダークリンクってところだな」
「好きに呼べよ。名前なんてそんな大層なもん魔物にはないからよ」
「だろうな」
「あぁ」

そんな軽口を叩きながら勇者は俺の背後にいるパセタに視線を走らせ、それに気付いた俺は笑う。

「お前と戦ってる間は、あの人間にゃ手ぇ出さねぇよ。なんなら本体であるお前に誓ってやってもいい」

そう言いながら腕を広げて鷹揚に頷けば、勇者は剣を抜き盾を構えその口許を歪ませた。

「確かに俺の影なら、しないだろうよ」

抜けよ、とでも表すかのようにリンクは剣を回す。俺はそれに応えて刃が光を跳ね返すことはないマスターソードを広げた手に影を固め形成した。

勇者は、便利だな、と笑う。
俺は、便利だろ?、と笑う。

そこから先、言葉は要らなかった。




盾で剣が無理矢理跳ね上げられ懐に潜り込まれる。煌めいた刃はそれでも俺の盾に阻まれ勇者は舌打ちをして後退した。そうして懐に手を入れ何かを唱える。

はっ、小細工が発動する前に切り伏せてやるよ!

そうして今度は俺が勇者の懐に入りその右腕を弾いた。腕は斬れなかったものの手にしていた何かは飛んで俺の後ろ側に落ちる。後退して見下ろせば三大神の加護が刻まれている魔法具。

こんなもんに頼ろうっていうのか。馬鹿にしてやがる。

舌打ちをした俺はその見下ろしたディンの炎を勇者が走ってくる前に踏み砕いた。瞬間、荒々しく剣が突き出されその刀身にひらりと乗った。

どうやら勇者はそんなことをされると思っていなかったらしくて驚いた顔をしてやがる。全く本当に、お前はよくできた『英雄』だよ。なぁ。







「……っ」

勇者の首を掻っ切ってやった。それでも戦意が衰えないのか、剣を放した空の左手で俺の足首を掴む。その左手を、トライフォースが宿っているとされる手の甲を影の剣で貫いた。絶叫が部屋に響き渡る。

お前は負けたんだよ、時の勇者。あろうことか自分の影にな。

悔しそうに勇者は表情を歪め、そして、息絶えた。

「……」

じわり、と赤が服に水面に広がり俺の剣からも勇者の赤がしたたり落ちる。ついに物を言わなくなった勇者を見下ろしながら、ぱちん、とパセタの縛りを解いた。すると暫くしてから、ぱしゃん、と音がし、視線をやれば不可視の壁に手をついた姿が見える。

「────パセタ、ごめんな」

呼び掛けると彼女は片眉をあげた。

あぁ、そんな表情も俺は好きだな。すごく好きだ。可愛いと思うし、何よりその意識が俺に向いてるってことがもう嬉しいわけだ。そう言ったらお前はどんな反応するだろう。でもどんな反応でもきっと可愛い。

「お前に嘘ついたよ」

なぁ、何で俺は人間として生まれて人間としてパセタに出逢えなかったんだろうな。そうしたら抱き締めて、愛してるって言って、差別の中に独り置き去りになんかしない。幾ら普通の人間と違うからって、俺からしたら全員変わんねぇよ。おんなじ人間。

異貌が怖いなら俺と変わってくれたら良かったんだ。

「俺、リンクじゃねぇんだ」

パセタが探していた勇者は俺が、たった今殺した。

「知ってるよ」

即答。

「……」

あぁ、それもそうだ。探し人の服装や容姿を知らねぇわけがねぇな。何たってバレてないと思ったんだか。さすがは生まれたばっかりの能無しってところか。

「それでも私は、君と一緒にいてみたかった」

ダーク、君の傍に、とパセタは確かに俺に向かってそう呼び掛けた。

「……」
「好きに呼べって、言ってたでしょ」
「別に止めろなんて言わねぇよ」

だってお前が呼んでくれたんだから。

「私は本当に隣にいたい。それは変わらない。でもね、ここでリンクを殺すってことは君は世界を……ううん、人間を敵に回したんだ」

ちゃきり、と自然な流れでパセタが腰の鞘に手をかける。

「君が、自分の意思で、人間を敵に回しそしてこのハイラルを魔王に渡すというのなら、私は君を止める」
「俺を止めてどうするんだ?もう時の勇者はいない。魔国化まで一直線だ」
「それでも、人類の敵をみすみすと見過ごせないよ。私も死にたくはないからね」

魔王は殺せないと思うけれどせめて抗って、諦めない、と彼女は口を歪ませる。いつかの日、殴ってやる、と言ったときのように。

「……俺の傍にいたら、魔国化したって安全だ、って言ったらどうする?」
「……」

あぁ、あぁ、違う。そんな顔をしてほしいんじゃない。

「そうだとしても、私は人間である自分を捨てられない」

君が魔物である自分を捨てられないように、と苦しそうに彼女は口の端を持ち上げた。もしかしたら笑ったつもりだったのかもしれない。だけどそれは到底笑みには見えなくて、単なる堅い唇の動きだった。

「……捨てられない」
「そう。もしも君がリンクを殺さなければ、私はそちらに行っても良かった。人間と魔物の狭間で迫害されたって構わない」

だけど殺してしまった、なんて悲しい響きを落とす。

「君が魔物らしく人間を殺すのなら、私は人間らしく魔物を殺そう」

再度、わざとらしくパセタは剣を鞘から僅かに抜いて音を軽く鳴らした。それが何を意味するかわかる。わかるけどよ。

「俺は、パセタと戦いたくない」
「それでもわかってた筈だよね。私が、誰かを殺した君の手をとるわけがないって」

言われて、想像して、やっと俺の手を取ってくれる彼女は彼女じゃないことに気が付いた。そもそも考えてすらいなかった。殺したらどうなるかだなんて。だってそんなこと考えたら俺の生まれた意味がゼロになるかもしれないじゃないか。だから。

「あとね、訊きたいんだけどここに私を連れてきたってことは自分が魔物だってことを隠すつもりはなかったんだよね」
「……」

確かにそうだ。俺は、魔物だと気が付いた彼女がどう反応するかだなんて気にもとめていなかった。でも、それは。……それは?

軽蔑されないと思っていた?違う。驚かれないと信じていた?違う。いや、そもそも勇者と戦った後にこうして話すことがあるとさえ考えていなかった。つまり、それって。

「もう会えないから、って、思ってたのかもしれない」
「……」
「……」
「……死ぬ、つもりだったっていうの」

そう問われて、自分の考えに気が付いた。

「……違う。俺は勝っても負けても消滅するって思ってたんだ。世界にとって必要がないから」

時の勇者を殺せなかったら敗者は消える、時の勇者を殺したら用済みで勝者も消える。ただそうなると思い込んでいた。だってもう俺は要らないだろう?

「それなら、君を連れてどこかにでも逃げてしまえば良かった」

世界から要らないといわれるのなら私が貰ってしまったら良かったんだ、とパセタは呟いた。

「勇者を殺せない魔物がいても、それを欲しがる人間がいてもいいじゃない。君に隠すつもりがなかったなら、ここでこうして存在しているのなら尚更」

たしかに俺は勇者を殺したのにまだ存在している。だけどそれはこうしてみないとわからなかったことだ。もしかしたら勇者を殺したから俺はここにいるのかもしれない。わからない。

「……だけどそんなのは結果しか見てない言葉だ」
「そうだね、結果論にすぎない。それでも結果はやっぱり大事だよ」

そうしてとうとう、彼女は腰の刃を抜いた。

「さぁ、やろう」

さもいつもの剣合わせのように言う。

あぁ、やっぱり俺の言葉じゃ何も変えられないんだな。それもそうか。惚れた奴がこんなに望んでることを叶えてやれないんだから。

「……それがお前の望みなら、付き合うぜ」

そう返して俺も剣を手にした。

だからたった一つのそれを叶えてやるよ。




刃が頬を走る。本気で殺しにかかってきている彼女の姿を俺は見ることなんて今までになかった。当たり前だ。俺は『人間』として扱われていたんだから。

「傷を負っても血なんて出ないんだね」

後退したパセタが汗を、額の血を拭いながらのんきに呟いた。

「影、だからな!」

答えながら一足飛びで剣を上段から振り落とす。バックルで受け止められても剣を退かせない。力を入れ続けたら、ばきり、と破壊音。

「!」

そうしてこのまま殺してしまおうと考えた。だけども出来なくて、片腕を犠牲にしたパセタは無理やり横に飛んで回避する。それを視線で追えば、ばたりばたり、と傷の断面から血が零れ落ちて水面を揺らす、呼吸の浅い彼女が見て取れた。かわいい。俺は落ちた腕を拾ってキスをする。

「好きだよ」

そう、はっきり言うと、パセタは表情をまた歪めた。

「それは、湖に潜る前に言ってほしかったな」

お互い剣を構える。だけど相手はもう、駄目だ。失血でか体が傾いでる。それでも退くなんてことをしないだろう。わかる。わかるからこそ、俺も手を抜けない。

「私も、君のことが好きだよ」

あぁ、よかった。俺の独りよがりじゃなかったんだ。

笑った俺を見てか、彼女もまた、笑った。




フェイントをかけられて足を払われる。その瞬間、傾いた俺の体に覆いかぶさるように彼女と刃が向かってきた。

「……っ」

思わず影で、足元の影で、刃を構える相手の背中を貫いた。まさかそんなところから攻撃されるとは思っていなかった彼女の驚愕に満ちた顔が網膜に焼付いた気がする。

────なぁ、どうして魔物相手にそんな顔をするんだ。どうして人間みたいに戦うって信じてくれたんだ。どうして、そんな。

「……そう、それが……」

ごぽり、と血を吐いて、俺の胸に頭を預けたあと服にその爪を立てて、パセタの体が力なく地面に落ちる。どろりと水を色づけるそれは俺の足元まで広がった。でもただそれだけだ。何も動かない。何も音を立てない。

「……」

殺した。彼女を。剣士としてじゃなく、魔物として。

この手以外で殺すなんて思わなかった。でもこれこそ魔物らしく人間を殺したことになるんだろう。

溜息を吐いた俺はパセタと勇者と脇に抱えて見えない壁に二人をもたれさせてその間に座った。

お前らはこの世界を守ろうとしたけど、一体どういう風に見えてたんだろうな。俺には、全然守る気にもなれない世界だ。だってお前を迫害して、お前を勇者に祭り上げて、お前らがそんな世界に義理立てる必要なんかないだろ。

冷えた二人の体はぴくりとも動かない。当たり前だ。人間は、殺したら動かない。だけど魔物は、影は、本当に死ぬんだろうか。もしかしたらずっとこのままかもしれないな。……それもいいか。

そこまで考えたところで自分の足が消えかかっていることに気が付いた。なんだよ、結局消えるんじゃねぇか。今まで存在できたのは座標軸のズレみたいなもんで、単にあの魔術師の双子どもがそれほど厳密に消滅条件をつけてなかったところとかそんな辺りだろうな。全く、最後まで適当な奴らだ。

は、と出た音は笑いだったのか溜息だったのか。

「じゃあな」




静かな部屋で音が響いた瞬間、部屋の幻影は崩れ、無機質な場所に残される勇者と少女の死体。それは永遠に腐ることもなく、誰に見つかることもなく、ただそこにあり続けた。

まるで呪いのように。

2013/05/11
魔王軍(はたまお)/魔王軍所属主 8604字




「……魔王様とアルシエル様が生きていらっしゃった……?」

艶やかな黒羽根を携えた魔族の一人が赤鱗に身を固めた影に伝えた言葉は、その人物にたたらを踏ませるほどに強力だった。

「それは、真のことなのか、大尚書殿。……あ、いや決して貴方の言葉を疑うわけではないのだれど、その……」
「いや、構わない。言っている立場で何だが、仕方がないと理解している」

大尚書と呼ばれた魔鳥は苦笑をもらしてそれに同意する。

「あぁ、ついでにルシフェルもいたな」
「なんと。勇者エミリアに討伐されてしまったと聞いてはいたが……」
「どうやら生きていたらしい」

先に上げられた人物たちとは打って変わり、ぞんざいに扱われる西大陸将軍の名前にも、しかし赤鱗の影は驚きを禁じ得なかった。

「確か……漆原と呼ばれていたか」
「……ウルシフェル?」
「いや、うるしはら、だ」

そんな茶番的な会話をしつつ、歓喜の表情を湛えていた影は僅かに俯いてから仕切り直すように窓の外へ視線をやる。

「やはり新生魔王軍なんていらなかったのだな」
「あぁ」

魔界の形を創る赤はあの頃と何も変わらない。

「しかし浮かれている暇はないぞ、東軍副官のドーツェ。東軍所属魔族の現場収束は君に委ねている状態だ」
「────確かに」

表情一転、口を引き結ぶその姿は東軍大将の横についていた時と何ら変わりはない。いや、将軍不在であったからこそ、倒れることも変わることも是とするわけにはいかなかったというのが本当のところだろう。

大尚書カミーオはゆるく笑ったがドーツェは気が付かない。

「魔王様の覇道の為に」
「勿論だ」

二つの影はこの世界に存在していない相手に頭を垂れ、心臓に手を当てた。







その夜、ドーツェは夢を見る。




近いうちに死ぬのだということを、彼女は漠然と理解していた。ドラグニーズに生まれたにも拘らず、腕を落とし爪も牙も折られ鱗も剥がれ戦えなくなった奴が、生者がいない故に魔力濃度の薄い屍の山に捨てられることなんて、分かり切っていたことだと。そう笑う。

魔力も寝藁もない、屍だらけのここで回復できる見込みなんてない。

それでも彼女は生きていたかった。同胞の屍肉を食らい、腐敗に嘔吐し、しかしその微細ほどにしかない魔力を丸ごと食することで、塵芥のように生きながらえていた。無様と言う程度の話ではない。

けれどそうして生き繋いでいた命は一人の悪魔に見つけられる。魔力濃度が薄いことから大事を取って低空飛翔をしていたサタンが、僅かな魔力の塊を感知したのだ。死人からは感じることのない、生者の魔力を。

そうして念動力により、痩せこけ鱗が剥がれ見るも無残なドーツェは屍の山から引きずり出されサタンの眼前へ。ドーツェにはそれに抵抗する微かな力もなかった。ただされるがまま残った手足をだらりと下ろしている。

「なぁ」

のちの世に魔王と呼ばれる影は口を開いた。
しかしそれは彼女が使っていた部族言語とは異なっていて、話しかけられた以上の意味を理解できはしなかった。影はそれを知ってか知らずか会話を進める。

「生きたいか」

その時のドーツェにとってそれは決して解することが出来る言語ではなく、概念送受でもなかった。しかしその残酷な問いをどうしてだか理解してしまった彼女は、何十年経った今でもそれを思いだして苦痛に喘いでいる。

けれど同時にそれが契機だったことも否定はしない。

「……、…、い」
「そうか」

零れる音は山から吹き降ろされる風の音にかき消される。しかしそれでもサタンはその言葉に頷きその額に指先を当てた。

「じゃあ、眠っとけ」







「……ずいぶん昔のことを」

寝藁から上体を起こして、彼女は夢の内容にそうぼやきながら両腕にある赤鱗を撫でる。魔王軍最硬と謳われるアルシエルに褒められた誇りある鱗だ。

よく生きていてくださったと思った。自分の存在がこの世界にあることを認めてくれた二人が生存していることが、ドーツェは何よりも嬉しかった。

「あぁ、しかし過去ばかり追いかけるわけにはいかないな」

昨日交わした大尚書の言葉を思い出し、魔王軍として支給された服に腕を通す。そうして懐に透明度の高い手のひらほどの薄い緑石を入れた。

先の大戦時のような苦汁をなめることにはならないよう、毎日少量ずつ固め育てた魔石だ。

勇者の仲間である法術士エメラダ・エトゥーヴァの刻結術を行使され、元より少ない魔力が消耗していたとはいえ、随分とそれを解けずに後れを取ったなど東軍副官としてあるまじきことである。

ドーツェが自分で動けるようになったときにはもう、魔王とアルシエルはエンテ・イスラから姿を消していた。もうあれから二年。砕かれた赤燐は治り、主無き魔王軍は分裂し人族を笑えぬ卑劣高尚な手段に手を染めようとしている。

それが解消する切欠となるかもしれない。

「……?」

そんなことを考えながら剣を腰に帯け、マントを羽織ったドーツェは部屋の片隅に空間の歪みを見つける。

「ゲー、ト?」

それは魔王や教会の大神官という、特に力のある者であれば行使できるゲート術に似ていた。

誰かがこの世界に割って入ってきたのだと指に力を入れて爪を伸ばし警戒した瞬間、斥力ではなく引力が発生し後ろに体重を置いていたドーツェを軽々と引きずり込んだ。

「な……!」

何者に依るかわからないゲートに恐怖を覚えたドーツェはすぐさま魔力で重力操作をし、飛翔体勢に入って部屋へ戻ろうとしたが顔を歪める。

「……っ、誰だかわからんがすぐに壊れるようなものを構築するな!」

ドーツェは迫りくるゲート崩壊から逃げるように、どこに繋がっているかもわからない出口へと重力跳躍を続けるしかなかった。







「……?」

千穂が二十一時にマグロナルドのバイトを終えて帰路についていた時、その道端に有り得ない物を見る。初めは何か大きな布が落ちているのかとも思ったのだけれどしかし、近付いていくとその丸まった布の中に確かに人型の何かがあることに気が付き慌てて歩を進めた。

「だ、大丈夫ですか……!」

ぐたりとしたその背中には、いつかの首都高倒壊時にアルシエルが背に背負っていた徽章と似た形のものが印されている。

「……、……?」

彼、或いは彼女、マントに覆われ性別の区別がつかない体躯をした人物は赤髪を揺らしながら上体を起こし疑問符のついた、英語でも日本語でもない言語を口にする。

そうして影は立ち上がろうとし、けれど叶わず。膝についた手が滑りまた体勢を僅かに崩した。その懐に千穂は割って入り傾いだ長身を受け止める。

「だ、大丈夫、じゃないですよね」

まだ立ち上がり切れていない故に低いところにあった瞳と視線がかち合い、千穂は身近にいる人物たちの瞳を思い出した。細い瞳孔は魔族のそれを確かに彷彿とさせる。

「えっと、私の言葉、わかりますか?」

彼女の肩を借りながら自立した影────ドーツェは少しだけ首を振りかけたが、何か思い当たることが有ったのか、胸元に当たる部分を二度、三度、軽く叩きもう一度千穂に向き直る。魔石が使用可能か確かめたのだ。

「申し訳ない、もう一度言ってもらえないだろうか」

その、口を開いていて出てきた言葉の意味を理解できる、しかしその実際のものとは異なっている感覚を彼女は知っていた。概念送受。それも自分が知っている思念波状態ではない、また違う形のものだ。

「私の言葉、わかりますか?」
「あぁ、ありがとう」

そこで千穂は確信に至った。というよりも羽織っているマントがアルシエルのものと似ているのだから、アタリは付いていたというのが正確なところである。

見る限り彼女はこの世界に仇を成すつもりはないように思えたし、それどころか迷子になってしまったのかきょろりきょろりと辺りを見回していた。真奥たちが時々口にしている≪ゲート≫に巻き込まれたのだろうか。

「……あなたは私の格好に驚かないのだな」

長身である恵美よりも高い位置にあるドーツェの瞳は諦め混じりに一瞬閉じられ、マントに隠れていた手はそれの留め具を緩め肩から布を取り外す。同時に腰につけていた剣帯の金具を取り布を覆わせ鋼鉄の長物を隠した。

通行人の奇異の目をさすがに感じ取ったのだ。そうしてさぁどうしようと考える。

「色々あって、慣れちゃいました。あ、少しだけ失礼します。ちょっとだけ待っててもらえますか?」

雰囲気を解したのか断りながら千穂は携帯電話を取り出し、勤務中の真奥の携帯、ではなく、魔王城のスカイフォンへ発信した。







「はーい、もしもし?」

芦屋が台所で食事の支度をしている時、押し入れの中から漆原の間の抜けた声が聴こえてくる。漆原が会話をする相手は殆ど真奥だと理解している彼はそれを気にも留めない。しかし。

「ねぇ芦屋」
「なんだ」

がらりといきなり開いた襖の奥から籠っていないクリアな音。

「何か佐々木千穂がエンテ・イスラ絡み、っていうか魔族っぽい奴を見つけたみたいなんだけど」
「……っ」

包丁が落ちないようにまな板の上に横倒しにして押し付けながら芦屋が漆原に振り返ると、向こうからは能天気な相槌。雰囲気からして切羽詰っているわけではないことがわかり芦屋は張りつめた気を微かに緩め、とりあえず切っていた材料を味噌汁に放り込んだ。

「相手はドーツェって名乗ってるって。もしかしてお前の」

包丁を洗い拭いて仕舞った芦屋はその言葉にまた振り返る。

「……いや、まさか、生きている筈が」

ドーツェという名の東方攻略軍の副官は、あの戦いで東大陸を放棄し中央へ撤退した際に姿が見えなくなっていた。だから良くて死んだものだと、芦屋ことアルシエルはそう考えていた。いや、考えざるを得なかった。

「でも姿形はともかく、徽章や剣を聞く限り魔王軍っぽいんだよね」
「……今、佐々木さんは何処にいると?」

味噌汁の火を止め、エプロンを外す芦屋。

「あ、もしもし?芦屋が迎えに行くって。うん、あっそ」

漆原が何処にいるのかと問いかけなくても千穂は答えてくれたようで、芦屋は僅かばかり申し訳なく思う。

「幡ヶ谷駅南口に立ってるってさ」
「わかった」

とはいえドーツェが自分の下にいた彼女であろうとなかろうと、魔族であることは間違いないようなのだから自分が行くしかないだろう。

ため息をついてデュラハン号もない芦屋は気持ち速めに歩を進めた。







ドーツェさん、あし……アルシエルさんが迎えに来てくれるそうです」

魔王城への連絡ついでに手早く家への連絡も済ませた千穂はそう告げる。

「……アル、シエル様が?」

にわかには信じがたいことが起きたかのようにドーツェは目を眇めながら首を傾げ、荷物ごと腕を組み始めた。

自分にとってアルシエルという名がどれほどの意味を持つかは理解している、しかしそれ以上に彼女は何と言っただろうか。いや、どういう意味を持つ言葉をこちらに寄越しただろうか。

「……失礼と混乱を承知で訊ねたいのだが」

意を決した声音は千穂を頷かせる。

「あなたはこの世界ではない、別の世界のことを知っているのか」
「エンテ・イスラ、のこと、ですよね?」

すると、まいったな、とドーツェは組んでいた腕を解いて軽く頭を叩いた。ここは話に聞いていた場所じゃないか、と。

「続けてで不躾だとは思うけれど」
「大丈夫ですよ」
「ありがとう。……あなたは、佐々木千穂殿、か?」
「……!」
「やはりそうか。私は運がいい」

独り言のようにこぼして、そこで初めてドーツェは表情を崩した。

「大尚書……カミーオ殿から話は聞いていた。魔王様の近くに勇者、そして年端もいかぬ少女がいる、と」
「あ、カミーオさん無事に帰れたんですね」
「あぁ」

ドーツェはその様子を眺めながらまたほんの少しだけ口の端を緩める。
魔界の魔王や大元帥や大尚書を掴まえて、さん、だなんて、なかなかどうしておもしろい人間がいる。

「しかし……そうか、アルシエル様が……」

ドーツェは崩していた表情を戻し、考えるように口元に手を当てる。

「どうかしましたか?」
「いや、迎えに来て頂くなど恐れ多いのだが、私がこの世界で動いたらいろいろと厄介そうで困っている」

マントで包んだ長物を、こんこん、と叩いた。

「あぁ、たしかに」
「それにあなたもどこかに行く途中だったのだろう」
「大丈夫ですよ。私は私の意思でここにいるんですから」
「申し訳ない」

千穂は世界観の違うそれに同意しつつ自分の意思を表する。そうでなくともドーツェは目立っているのだから、ここで一人にする選択肢は彼女にはまるでなかった。

「ほんと、魔族の方って紳士ですね」
「……人族からそう言われたのは、初めてだな」

どう反応すればいいのか戸惑い気味の声。それがどことなく可愛らしくて千穂は笑みを浮かべた。




「……話には聞いていたが、空は黒だと言うのに闇に包まれないのか」
「やっぱりエンテ・イスラにはないんですか?」
「このような、揺らめかない光はなかったが炎による街灯はあった。まぁそれでも闇を消し尽くせるほどじゃない」
「空は暗いまんまですけどね」
「魔界はこれの比ではない程に暗いな。そもそも灯りと言う概念が乏しい」
「えええええ」




「……あの、ドーツェさん」

会話が一段落し、ふと千穂が口を開く。

「なにか?」
ドーツェさんは、人間に対して、どう思っていますか?」

それはどうして出た疑問だったのか千穂にもわからない。魔族であるサタンやアルシエルからそこまで強い人間への憎悪を感じたことは無かった。けれど進学塾の合宿の講師として仕事に出た芦屋の口から、敵対する人間に、という言葉が出ていたからかもしれない。

ほんの少しだけ、人間世界をほとんど知らない魔族が何を考えているのか気になってしまったのだ。

そんな突発的な疑問にも拘らず、問われた相手は思考する時間を空けて口を開く。

「捉え方が間違っていたら申し訳ないが、人間が私の強い感情の対象となっているかどうかであれば、否だ。死ねばそれが弱かっただけということ。個はともかく、人間という種に対して特別な感情は、あまり持ち合わせてはいない」

ドーツェは嘘を言ってはいない。大多数の人間がアルシエルを殺せるとは到底考えられないからだ。もし仮に勇者一行が殺したとしたら、それは人間ではなくその本人への憎悪となるとも知っている。

「……」
「けれど魔王様、そしてアルシエル様がその場を治めると言うのであれば、私は私の矜持を以て攻め入る。主体がないと思われるかもしれないが、私が魔王軍にいるというのは、そういうことだ。あなたがた……人間という種族が憎いわけじゃない」

その言葉を千穂はただ聞いている。事実なのだろうと受け止める。

「それと、たとえそれがあったとしても、この状態で人間への憎悪を保持できるのは相当な精神力の持ち主だ」

くすり、と笑いの音を落とした話し相手を彼女が見上げると視線が交差した。燃えるような赤髪とはいえ、前の首都高を支えた真奥のような異形さはまるで感じられない。

「まさか、あの場所以上に魔力が希薄なところに来て、そうして見た自分の姿がこれとは。世界は皮肉に満ち溢れている」

あのお方は信じられなかっただろうな、というぼやきを千穂は聞き落としはしなかった。




「……申し訳ない。この世界も安全ではないのだな」
「そんな、大丈夫ですって。酔っ払いなんてよくいますから」
「それは理由にはならない。もっと早く私が敵の接近に気づいていれば」
「あ、あの、ここ戦場じゃないですからね?」




「あ、たぶん、もうすぐですね」
「そうなのか?」

今の魔王城はこの場所からそんなに遠いところなのだろうか、とドーツェは心配になるが自分が今動いても仕方のないことだと理解して壁に背を付ける。先ほど千穂が絡まれたこともあり、ドーツェは辺りの気配に敏感になっていた。

「ん、芦屋さーん」

千穂が声をあげて手を振るからそちらの方にドーツェも視線を向けると、記憶にある姿とは異なる、しかし面影のある人間が走ってきていた。くすんだ銀色の髪にはっきりとした金眼。

「佐々木さん、と、……ドー、ツェ」

そしてその声は多少違っていてもあのお方の声だと、確信した彼女は膝を着こうとして、出来なかった。

「ここでそういうことをするな」

下げようとしたドーツェの体は芦屋に腕を掴まれたことで中途半端な体勢になる。とりあえず大人しくそれに従ってしっかと立ち上がった。

「しかし私に傅こうとするということは、やはりお前なのだな」
「はい、久方ぶりとなりました。アルシエル様」
「あぁ」

記憶に残っているよりずっと饒舌なアルシエルに対して違和感を覚えつつも、ドーツェはそれ以上に幸福感を味わっていた。

そして会話に加わってはいないとはいえ、身長の高い二人の近くにいる千穂に話しかけようという一般人はいない。

「よく、よく生きててくださいました」
「私もお前が死んだと思っていた」
「返す言葉もありません」

ドーツェはそう思われていても仕方のないことだと、いや、切って捨てられても相応だと考えていたからその言葉だけでも嬉しくなる。

「よかったですね、ドーツェさん」

そう可愛らしい声が傍らから上がり、芦屋もドーツェもそちらを見た。

「もう大丈夫そうですし、私はこれで失礼します」

丁寧に頭を下げた千穂に対して悪魔二人は、しかし悪魔らしくないことを口にする。

「送っていきます」
「送って行こう」

その息の合った主従っぷりに千穂はまた微笑んだ。




「本当にお前は運がいいな。最初に佐々木さんに出会えるなど」
「それは実感いたします」
ドーツェさんって、芦屋さんの部下、なんですか?」
「えぇ。我らをその硬き意志と肉体で率いて下さったのがアルシエル様であり、そして同時に私を救って下さったかけがえのないお方で」
「……ドーツェ、その辺りにしておいてくれ」




千穂と悪魔二人は道中職務質問もされずに、10分足らずの道のりを歩いて無事に家へと送り届ける。手を振って家に入ることを見届け踵を返すと同時に、さて、と芦屋が口を開いた。

「生きていたのは喜ばしいが、何故お前がここにいる」
「あ、申し訳ありません。お話いたします」

歩き出しながらドーツェは起きた出来事を順番に話していく。ゲートが起き抜けの一人の時に見つけたこと、それに無理やり吸い込まれたこと、引き返そうとした時には既に崩壊が始まっていたこと。それを聴きながら芦屋は妙な違和感を覚えるが、情報が足りない状態で言うのは憚られた。

「そして、佐々木殿に出会い、察してくれた彼女が連絡をしてくれたのです」
「なるほど。大体は理解した。一番の問題はそのゲートが何者によってつくられたのか、ということか」
「いきなりのことで魔力由来か聖法気由来なのか気を回す余裕がなく……」
「それがわかれば手がかりになりえたが仕方がない」

無事でよかった、と芦屋はドーツェの頭を軽く撫でる。それは真奥の千穂への仕草が映ったせいかもしれないが、撫でられた側はその行動の意味がよくわからず首を傾げた。

「あぁ、それと」
「はい」
「懐に何を仕込んでる」

言われて素直に荷物を片手で支えながら、もう一方で軍服の前を開けて緑石を取り出した。魔力蓄積で仄かに光り輝くそれは、しかし街灯のある現代では目立たない。

「魔石か」
「はい。私が作ったので、あまり中身はありませんが」
「それでもお前を通すゲートぐらいは開けるだろう」

安堵したような声音と共に芦屋が懐にまた隠すよう手を振るのでドーツェはそれに従った。

「私ではゲートを開くことは出来ないからな、魔王様にも元気な顔をお見せできるだろう」
「……はい!」

そう嬉しそうにする部下を眺めつつも、芦屋は突発的に魔界で開いたゲートに関して考えを巡らせ始めた。




「時にアルシエル様」
「どうした?」
「その、失礼かもしれませんが」
「構わないぞ」
「……よく、喋られるようになりましたね」
「……」
「こうしてアルシエル様と並んで会話する日が来るだなんて思っても見なかったので、とても嬉しいです」
「……お前は昔からそうだな」

アルシエルが思い出すはサタンに連れられてきたぼろぼろの姿。寝藁を整え魔力を与え四肢を回復させたあの日々。そしてそれからよく従ってくれたと思う。マラコーダを迎える前にあった不可避の戦いに於いても、良き牙そして盾としてそこにいた。

そんな会話の中ドーツェは足を止め、釣られ芦屋も歩を休める。あの、という意思と方向がはっきりした声が宵闇の中で芦屋の元へ届いた。

「私をまた、貴方様の牙にしてください」

再度の誓いを立てる言葉が夜の中に舞う。実直なそれは芦屋に笑みを齎した。

「私は自ら牙を折ったつもりはない」
「……そう、でした。勝手に申し訳ありません。アルシエル様」

けれど浮かぶ表情は悔悟ではなく至福。
心続けた矜持と支柱への変化無き安堵。

「……」

今はもうあまり真奥や漆原には呼ばれなくなった音をドーツェはいとも簡単に、何でもない事のようにつくる。人間の敵である魔族と言うだけではない、豪族の長であり、そして魔王軍の東方攻略軍知将の影を濃くする音。

それをアルシエルは自覚しつつも、決して言いはしなかった。

「あまりゆっくりしていると漆原が何をするかわからないな」

日常に寄り添うぼやきは二人の歩調を速くする。

「それでは新生魔王城へ」
「あぁ」




魔王城への道を辿りながら芦屋とドーツェは偶然にも同時に空を仰ぐ。

たとえこれからまた世界が異なり空が繋がっていない場所に離れるとしても、それでも生きてくれているという事実は確かに二人の心を潤した。

2014/02/20
シーク/闇の眷属主 2359字




「なぁ」

平和になった王国の、王城近くの切り立った崖の上に座りながら私は一人声をかけた。誰かの姿はないけれど、そんなものあの影に言わせれば意味のないものらしい。

「そこにいるんだろう?」

すると岩間から姿を表すは光の従者。我らが姫君の影だ。

「まったく、本当に平和になってしまったね」

いきなりこの地に現れた勇者は、森を救い火を浄化し水をあふれさせ闇を切り払い魂を敬った。七年。七年だ。少年にとって酷く大切な年月を女神様は彼に支払わせ、そして、それをなかったことにした。

三神論者ではない私から言わせれば、あまりにも哀れな結末だ。まぁそんなことを言えば、隣の相手から刃がふるわれるだろうことはわかりきっている。神の否定は引いて姫様の否定となる。言ったとして黙って殺されるような義理もないのだけれど。

「……あまり、話しかけないでくれないか。ボクは影だ」

影だ、と事もなげに呟いた従者の言葉が耳障りだった。

「……影ならば何故君は実体を持つ」

私が立ち上がり問いかけると、彼は布に覆われた向こうで言葉を落とす。無用の長物だね、と。

それがあまりにも腹立たしくて、襟元を掴み壁に叩き押し付けたのにしかし抵抗はない。手が震え唇がわななき酷く哭きそうになる。

彼は変わらないのだ。変われないのだ。あまりにも濃すぎる影は、何を混ぜても変わらない。変えられるのはたった一人、たった一つの概念だけ。

「影だと言うのならば、すべてをここに置いて行けばいい」

君がどこかへ行く必要性なんてどこにも、と続ければいままで無抵抗だった相手は、掴む私の片手に手を添え、強く握る。まるで私の骨を折りたいかのようだ。それでも離したくなかった。

「ボクは行くよ」

そう言われて、私は、我らが姫君をはじめて、はじめて────。

「……っ」

彼は姫の隣に立つことにした。
彼女がそう望んだから。
光にそう望まれたから。

たった、それだけ。
それだけであの方は。







「君はずっと王家の影なんだろう?」
「不要になるか、死なない限りはね」
「そいつは頼もしい」
「そっちはどうなんだい」
「まぁおそらく私も、王国の闇だ」
「そう」
「闇でなくなれば君が殺すだろ」
「そうだろうね」
「頼んだよ、影の君」
「……了解しておくよ」







「……っ」

彼女が唇を噛みしめた瞬間、ぐるりと回され地面に背中をつけさせられる。回避は出来ただろうけど、する気もなかった。

「何で! 何で君は行ってしまうんだ! ずっとここにいるって言ったじゃないか!」

そう叫んでボクの首に手を掛ける彼女は、確かに涙なくとも泣いていた。ここまで感情を露わにした姿を見たことはなかったけれど、しかしそれがボクが抱いている彼女の印象から外れているかと言えば、意外なことにそうでもなかった。

「すまない」
「影が、君が、光の中で生きられるわけないじゃないか……!」

裏切られた、と瞳に感情を映す彼女の言葉はすべて正しいし、これは仕方のないことだ。ボクは光にこの手を伸ばしたのだから。

「……すまない」

それしかもう言うことは出来ない。ボクは昔、ずっと影の一族として彼女の傍にいると言った。しかし光に望まれて舞台へ出た。知恵の神の力を賜った彼女と、闇の眷属として堕ちたこの子。比べるべくもないとはいえ、それでも確かにボクはこの子を裏切った。どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。

「影として私を殺すと言っただろう!」
「……出来なくなった」
「そんなことはわかっている!」

約束をしたこと、そしてこの選択を後悔しているわけじゃない。けれど人形で……本当に徹頭徹尾、影であったならばボクはあんなことを言うべきじゃなかった。約束と言うものは人間がするものなのだから。

「……これが、王家の影の答えか」
「あぁ」
「……」

影は光の中では生きられない。それは真実だ。けれど光が無ければ影は存在も出来ない。そしてこれは光にも言える。だから。

「ボクは彼女を生かすために、ボクを殺すんだ」

すると首から手が離れ胸を叩かれる。不意の衝撃に僅かな息を漏らせば、そう大して動いていたわけでもないのに彼女の呼気は上がっていて、肩で息をしているのが容易に見て取れた。普段であれば目の前にいる相手はそんなものを他人に簡単に悟らせるわけがない。

じゃあこれは誰なんだろう。

震える拳は憤怒か慟哭か憐憫か。あらゆる感情を捨て去ってきた彼女はいま何を心に置いているのか。

「君が、王家を」
「違う、彼女をだ」
「……っ」

正せばまた胸が叩かれる。だけど力はさっきよりずっと弱かった。言葉にならない声が零れるのを噛みしめ、言葉は続く。

「……あの御方を、光の世界で生かし死ぬと、そういうのなら」

震える台詞は嗚咽をはらんで世界に落とされる。

そこで彼女は拳を解いてボクの胸に五指を開き当て、やっと顔をあげた。闇の中で散々と見たその獣の瞳は、しかしやはりボクの知っている物ではないような気もする。

「私が、君を生かそう」
「────」

あぁ、そうか。

ボクは光の影となるため光へ手を差しだした。そして今、彼女は決して光が当たらない影となろうとしているのだ。一層暗い、深い、昏き者として。それは特定の誰かの影ではない、おぼろげな王国の闇であった彼女からは想像もつかない。だから変わったように見える。いや、もしかしたらこちら側だから見えるものもあるのかもしれない。

ジャッゼ
「……なに」
「君は本当に」

愚かな影だ。 とは言わなかった。

「ずっと、その場所にいる気なのかい」
「そうありたいと願うよ」
「わかった」

何故ならば、ジャッゼの光となるボクもまた、愚かなのだから。

「それじゃあ行こう」

境界線上で手をねだる。

「……」
「ボクを生かしてくれるんだろう」

彼女がした選択により彼女はボクの手を取らざるを得ないし、ボクは手を差しださねばならない。

それが、昏き者の歩む道なんだ。

2015/08/27
モーファ(時オカ)/カカリコ村一般人主 2960字




井戸はとうに枯れ、村人たちは近くの川へと足を運ぶ。以前であれば夜明け前に村を出るなど到底生存が許されたものではないが、城下町が魔物に占領されてからは何の皮肉か夜の平原に魔物がいづることは無くなった。

時の王は殺害され、王女は逃げ、村を興した人物も消息知れず。日々が賑わい美しく人の営みが行われていた城下町は破壊され見るも無残な状態となり、人の血が染み込んだ泥がひとりでに形を作り悲痛な叫びで以て道を封鎖する。命からがらに道を抜ければ亡霊が嗤って祝福し、開けた視界の向こうで黒雲に覆われた城が顕わるる。

これはそんな時代のお話。







コッコが鳴く夜明け前、桶を片脇に持った人影ひとつ。七年前の城下町で起きた戦いから運よく逃げおおせた一人だ。

彼女は水際に膝をつきその冷たさを桶に汲もうとした、その時、顔をあげ源流に近い崖へ視線を滑らせる。今日は何処かしら水の流れが違うことを掌から感じたのだろう。

何を考えたのか、空のままの桶を持って膝を土から離しそちらへ歩いて行く。彼女が近付いた淵の底に、見慣れぬものがたゆたっていた。赤い色。自然界にあふるる色。しかしそれ故に、その美しさが際立った。

「────」

水底と視線が合ったような気がした。
それだけで彼女にとっては十分だった。

彼女は思案する暇も見せず、桶を水際に置いて革の靴を脱ぎ、少しでも動きやすいようにとスカートの端を結んで、桶と共にその身を水へ入れる。夜明け前の冷たい水に体を震わせながら、息を吸い水底へ潜った。触れるは粘体。欲するは赤。

核にふれ、極力それに自らの体温を接さないよう桶へ招き入れる。赤いそれは彼女の手が触れた時、僅かに身を震わせたが、拒む様子はない。そんな姿に気を良くしたのか彼女は鼻歌を歌いながら、核が流れ出ないよう気をつけつつ川の水と一緒に赤を汲み終えた。

桶を川際に置いて体を水からだし、ふぅ、と一息つくように顎からしたたる水を手の甲で拭って大雑把に衣服を絞り水を出す。ばしゃりと土が湿った。桶を両手で持ち上げ片腕で抱え直し、もう片方で脱いだ靴を拾う。

胸に抱えた桶をまるで宝物を見つけた子供の様に大事そうにし、彼女は大半の村人が寝静まる中を静かに駆け自分の家へと帰った。




帰宅して足の形に床の色を濃くさせながら何かを物置から持ってくる。軽く拭いたそれを窓の近くにあるキャビネットの上へ置いて桶の中身を移した。まるい、口元がかるくすぼまった器だ。球ではないが、球に近い。

赤い核が透明なまるい鉢に入った光景を満足そうに眺めた彼女は、ひとり笑いながら頷いてまた桶を持って外へ出た。おそらく最初にやろうとしていた水汲みをしに。




暫くして、コッコが鳴いた。夜が明けたのだ。窓から差し込み始める光の中、赤い核はようやく家事を行う彼女の顔を認識する。彼女も彼がそちらを見たのが分かったのか、部屋の掃除をしていた手を休め鉢に近付いた。もう服は着替え、髪は乾いている。

「おはよう」

鉢に手が触れ、少し表面が曇る。その手に寄り添うように核は動き、彼女の言葉に応えるかのごとくふるりと体を震わせた。近付いたゆえに反射して核の『赤』が彼女の頬を彩ったまま、人物は嬉しそうに笑う。それが、その表情が、核にとっても嬉しかった。

「おーい、セルカ」

すると、こんこん、と家の扉をノックする音と共に外から声がする。

「はーい。今いく」

セルカと呼ばれた彼女は鉢から遠ざかり、玄関の方へ。赤い核はそちらの方へ視線を向けるけれど、ドアが死角となって上手くは見えない。諦めて水の中でたゆたゆと天井を見上げ、陽のあたたかさに身をゆだねた。




「……あれ、寝ちゃった、かな?」

少女が配達の野菜を受け取り金銭を支払い鉢のところへ戻ると、水にきれいにくるまれるように赤い核がぷかりとたゆたっている。まるで微睡んでいるようにも見えるそれは彼女を微笑ませた。

「君は不思議だね」

ぷかぷかと水の中に浮かぶ赤い核をそう表現し、彼女はスカートを翻しまた家の外へと足を運んだのだ。




核が水に身を預けてからどれくらいが経っただろう。陽の光はもう天頂を越えて山間に消えていきそうに見える。

辺りを見回すようにゆるりと核を動かせば、お目当ての人間が視界に入ってきた。核とは言え、全方位視覚ではない。だからこそその人間の少女がそこにいることに酷く安堵を覚えた。

「えっと、起きた?」

人間の言語を解せはするが話せはしない核は、それでも伝わるであろう確信を持って頷く。核を縦にゆるやかに半回転させる。すると少女が笑った。煌めいた。

「あ、そうだ」

ぱたぱたと走り出した彼女は、ぱたぱたとまだ戻ってくる。手に野菜や何やらを抱えて。

「君は何を食べるの?」

問われ差し出された、赤い太陽のような丸い野菜。縦軸半回転。緑色の菜っ葉が大きく豊かな野菜。縦軸半回転。次々と出される野菜、すべて縦軸半回転。

「……ん、んー」

困窮も極まりし声で人間の少女は呻いた。キャビネットの影に表情が隠れてしまい、懸命に覗きこめど、視えはしない。けれどある瞬間、何かに思い至ったのか、眉間の皺がとれた顔で核を見上げる。

「……もしかして、水、だけ、とか?」

その答えに、核はぱしゃりぱしゃりと水鉢のなかで上機嫌に水を跳ねさせた。どうやらアタリらしい。異種族だと言うのに、核の言葉を解せないというのに、どうして生物かどうかも疑わしい奇妙な赤に言語が通じると思っているのか。

「じゃあ一日に一回、どんなに寒くても汲んでくるね……あ、でも冬の冷水なら一日家に置いておいた方がいいのかな」

それでも『そうだからそうなのだ』という精神でいてくれて、今もこれからのことを考えて頭をひねっているこの少女が笑ってくれているのであれば、それでいい。そう核は思考を水に溶かした。







時が流れ、鉢が置かれた窓から見える景色はいわゆる秋のそれになる。木々葉々は色づき、人々の衣服が半袖から長袖などになる時期だ。ご多分に漏れず核を拾った家のあるじも手首まで覆う服を着ている。しかし今日は暑く、肘までまくっているのだが。

彼女は約束違わず、毎日きれいな水で核を包んでくれる。来る日も来る日も、楽しそうに、たまに一緒に川へ遊びに行ったりしながら。

そんなあるじは現在不在の家の中、水鉢で微睡む核はしかし急速に覚醒する。外から馴染みのある足音が聴こえてきたからだ。配達の男でも、薬屋の男でも、コッコに触れない女でもない、この家の人間。女神の直接の恩恵を受けることはないただ普通の少女。

五歩、四歩、三歩、二歩、一歩。

カウント通り、上機嫌な声でただいまが告げられる、そうして特に上機嫌な足音は真っ先に核へ近付いてきた。

「ね、きれいな色じゃない?」

鉢が置いてあるキャビネットの前、膝をついた少女が彼に見せたのは一枚の葉。綺麗に末端に至るまで紅く色づいたもの。何が楽しいのか、彼女は葉柄をつまみくるりくるりと裏と表を何度も返す。

「君と同じ色だから思わず持って帰ってきちゃった」

そう嬉しそうに笑う人間の少女に、今日もまた魔物である核は寄り添いふるりと体を震わせるのだ。







これは、何もないとある村の日常。

戦いから逃亡した愚かな魔物の末路。
その戦いを知らぬ矮小な少女の人生。
なんの偶然かそれらが交わった一時。

しかしそれでも────それゆえにか、彼らは幸福だった。

2016/08/23
轟焦凍/同学年人魚主 6390字




夕方の橙が射し入る校舎。
薄暗く、影が出来つつある廊下。

一人の少年が図書館での調べ物を終わらせ、特別棟から自身の教室へ足を向けていた。
すると、ひたりひたり、何かが水音を伴って這う冷たい音が背後から聞こえ、若干ではあるが背筋を強張らせる。怪奇現象に対して特段弱いというわけではないが、逆に極度に強いというわけでもない。

学校の怪談なんてものは、大概が誰かの個性に尾鰭がついたものだと言うことは大半の人間が理解して、その上で噂にしているのだと誰もが分かっている。このご時世、個性で説明できないことは殆どないのだ。

しかしひたりひたりと響く這う水音はおおよそ学校生活には不似合で、だからこそ轟の警戒心を撫でるのには十分だった。馬鹿馬鹿しいと一蹴することも出来ず、軽く身構え右手に緊張を走らせる。

近づいてくる音に耳をそばだてながら曲がり角をじっと見つめると、すっと伸びてきた白い左手。雄英の制服に身を包んでいることが分かる灰色にラインの入った袖口。次いで見えた右手も同じく。そうしてリノリウムの床を指先にひっかけて姿を現したのは、頭から現状視界に入る腰までびしょ濡れになった女子生徒だった。

夕方、人気のない廊下を這う濡れねずみの女子。
これが怪談と言わずに何だと言うのだろうか。

あまりのことに脳内の処理が追いつかずに轟が立ち尽くしていると、相手の方もそれに気が付いたのかびくりと肩を震わせ腹這いを止めた。影落ちる廊下の真ん中で物言わず立つ人影と言うのもだいぶ気味が悪いのだが、そのことに少年は気付かない。

そこでお互いの視線が薄く交差し、とりあえず"生きている人間"であることを確認したのかほっと二人同時に息を吐いた。

「す、すみません。横失礼します……」

言いながら、バツの悪そうな顔をしながら両腕を懸命に使って腹這いのままずるりずるりと。横を通るために向かってくる少女の背中には上靴と引き千切れた黒い布が鎮座している。そして、スカートから覗く筈の足が、なかった。

いや、正確には『足は』なかった、と表現するべきなのだろう。何故ならば彼女のスカートからは魚の尻尾とも言える様な形態の物は覗いていたからである。おおよそ陸上歩行には向かない、現代社会に於いては特殊対応が必要な形だ。
青を基調とした鱗はしかし夕方の光によってきらきらと輝いて不思議な色合いを見せる。銀色のような、金色のような。

そんな床に腹をつけ制服が汚れることももう構わないとしたその姿に呆気に取られた轟は、しかし直ぐに、おい、と声をかけた。

「どうしたんだ」

問いかけられた相手は、床から数十cmのところで轟を見上げる。首が痛くなりそうな角度だな、と思ったところで片膝をついた。

少女は言い難いのか僅かに変な方向へ表情を動かし、数瞬して口を開く。

「……色々あって、私の個性が暴発してるだけです」

そんな分かりきったことを。

「まぁ、そりゃそうだろうな」

上履きを背に載せていることから、普段は二足歩行をしているのだろうということは明らかだ。であれば何かしらの事故・事件によって彼女がこうなったということも明白な話。しかし本人が取り乱さずにこうして言い切るのだから、校内で何某かの個性事件が起こったわけではないようで、一つの懸念を胸の内から削除する。

「目的地まで連れてく。どこだ?」

彼女の移動速度では教室が集まる普通棟などが目的の場合、とうに日の暮れそうなこの場所が本当に日が暮れてしまいかねない。
提案の言葉を受け取った彼女は僅かに希望を持った表情を見せたが、すぐに自分の姿に視線を落としてから首を振る。

「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

その視線が何を捉えたのか、轟は見逃さなかった。ここまで短くないだろう距離を匍匐前進で来た彼女の制服はとうにぼろぼろになり、綿埃がそこかしこに付いてしまっている状態だったのだ。加えて何故か濡れていることも、彼女が断る要因の一つだったろうことは想像に難くない。

歩けない人間を身一つでどこか別の場所へ連れていく場合、バランスの問題でどうしてもどこか体は密着する。それは横に抱き上げる形だろうと俵持ちだろうとファイヤーマンズキャリーだろうと変わらない。それを申し訳なく思ったということだ。

「……触られるのが嫌なら仕方ねえけど、濡れるとか汚れるとかなら気にしなくていいぞ」

困ってそうな奴がいたらそっちが優先だ、と言葉を続けると少女のガラス玉のように透き通った瞳が、濡れた髪の間から真っ直ぐと彼をみる。そこでようやく、視線があった、と思った。

しかしため息をついた少女は手で床を押して状態を起こし、自分の前面が良く見えるように腕をゆるく広げながらブレザーを言外に示した。

「さすがにこれは汚れる汚れないってレベルじゃないですよ」

灰色のブレザーは水と埃で黒く染まり、特に胸から腹の辺りは酷い有り様だ。脱いで這うことももちろん考えただろうが、背中に多くの荷物を載せては上手く這えないと取捨選択したのだろうと轟は勝手に納得する。納得して、そうして、手を。

「わっ」

断る理由にまず汚れを示す辺り、こんな状態でも人を気遣ってしまうタチなのだろう。そしてこんな状態だというのに手を伸ばすこともしないあたりかなりの不器用か頑固者だ。だが真っ先に嫌だと言われなかったのだから轟が遠慮をする必要も、救けない理由もない。少女は知らないかもしれないが、この少年も中々の頑固者というか、信念の強い人間であるのだから。

そうして落ちていた靴と布切れを器用に拾い上げ歩き出す。じわりと背中に回した左腕が湿るのがわかっても、腕を緩めるつもりは毛頭なかった。

「あ、あのっ」

焦ったように尻尾が跳ねる。そういえば普通に抱えあげちまったけど関節とか大丈夫なのか、と彼が気がついたのはその段になってだ。しかし特に痛そうな表情でもなかったので疑問は脳内で却下した。

「どこに行けばいい」

半分が魚ということもあり冷えた体といえども簡単に暖める訳にもいかず、体温はそのままに行き先だけを問うと相手は諦めたのかバランスを取るために体を寄せてきた。

「……保健室、お願いします」

告げられた行き先にやっぱり具合が悪いのだろうかと轟が表情を横目で覗いたが、顔色は疲れが見てとれる以外は問題がないように思えた。

「足、熱くねえか」
「え?」
「魚って人間の体温でも火傷するんだろ」

思いきり触っている状態で訊くような話ではないかもしれないが、一応。

「その辺は、大丈夫です。42℃のお風呂も入りますし」

濡れた髪の毛を轟のいない方に寄せた少女はそう答え、煩わしそうに張り付いた前髪を整えた。
42℃。すこし熱いぐらいの湯温ということは、多少体を乾かすために炎熱を使用しても問題ないと判断する。モップ状態になっていた前面はともかく、背中を多少乾かすぐらいは大丈夫だろう。

「何が起きたんだ?」

特別棟三階から普通棟一階はそれなりに遠く、エレベーターにたどり着いたとしてもこの状態ではパネルが押せるのかも怪しい。それでも彼女は助けを呼ばずに自分でどうにかしようとしていた辺り、自身の過失によるものなのかもしれない。

「……理科委員だったので特別教室の整理をしていたんです」

理科委員になったことのない轟は、そんなこともするのかと内心驚いた。そもそも授業上がりが遅いヒーロー科生徒は授業前の準備を手伝うことはあれど、放課後に残って何か作業をするということは頼まれにくい。つまりこの少女は他科の生徒ということだ。ブレザーの作りが多少異なっているとはいえ、そんなことを特に気にかけながら生活をしていない彼はようやくそれに気がついた。

「そうしたら、いきなりスプリンクラーが壊れたのか作動して濡れちゃって。濡れると足が魚になっちゃうのでこんなことに……。一応は止まったのでそっちはまぁ一先ず大丈夫だとは思うんですが」

話を聞きながら、なるほどこの布切れは靴下の残骸かと合点が行き一人小さく頷いた。しかし話を聞く限り、少女に非があるようには思えなかった。

「携帯、教室の鞄のなかで、先生もいなくて内線も手が届かなかったので」

疑問を見透かしたように答えが腕の中から湧いて出る。なるほど、どうしようもない状態だったということだ。

「俺が通りかからなかったら自力で保健室まで行くつもりだったのか?」
「いえ、数学の13号先生はこの時間も教官室にいるのは知ってるので、そこまで行こうかと」

それでもずいぶん遠い道のりだ。着いたときには制服はボロボロになってたことだろう。今でもだいぶ危ないわけだが。

「なので、その……ありがとう、ございます。凄く助かってます」

断った手前言いづらいのか、つっかえながら感謝の言葉が落とされる。

「教室に向かうついでだ」

そう返してから、重さが手に馴染み訊きたいことは聞いたと歩調を早め夕暮れの廊下を進んでいった。




保健室にたどり着くと白い手が扉を開ける。二人が中に入るとしんと静かで、すぐにリカバリーガールが出てしまっていることに気がついた。開いているということは帰ったというわけではないだろう。職員室に行っているのかもしれない。

そこまで思考を巡らしたところで、とりあえず近くの長椅子に座らせ棚からタオルを出して少女に渡す。すると濡れたタオルを頭から被り、もう一枚もらえますか、と。轟が頷いて渡すと、彼女は尻尾を折り曲げ、尾びれから丁寧にタオルを強く当てながらぬぐい始めた。それを見て、あぁ、と少年は理解する。濡れたら足が魚になるということは、乾いたら人間の足になるということ。

「乾かすのか」
「はい。体操着に着替えるにしてもこの状態じゃどうしようもないですし……あ、ここまで本当にありがとうございました」

改めての感謝の言葉で暗に帰宅を促されたことに気が付かなかったわけではないが、気がつかなかった振りをして丸いパイプ椅子を近付け座った。

これが昼休みであったり、リカバリーガールがいたり、日が暮れかけていたりしなければ、それに従ったかもしれない。

「……あの?」

しかし現実、夕方も宵に差し掛かろうとする時間。閉門までもう間がない。こんな状態の生徒を追い出すことはしないだろうが、女生徒一人を置いていくことは憚られた。

「乾かすなら手伝う」

言葉の意味をわからせるために、濡れたタオルへ手を伸ばし瞬間乾燥をさせる。人体であればこうまで簡単にはいかないが、それでもタオルで拭って乾くのを待つよりはずっと早いだろう。

「えっ」

言葉と行動に驚いた相手は乾いたタオルを胸の前で握って硬直し、次の瞬間、いやいやいやいや、と首をふって拒絶を露にした。

「大、丈夫、です!」
「って言ったって替えのタオルすら届かねえだろ」
「もう日も暮れかけてますし!」
「なら尚更だ」

分かりやすく、墓穴を掘った、と言わんばかりの表情をした彼女が面白くて、轟は思わず笑いをこぼす。

「乗りかかった船だ」

言いながら膝を進めると、相手もいろいろなことを理解したのか尻尾を轟のそこに乗せた。羞恥心でか赤くなった顔を乾いたタオルで隠し、鱗を撫でる手に時おりタオルを握る拳が強くなる。

「す、すみません……ヒーロー科の方にこんなことしてもらってしまって」
「別に構わねえ」

というかむしろヒーロー科だからこそ、なのではあるが、普通科にとってヒーロー科というものは遠く四科のなかで極端に接点がない。ゆえに今の言動も理解できる話ではある。

「しかし濡れたらこうなるってことは、雨の日とか大変だろ」

もしかしたら登校自体しないのかもしれない。

「それに関しては心配に及びません。基本的に水は弾けるんです」
「?」

徐々に手から伝わる鱗の感覚が薄くなってきて、鈍色の向こうに透き通るような形でうっすらと肌の色が見え始めた。

そこで普通科女子は未だ濡れたままだった髪の毛を片手で器用に絞り、水滴を掌に落とす。落ちたそれは中空にとどまり、手の動きに合わせて移動する。

「母と父の個性が複合した結果、ある程度であれば水はこう出来ます」
「でも濡れたんだな」
「スプリンクラーの故障を察知してそれを弾くなんて真似、さすがに反射神経が足りませんよ」

肩を竦めながらそう返されて、それもそうだなと頷く。体育祭で麗日と戦った時の爆豪のような、上から降ってくるものを完全に見てから対応できるというのはそれだけで才能だ。

「お」

そんなことを話していたら、ぴちり、ぴちち、と何かが裂ける音がし始め、手元に視線を落とすとまっさらに繋がっていたそこが僅かに離れ始め、人の足のカタチに変貌を遂げた。

白く、ほっそりとしたそこは夕陽射し込む保健室のなかで確かに輝いて。

「あ、あの、本当にありがとうございました」

スカートがめくれないように裾を押さえながら、普通科の少女は轟の脚から自分の足を退かした。足でも尻尾でも、彼女にとっては下半身には違いなく、だからこそ男子の一部に預けるというのはどうも憚られたのだろう。そのことに今さら気がついたものの、いま謝罪するのは何かが違う気がして口を噤んだ。

少女は恥ずかしそうにしながらも轟を責めることはせず、素足に上靴を履かせて立ち上がる。近くの机にあったペンとメモでリカバリーガールへタオルを使った言付けを済ませ、彼女は始めての表情を見せた。

「無事に帰れそうです」

埃だらけのブレザーで、ぐしゃぐしゃになった髪の毛で、それでも笑った彼女に、どこかじわりと、背骨の辺りを撫でられたような気がした。

「体操着、持ってるのか」
「はい。今日は運良く体育の日だったので」

保健室から出て、二人で教室へ歩き始める。さっきまで夕陽が出ていたというのに、一瞬のうちに陽は陰り、暗くなっている。もう閉門まで20分もない。

「帰り、駅までか?」
「はい、そうです」

手櫛で軽く髪の毛を整えた彼女は轟の言葉に頷く。

「では、普通科はこっちなので。今日は本当にありがとうございました」

廊下の分かれ道にたどり着いて、ぺこりと頭を下げる。

「……校門で待ってていいか」

そこで、初めて相手の意思を問うた。何故だかはわからないが、問うべきだと思ったのだ。

「え?」

きょとんとしたガラスのような瞳が、またまあるく轟を見る。あどけない、幼さを際立たせる表情だ。

「俺も駅までだし、ここの前の坂道、案外街灯足りなくて暗いだろ」
「……」
「変なことはしねえ、し」

どうしてだか声が上擦るような気がして、ゆっくり喋ったら代わりにどもってしまう。よくわからない羞恥心が心臓と顔を襲ってくるのを何とかいなしながら待っていると、相手は頷いた。

「じゃあ、お言葉に甘えて、よろしくお願いします」

背中で手を組んだ彼女がそう笑って、手早く着替えてきますね、とスカートを翻して向こうの廊下へ消えていった。

熱のたまる顔を、この暗さで気が付いてくれるなと願う轟を置いて。




そうして結局、普通科の少女の乗換駅まで一緒となり、他愛ない話をして二人は別れる。

途中でようやくお互い自己紹介した時、轟のことに驚いていたのは面白いとしか言いようがなかった。思わず笑ってしまった轟を、笑わないでください、と軽く叩いてきた彼女が同じ年齢だと言うのにどうも可愛く見えてしまったのは、錯覚ではないだろう。




家に帰るとまだ誰も帰ってはおらず、帰宅の作業をしてからごろりと畳の上に体を投げ、瞼の上に手の甲を預ける。時折幻想のような表情を見せる彼女の姿を仄明るい暗闇の中に描き、ふと気がついた。
彼女の個性は、まだ幼稚園に通えていた頃に女子の間から漏れ聞こえていたお伽噺の存在そのものなのだと。

人魚姫。
想い告げられず泡となって消えた女性。であるのならば、自分のなかに宿ったこの熱も、泡となって消えてしまうのだろうか。

そこまで考えて、轟は自分の感情に気がつき、そうして笑いをこぼした。

(人魚に恋をした男の物語はない筈だ、と)

2017/07/04
爆豪勝己/同学年経営科主 6717字




「こんにちは! 爆豪勝己さんはいらっしゃいますか!」

体育祭や職場体験が終わったある日の休み時間、一人の女の子がそう言って教室の扉を開け放った。

呼ばれた本人、つまり目の前の席に座るかっちゃんといえば、覚えがないのか、あぁ?と反応を返している。それに怯むこともなく、何かファイルを持って窓際まで走ってくる女の子の制服は、ヒーロー科のものでもサポート科のものでもない。

「初めまして、私は1年J組経営科の幕見頃合と申します!」

たまたまいなかった葉隠さんの机にファイルやタブレット端末を置いて自己紹介する内容は、今のところ僕らと縁のないものだった。

経営科。通常、体育祭では殆ど裏方やシミュレーションに従事しているし、ヒーロー科と関わるのもサイドキック入りが濃厚になって動き始める三年からだって話は、少し聞いたことがある。一年二年はお互い勉強している身だからってことと、三年になってようやく現実味を帯び始めるからというのがあるんだろう。

「経営科ァ?」
「はい。私、体育祭で貴方を見て、是非!私にプロデュース、ひいてはマネジメントをさせて頂けないかと思いプレゼンを用意してまいりました!」
「要らねえ」
「では始めさせていただきますね!」

さっきからずっとかっちゃんは地の底から響くようなドスの利いた声だっていうのに、幕見さんはけろっとした表情で本当にプレゼンを始めてしまった。

「まず『爆豪さんがNo.1ヒーローになる』という目標を設定しSWOT分析……つまり強み、弱み、機会、脅威の四つに簡単な分類すると、まず戦況に応じて瞬間的な判断を下し行動できることとそれを可能にする身体能力や個性の強さ、しかし目標に対する一途さは柔軟な思考を阻害します。機会としてはこれから二年でインターンなどが見込め、脅威は現状雄英の一年体育祭一位ということで内部よりは外部の他校生の動向に注視したいですね」

持ってきたファイルをかっちゃんへ見せるように捲りながら、どんどん話は進んでいく。SWOT……あぁ、さっき言っていた四分類、Strengths・Weaknesses・Opportunities・Threatsの頭文字を取ってる手法なのか。経営科系の話は全然触ったことがないから、聞いたことのない単語がたくさん出てくる。でもちゃんと考えればわかりやすい。

「続けてSTP分析を行い、爆豪さんが一等輝ける市場の絞り込みを行ってみました」

明朗快活に喋る幕見さんの話を、案外かっちゃんは遮らずに頬杖をついて聞いている。驚いた。他人にマネジメントやプロデュースなんかされてたまるかって怒ると思ったのに。いや、でもわりと好奇心と言うか知識の吸収には貪欲なんだよな、昔から。僕の名前の別の読み方も真っ先に知ってたし。いや本当にあれ何で知ったんだ。今でもわりと不思議だけど訊こうとは思わない。

「と、以上のことから、爆豪さんはハッキリと強さを求めている方ですので、個人的にはその辺りを前面に押し出して行くことが良いのではないかなと考えました。……本日はここまでです。ありがとうございました」

全く別のことを考えていたらプレゼンが第一部終了したのかぺこりと幕見さんがお辞儀をするので、壁時計を見てみれば次の授業開始まであと二分といったところ。あぁ、ちゃんと時間考えてあったんだな、なんてどうでもいいことに感心してしまう。

「では!」

ファイルと端末を持って走り出すその姿を見送ることもなく、どことなく不機嫌なんだか不機嫌じゃないんだかわからない背中から圧を出すかっちゃんは、次の授業の準備をし始めていた。台風みたいな子、だったな。




「こんにちは、爆豪さんはいらっしゃいますか!」

その後日、今日も元気な挨拶をして勢いよくA組の扉を開ける幕見さん。次の授業の準備をしようとしていたかっちゃんは、盛大に、隠そうともせず舌打ちをした。

「この間は現状の把握だけで終わってしまいましたが、今日はこれから具体的にどのようなカタチで爆豪さんを推していくかと言うお話をしたいと思います!」
「うるせぇしなくていい」
「まぁまぁそう言わずに! 聞くだけならタダじゃないですか!」
「時は金なりって言葉知らねぇのか」
「語源的に考えればいま爆豪さんは学校に居て賃金を支払われる何がしかに従事できるわけじゃないので大丈夫じゃないでしょうか!」

『Time is money.』……たしかアメリカにいた政治家の言葉が元になってることわざだ。『時間を浪費することは、その時間で稼げた賃金を無駄にしていることに他ならない』そういった趣旨の言葉だったはずで、まぁ学校に来ている段階で当てはまらないとは、言える。でもそれは同時に『賃金をふいにするのだからその時間を有意義に使え』とも取れるわけで、日本ではこっちの解釈の方がメジャーだ。

ただそんなことをかっちゃんは分かってる筈で、火に油を注いだだろうことは、顔を見ずとも、いや背中だけでももうわかる。掌が爆発してないことがむしろ驚きだと言ってもいいぐらいだ。それはクラス全体が思っているみたいで、いつの間にかほとんどの人がじっと二人の動向を気にしている。

「それではこちらのスライドをどうぞ!」

だっていうのにそんなこと気にもならないといった風情でレジュメとタブレットを用いた怒涛のプレゼンが始まり、それは怖ろしいことに休憩時間終了1分前まで続いた。ちゃんと本鈴までに帰ること出来るのかな……。

「以上のことから、私は爆豪さんのプロデュースし必要であればマネジメントを行う手筈は整えています……と言いたいのですが表情を見る限りこれらはお気に召さなかったみたいですね。わかりました、次はもっといいものを持って来ます!」
「うるせぇもう来んな」
「それでは今日はこれにて失礼いたします!」

朗らかに言い切った彼女は来た時と同じように、勢いよく扉を開けて去って行った。口を挟む隙も、ない。機嫌の悪いかっちゃんを目の前にして自由に振る舞える幕見さん。あれはあれで何かの才能なんだろうなと僕は思ってしまった。




「さて今日は二十個ぐらい案を持ってきたんです!」
「来んなっつったろ!」
「いやいやそこで引いたら経営科の名が廃りますし、営業も重要です。それでは休み時間も短いので早速こちらをどうぞ!」




「爆豪さん! 先日コスチュームのデザインを担当された方とお話してきたので、その辺りについてすこし提案がありまして!」
「今日も来たのかはっ倒すぞ!」
「あ、本日も元気ですね! 私は嬉しいです! ヒーローは体が資本ですから丈夫な人は大好きです!」




「以上のことから爆豪さんのメリットもお分かり頂けたかなと思いますし、私にプロデュースをさせて頂けないでしょうか!」
「ねぇよ却下だ」
「いやー、今日もつれないですね。では、また後日!」
「来んな!!!」




そうして、ある日のこと。それはついに爆発した。

「というわけなんですが、Biscoの会社と提携し、『美味しくて強くなれんだよ!!』というフレーズを流行らせることによって、いま爆豪さんについている"凶悪"という印象を拭い去ることが出来るのではないかなと。加えてこちらの商品は過去にオールマイトもコラボしたことがあり、市民の方の覚えも────」

そこで、今までプレゼンをし切るまで止まることのなかった幕見さんの言葉が初めて、喉の奥に、押し込まれた。誰かが音にならない悲鳴を上げたような気さえする。

ある瞬間にかっちゃんが立ち上がったのだ。同時に片腕を振り抜く形で。

「てめェ、いい加減にしろよな」

顔面に掌底を喰らわすのかと不安になる速度で振るわれたそれは、けれど直前で止められていた。あれぐらい近いと視界が殆ど掌で埋まってるほどの距離。でも止まったからといってかっちゃんの個性の場合は安全だとも言い切れない。

「避けねぇのか。顔面ぐちゃぐちゃになっても知らねぇぞ」

一触即発。あんまりの緊張感に、飯田くんはおろか切島くんさえも、迂闊に近寄れない雰囲気になってしまった。

「……それは、爆豪さんのデメリットが大きすぎるので貴方はやらないと思います」

────そう、そうだ。かっちゃんは案外『みみっちい』。先を見据えていると言えば聞こえはいいけれど、あんだけ好き勝手やっているというのに、よくわからないところで自他の行動を制限するきらいがある。そんなことを気にするなら、もっと普段の行動も気にした方がいいんじゃないかというレベルの話だったりするんだ。いやこれは『そんなこと』じゃないけれど。

「……ちっ」

それを自分でも理解しているからこそ指摘されたことに腹を立てたのか、舌打ちと共に腕を落として、たぶんわざと机にぶつかって教室の外へ歩いて行った。衝撃で机に置かれていた紙束がざらりと散らかって行く。今日は慌てていたのか、ホッチキスで止められてなかった結果だ。

あぁもう、と僕の机まで来たものから順番に拾い上げよう椅子から立ち上がってしゃがみ、ふとプレゼンの目次が目に入る。

・簡易PEST/SWOT分析結果まとめ
・企業とのコラボレーションによる影響と経済効果、その具体例
・サイドキックからヒーローとなるための独立支援企業

エトセトラ、エトセトラ。
おそらく手ごたえを見て飛ばしたところもあるだろうそれら。

「あ、ありがとうございます。すみません」

こっちに気がついた幕見さんは急いで片付けていて、いきなりこんなことを訊いてもいいのかどうかすこし疑問に思った。けれど、どうしても気になってしまったのも確かな話で。

「ねぇ、この内容について訊いてもいいかな」
「え? あ、はい、どうぞ」

左右の机や椅子の下に入った紙を拾い上げながらも了承がきて、うんと心の中で頷いた。

「その、なんでかっちゃんを推していくのに、露悪的ヒーローな推し方が一切ないのかなって不思議で」

あれほどまでに暴力的な、傍から見たら恣意的で凶悪な開会式や閉会式を見て、なおも彼女は巷で言うところの『ヒーローらしい王道マーケティング』を彼に施そうとしているように思えたのだ。そう勘違いしているわけでも夢をみているわけでもないだろう。だってさっきハッキリと"凶悪"と表現したわけだし。

それに露悪的ヒーローな前例が、ないわけじゃない。例えばポイゾニングヒーローのような、個性と毒舌も相まっての毒忍者として、影と棘のあるキャラを前面に押し出して成功した事例もある。だからかっちゃんを押し出すなら、あの見た目と性格の一致に絞った方がやりやすいんじゃないかと、素人ながら思っていた。

「いや、幼馴染の僕が言うのも何だけど、かっちゃんてほら、人に直ぐ暴言吐くし殴るし爆発させるし、わかりやすいヒーロー像とはかけ離れてると思うんだ。それでも、幕見さんの提案はそういうことが一切ないなって」

傍で聴いていてもわかるほど、定めた目標に対してあらゆる方法を考えていた彼女のことだ。それを意図的に一掃しているのだろうということは直ぐに分かった。だけど理由は全く分からなくて、今回かっちゃんが聞くことすらなかったプレゼンの概要を見て、どうしても訊いてみたくなった。

すると紙を拾っていた彼女の手が止まり、瞳が、僕の方を向く気配。それに倣って顔を上げると、真っ直ぐで、ほんのすこし水が張り詰めたような瞳がそこにあった。

そうして、それを隠すかのように彼女は手元に視線を落として、持ってきていた資料をまた集め始める。訊いちゃ、いけないことだったのかな。

「……これは、私の想像……いえ、妄想かも知れないんですが」

今までのプレゼン中とは打って変わった、小さな声。うっかりすると資料を集める紙の音に消されてしまいそうなほどの。

「私が見た『爆豪勝己』という人は、もしかしたら尊敬する人……到達すべき目標にオールマイトを置いている可能性がある、と考慮した結果です」

オールマイト。その名前がここで出るとは思わなくてまた顔を上げたけれど、幕見さんは決して僕につられはせず、手元に視線は注がれていた。けれど、その指先はいつの間にか止まっていて、ちっとも動いてない。

「誰にも負けない。どんな状況でも立っている。不屈の闘志。最後になったとしても倒れることなき状況を可能にする自分。それはつまり、平和の象徴の一側面とも言えます。彼の病的とも言える『強さ』への執念はそこから来ているのではないか、と」

それは、彼女の情報収集の技量の高さ故の結論なのか、それと経営・運営をする人間に必要不可欠な勘と呼ばれるものなのか、あるいは合わせ技か。何にせよ、それを鑑みたうえでさっきの発言だったってことだ。偶々じゃない。

でもそれは、そのことは、かっちゃんの内面に深く関わってくる。かっちゃんにとってかなりデリケートな部分であるとは理解できていなかったということ。
いやそれでも、そこまで辿りついたのは驚く話だ。だって、あのかっちゃんだぞ。

「話はすこし変わりますが、市場に於いて、当人、えぇと、対象であるお客様ではなく、売られる側の当人、つまりここではヒーローというわけですが、その人の意志が伴わない方法で売られることも間々あります。炎上商法と呼ばれたりするものもこれに含まれたりします。メリットデメリットを天秤にかけているので、必ずしもそれが悪いとは言えません」

僕の動揺を知ってか知らずか、話題の方向が少し変わり、また指先は整理へと動き始めた。

「それでも、私は、彼の思想を否定する可能性のある手法を勧めたくはないんです」

その硬い声は彼女にとってどうしても譲れないモノを表すようで、芯がはっきりと通っている。

「現実として、社会に出たら、そういった手法で売り出される可能性はなくはないです。それでも、学生の内は、せめて、私の手が届く内は、そんな売り出され方をされる可能性を排除したいんです」

少しずつ纏まって行く紙束は、方向性は明後日かもしれないけれど、彼女からかっちゃんへの信頼の証のようなものだ。この人ならヒーローになれる。だからこそ今からそれについて準備をしておくべきだ、と。

「ヒーローになると言うことを選択した彼の、その想いを、考えを、プロデュースしたい私が否定をしてはいけません」
「────」

『ヒーローになることを選択した』。あぁ、そうだ。かっちゃんはあらゆる職業に就けるだろうってほどの、卓越した技能を持ってる。ある程度のことであれば一定ラインまでは難なくこなせる。それを研鑽したらどこまでいけるんだろう。それでも、かっちゃんは選んだんだ。ヒーローを。

「……自分でも吐き気がするほど甘ちゃんだって思います。けれど、絶対にしません。考えはします。もしそういった事態になったら、せめてなるたけ彼の意に沿う方向に舵を切れるようにあらゆる事態をシミュレーションをするだけはします。でも、勧めはしません」

分厚い資料は僕の手にあった分も抜き取られ、床で端を整えひとつに纏められる。端っこがよれて多少ぼろぼろになったそれは、あて先不明で戻ってきた手紙のようにも思えた。

「それは私のポリシーだからです」

そうして、真っ直ぐ、今度は光を帯びた瞳がそこに。

「でも、彼はそんなことを私に思われていると知ったら激怒するでしょうし、正直知られたらそうして欲しいとさえ思います。他人の思想に踏み入る行為ですから。ただ根本的に怒られたくはないので言いません。答え合わせをしたいとも望みません。緑谷さんも、二重の意味で言わないでくださいね。資料集めありがとうございました。それでは」

最後の最後で捲し立てられ、スカートを整えた彼女は一緒に持ってきたタブレット端末だのなんだのを手にして、おそらく自分の教室へ戻って行った。

「退け、デク」
「痛っ」

と、しゃがみこんだまんまの僕の背中を蹴りつけて、いきなり現れたかっちゃんが自分の席に座る。あれ。

「何見てんだ殺すぞ」

凄まれて指摘することはしなかったけど、幕見さんと入れ違いに入ってきたし、もしかして。もしかしてするんじゃないかな。どうだろう。ただそれがかっちゃんにとって、幕見さんにとって、いいことなのか僕にはわからなかった。




そうして、あんなことがあったにもかかわらず、幕見さんは何でもない顔で現れる。かっちゃんはそれを追い返そうとしながらも聞いている。何も変わっていないように見えるそれは、だけどきっと変わっている。

毎度毎度推しかけられるかっちゃんにクラスの一部が同情的になって来た頃、職員室から戻ってきた僕は確かに、かっちゃんが一瞬だけ笑うのが見えたんだ。

それに気がついているのは、僕と切島くんぐらいなんだろうけど。

あぁ、今日も空が青い。