夢的文字書き10年+α録【連載作】

発表作・未発表作問わず、連載一話のみ抜粋。
作品への解釈や誤字脱字、熟語意味の認識間違いなど当時のままで載せています。
完結しているものもあれば、していないものもあります。未完のものは一応それなりの話数を書いたもののみ。

テキトーにわかるジャンルだけでもつまんでもらえれば幸い。
名前変換は 名字/名前 なので、ファンタジー読むときは適当に。

作成or発表年月日 お相手名/夢主簡易表記 字数

2006/02/04 アルヴィス/記憶喪失の元チェス兵隊主 1469字
2006/03/11 死神ざらめ/死神見習い高校生主 1959字
2006/06/17 ディーノ/同郷マフィア主 1499字
2006/11/02 雲雀恭弥/高校卒業後恋人主 1704字
2006/12/06 戯言オールキャラ/高校生主 1621字

2007/01/14 西東天/女子高生主 4918字
2007/01/15 平和島静雄/なんでも屋主 3470字
2007/05/16 ヴィラル/人間掃討軍所属主 2167字
2008/02/11 KAITO/女子高生マスター主 2746字
2008/06/15 ダークリンク/剣士主 2904字

2008/06/23 シーク/配達屋主 2892字
2008/11/28 ゲン(ポケモン)/トレーナー主 2401字
2010/03/29 叶東海/高校生主 2137字
2010/07/12 真田甚/出前屋バイト大学生主 1689字
2010/12/06 ルシフェル(El Shaddai)/一般人主 2360字

2010/12/11 ルシフェル/一般人社会人主/家族愛 2552字
2011/05/28 ルシフェル/高校生主/道連れ 3170字
2012/01/23 派出須逸人(中学生)/同学年主 3945字
2013/02/16 立花京/警察官主 5274字
2014/03/05 立花京/高校生主 4107字

2015/05/20 クラウス(血界)/植物幼女主/親愛 3398字
2015/12/19 魔法使い(わくアニ)/旅人主 4839字
2016/04/19 シーク/真実の一族主 4572字
2016/05/21 轟焦凍/後輩主 3502字
2016/06/23 轟焦凍/ヴィラン主/家族愛 6803字

2006/02/04
アルヴィス/記憶喪失の元チェス兵隊主 1469字




「ねぇ、おししょうさま」

小さな5・6歳の女の子が近くにいた、耳が横に長い金髪の“おししょうさま”に訪ねた。

「何だい?ラルス

少女は、うん、と言い言葉を続けた。

「わたしたち《チェスの兵隊》はファントムといっしょに《クロスガード》をたおすの?」

“おししょうさま”は目を弓なりにし、そうだよ、と答える。

「メルヘヴンの平和の為にね」


-久しき戦友-


第二次メルヘヴン対戦が始まる一年前。

森の中を移動する人物が一人。其の森が面した道を歩く黒髪の少年一人。
周りには、誰もいない。

「ねー、アル。次は何処に行くのー?」

少年の肩あたりを飛んでいる妖精が音をつくった。

「そうだな…」

急に“アル”と呼ばれた少年から向かって右側の森の木が動き、風が斜面を伝ってコチラ側に降りてくる。その奥には人影。とても速く滑っている。

「あ!ちょ…其所の人退いてー―!」

あまりにも其れは速すぎて反応が出来なかった。

人影が手を翳す。


―ネイチャーARM【Cham Natural】解除―


同時に


―ウェポンARM【Snake way】発動―
―ネイチャーARM【Animate Plants】発動―


開けた森に一本の木がいきなり生えた。
時、同じくして正体不明の人影は錘の付いた鎖を投じる。

「敵か!?ベル、下がってろ!」

黒髪の少年は【13トーテムポール】と叫び、左腰にあったチェーンが無くなり、左手に細長い棒のようなものを持つ。
しかし、人影は鎖を先刻急に現れた木の枝に巻き付け振り子の要領で少年の前に降り立つ。

刹那

人影があったところに、棒の軌道が描かれた。
だが仕留めたのは人影の残像。本人はとうに其の場所からアルヴィスの前方2mにステップを踏んでいた。

人影は顔を上げ、アルヴィスは初めて其の人物の顔を見る。

懐かしき友。

「久しぶりの挨拶にしてはちょーっと過激だねぇ、アル」

顔を上げた其の人物名は

ラルス!」

漆黒の髪を項で尻尾のように結い、黒の衣装。肩は出ていて、下はジーンズパンツ。両手合わせて計7つの指輪に2つの腕輪。
顔立ちは中性的で性別は区別がつかない。
五年前にクロスガードから出たウォーゲーム参加者の1人、ラルス

アルヴィスは“ラルス”と呼んだ人物の下へ走る。

「久しぶり」

少年は声をかけた。

「三年前…くらいかな。最後に逢ったのは、さ」
「そうだな」

少し離れた場所から小さな声が聞こえる。誰かを呼んでいるようだ。

「アー――ルー――!!」

其の声はとても可愛らしい妖精の声で先ほどアルヴィスが守ったモノだ。

「その妖精さん、アルの連れ?」

妖精はラルスの言葉にムカついたのか、少しトゲトゲした口調でラルスの相手をする。

「“その妖精”じゃなくて、あたしはベルって云う名前があるの」

ラルスは「あ」と気付き、謝罪をする。

「御免なさい、それと初めまして。ラルスヴィリジアです。貴女のことはベルって呼んでも良いかな?」

ベルはその言葉を受け取ると敵意を消した。

「んーうん、良いよ。その代わりあたしもラルスって呼ぶからね」

それを言ったベルの口から続いて疑問符の付いた文が出る。

「そういえば、アルとラルスって一体どういう関係なの?なんか昔っからの知り合いみたいだったけど…」

其れを聞いたラルスはズボンのポケットに手を入れ、一歩、二歩、三歩、とアルヴィス達の前に出て体を反転させ向きなおる。

「その話は結構長くなるから、今日宿屋に着いたらゆっくり話すよ」

そう言った本人の顔に陰りがあったのを知る者はいない。

アルヴィスもベルもそして自身さえも…

誰も、ラルスが《チェスの兵隊》に居たことを知らない。

―誰も―
―何も―
―噂さえも―

2006/03/11
死神ざらめ/死神見習い高校生主 1959字




黒い羽根が一つ世界に舞い降りる。

それは生死を司る執行者の誕生を意味するモノだった。



PUT ZOMBIE TO DEATH


この話の始まりはみちるが知佳と思徒に出会う二年ほど前から。

04月07日

聖跡黒羽学園三年・生徒会長
神秋 雪李(17)


ある日のある夜、街角で人にぶつかった。それだけなら良かったのに。
サラリーマン風のお兄さん(おじさん?)が瞬き一つする前に黒い羽根へと変貌した。

また。

どうやらこの羽根へと変貌を遂げた物体が見える人は私以外他に居ないらしい。

風で空へと舞い上がった一つの羽根。其れを手に取ると、羽根は他の羽根も一緒に白くなり淡雪のように消えて無くなる。

少女は何事もなかったかの如く歩きだした。

何気なく、漆黒に染まり終えた空を仰ぎ見ようと上に首を動かしたとき黒い影がビルの間を通り過ぎた。ちょうど、ビルの屋上辺りに。

雪李は駆け出す。

雑踏の中の追いかけっこ。人にぶつかったり足を踏んでしまったりして、背中に怒号を少し浴びた。けれどもそれよりも遙かに好奇心が勝った。

影を追いかけていくと、着いた先は

【地下鉄・動物公園前】

「……確か此処って閉鎖になった駅じゃ」

『立入禁止』と書かれた札が掛かっている鎖の外から階段の下を視界に映す。階段の先は普段はしっかりと閉ざされている筈の銀色の降ろし扉。けれども其所には、人が二人は通れるのではないかと云うぐらいの大穴が奥に暗闇を携えている。

「あ、シャッター壊れてる……」

ほんの一瞬(ホントに一瞬だけ)、考えた。

「ま、入ってもバレないよね」

誰が聞いてるわけでもないが少女は、失礼しまーす、と言って中への進入を果たした。

暗い、けれども何故か建物や角の輪郭線はハッキリと捉えることが出来た。

「……不思議な場所……」

そうして、階段を下りて次の角を曲がった先に灯りらしき光が溢れていた。

「……売店?」

角を曲がった改札機の近くで光を発していたのは、『KIOSUCK』とだけ書かれた看板を掲げる小さな売店(の様な物)。

「……あれー―お客さんですかー―?」

二つ結びの売店の店員。

「こんな所に売店?しかも店員まで……」

雪李に気付いた女性は、彼女を見て眉を微かに顰める。そして女性――小梅は半身を後ろへと向け、誰かを呼んだ。

「ざらめ様ー、ざらめ様ー。[弔いの手]を持つ人が現れましたよー」

その言葉に応じるかの如く、売店カウンター奥に存在するドアの蝶番が悲鳴を上げた。
そこから体を出した者は、先程雪李が追いかけた人物。

「……あ、さっきビルの間を飛んでた人(?)だ」

長身の身体に黒衣を身に纏いし者。顔は包帯や革の紐で隠れていた。そして少しその人物を見ていたら男の声が頭の中に流れて込んできた。

――お前は何者だ

急に声がしたものだから、無意識のうちに足が下がった。

「えっ?何コレ、頭の中に声が……」

すると声は答えを与えた。

――コレは、死神と死神になる素質を担った者のみが聞こえるものだ
「……私に話しかけてきてるのは貴方で、そして貴方は死神なんですか?」

少女は前を見据え、黒衣の者に言葉を発した。

――そうだ。そしてお前は資格持つ者、条件はそろっている
「死神同士のテレパス、みたいなものですね」
――飲み込みが早いな。で、質問に答えろ
「……聖跡黒羽学園二年生・生徒会長の神秋雪李、17歳です」

―じゃ、単刀直入に訊く。死神になる気はあるか?



その問いはあまりにも唐突すぎて、自身の耳を(かなり)疑った。



「……死神、ですか?」
――何度も言わせるなさっさと言え。じゃないとその首かっ切るぞ

少女は、考えて考えて一つの問いに行き着いた。伏せていた顔を上げ、問いを相手に放つ。

「――死神になれば、退屈な毎日を吹き飛ばせますか」

『生徒会長』という役職を私は背負っているが、生徒会長になった目的の公約はもう果たせそうな所まで来ている。では、果たした後何をする?
――わからない。
けれども『死神』という仕事は学生生活どころか人生において退屈はしないだろう。だが、確信が欲しかった。何故なら、戻れない所に足を踏み入れる事だからだ。


保身のためならば嫌だと言え。
退屈が嫌なのなら黒衣を纏うことを選べ。


問いをぶつけられた相手は眉を遠慮なく顰め、答え以外をその口から出す。

――知るか。ただ、『退屈』は無いぞ。何しろ死神は忙しいからな

彼の言葉は彼女の背中を押すためには十分だったようで、少女はニッコリと笑った。

「私、死神になります!」

その答えに、少女の見間違いかもしれないが死神も笑ったように視えた。

――『ざらめ』だ
「え?」
――名前が

一瞬反応が遅れたが、また雪李は笑い挨拶を交わした。

「これから宜しくお願いします、ざらめさん」



これが、死神と少女の出会い。
これから死神研修の始まり始まり。
少女は黒衣でその身を包むことを選ぶ。
何れ来る別れまで―――

2006/06/17
ディーノ/同郷マフィア主 1499字




むかしにせいだいなぱーてぃにしゅっせきするために大きなおやしきにいったことは、おぼえてるの。

くりげで少しくせっ毛の男の子と話したのも覚えてる。どっかのファミリーのむすこさんなんだって。

でも、それが誰だったのかなんて全然思い出せなくて、それから16年経った今、彼と私は再会する。




十六年前に置いてきた恋心




「……やっと日本に着いたかと思えば、何?この空気の悪さ」

羽田空港に着いた、ボーイング474-700Dは大勢の客を降ろして乗客の最後に一人の女を降ろした。
くせの入った長い金髪にダークグリーンのハンチング帽を被り、黒のキャリーを引いているその女は不満を呟いた。

「……どうして私がキャバッローネのボスの所に仕事しに行かなきゃいけないのかなぁ……」

別に人手が足りないわけじゃないでしょ、あっちも。とか考えながら手荷物検査所を抜け空港ロビーを抜けてタクシー乗り場へと其の肢体を動かし、乗り込んだ。自分の父親から渡されたメモを見ながら流暢な(と言ってもイタリア訛がほんの少しある)日本語でキャバッローネのボスが指定してきた住所を告げた。

只今、十時七分

約束の時刻は、十二時丁度







「お客さん、着きましたよ」
「ん……?」

長い時間タクシーに揺られていたせいか私は眠りこけてしまっていたようだ。

「あぁ、着きましたか」
「はい」

起こされた彼女は代金を支払って、タクシーを見送った。

「さて、と」

此処がキャバッローネのボスが指定してきたところだな、と振り返り家を仰ぎ見ると普通の家が建っていた。表札には

「『沢田』……?……ボンゴレの?」

っていうか何でボンゴレのボスが住んでいるところを他のファミリーのボスが落ち合う場所に指定してくるわけ?いや、場所指定だけでこの家が関係してるとは何処にも書いてないし、聞かされてないけど、これが普通の民家だったらそう思う。でもボンゴレだぞ。あの闇の世界では名高い、あの。……まぁいいや、別に家に入って待ってろって書かれてるわけじゃないから沢田家の人には悪いけど家の前で待たせてもらおう。

只今の時刻、十一時四十七分




機内で時刻を合わせてきた私の腕時計が11:55を指した。
五分前になっても車のエンジン音すら聞こえないのはどーゆうことだろうか。確かキャバッローネのボスはボスにしては若く(ボンゴレ除)、頭も切れるらしい。(というかキャバッローネファミリーの上に立ってるんだから当たり前だろうけど)そんな男が遅刻するわけがないだろうから十二時丁度にカッコつけて登場でもするのかしら。あ、後ろのドアが開いた。やっぱり家の前で待ち伏せは不味かったな?後ろを振り向くと沢田家から出てきたのは、『くりげで少しくせっ毛の男の人』。昔会った男の子を大人にしたような、まさにそんな感じ。そしてその人はしっかりはっきり私の名を呼んだ。

トルテ!」
「……キャバッローネのボスの方ですか?」
「なんだよ、仰々しないなー。昔みたくディーノって呼んでくれよ」

昔も何も今あったばっかの人間を呼び捨てに出来ませんよ、ディーノさん。っていうか、私の知り合いにそんな名前の人居ない……ような……居た……ような。

「忘れちまったのか?……まぁ、16年も前の話だからなぁ……」

16…16…16……16?

「……16年前のパーティ……?」

小声で呟いたはずなのに、目の前の人間にはしっかり聴かれていたようで、そう!と言われた。

あのひ弱そうだった『くりげの少しくせっ毛の男の子』は16年見ないうちにとてもカッコいい男性になっていました。

こりゃまた吃驚。






>約束を覚えてる?
>あの日
>指切り拳万までした
>あの約束






結婚しようね






僕たちは確かにそう約束したんだ。

2006/11/02
雲雀恭弥/高校卒業後恋人主 1704字




桜はまだ咲かない三月、私達は、高校を卒業した。

まだ行ってもいない大学に思いを馳せて、はしゃいだ。

彼は、苦笑しながら私を見ていてくれた。

それなのに

彼は私の前から消えてしまった。






オブラートは包み紙






彼から「今暇?家に来ない?」なんて疑問符が付いたメールが来たからホントに吃驚したけどすぐに「たった今君の言葉で暇になった」って書いたメールを送ったら、次に電話が来て「じゃあ家に来てよ。僕も暇なんだ」なんていうから私はコートとケータイと何か書類らしき物が入ってるトートバックを引っ掴んで家から走り始めた。家を出て5mくらい行った所で家に鍵をかけ忘れて今度は5mをUターン。そんで仕切直して走って走って、途中で転びそうになってしまったけれど、急いで出てきたものだから手袋なんてそんな便利な物をつけていない素肌の私の手が、アスファルトの形を象っていたら彼が笑うから、絶対コケてなんかやんないのだ。といっても、意地悪そうに笑う彼は、とても楽しそうで、口元は笑っているのに、目元なんかはすごくやさしそうにしてるくれてるから、ふくれっ面してる私も段々笑って、彼と小さくクツクツ笑いあってしまう。其の瞬間、というか、彼と居る時間、彼と出逢った今までの時間は私にとって大切で、なくしてはいけないキラキラした宝物。無限といわれている空を暗闇の素敵な宝箱だとすると、きっと私と彼の今までの経験は星の数より多くて、空の宝石箱をパンクさせてしまうに違いない。中学校で出逢ってから三年、一緒の高校にいってから、また三年。計六年間だけれど、話し出すときっと六年間じゃ収まらない。ずっと話していられる。それだけ、私にとって楽しいこともあればイヤなこともあって、彼にハラハラさせられることもあった。特に、夏休み明けて風紀委員が並盛をパトロールしてた時期に、数日間行方がわからなくなったときなんて、ただただ泣き続けていたかった。でもそんなことしても彼は戻ってこないから、せめて書類だけでも彼のサインだけの所まで終わらせておこうって必至に机にかじりついてたっけ。懐かしいな、思い出し笑いがでる。走りながら笑うと以前舌を咬み切りそうになったので注意はしているけど、出てしまうのは仕方ない。あ、あの曲がり角曲がって100m先の角でもっかい曲がって右の家を三軒行った所に彼と彼の両親が住んでる家がある。何回か行ったことはあるけれど、彼の両親にあったことは一度もない。不思議だ。流石に今日は挨拶とかしなきゃな。今まで彼にタイミングを奪われっぱなしだったからなぁ。(いきなりちゅうとかしてきたり胸とかさわってきたりするからね!私には刺激が強い!)あ、そういえば今偶然にもトートバックの中にある第一志望のT大の合格証書見たらなんていうかな、褒めてくれるかな。あ、もいっかいあたまなでてもらいたいな。あの細っぽいおっきな手がすき。ってか、全部すき。えへ、アイツもT大なんだよね。あれ、てことは春から大学生でまた四年間一緒の学校だ!うれしい!其のために私の志望校すごいランク上げたんだけどね。でも学部が違うからきっとすれちがうこともないだろーなー。でも別の大学よりマシかぁ。あ、二回目の角。もうすぐだ!







角を曲がった瞬間、私は、何故か宙を飛んでいた。理解できない。私はアイツの家に行こうとしたのに、それなのに、空を飛んでいる理由が、冗談抜きでわからない。車のようなエンジン音が、耳元から去っていく。ナンバープレート見てないや。あ、家に行かなきゃ。立ち上がろうとして痛む頭に手を当てたらぬるっとして手がすべった。紅い。電話しなきゃ。見慣れたケータイの着信履歴から一番新しいのを選んでかけた。ワンコール目で声が聞こえる。「どうしたの?」「あのね、大変なことになったっぽいから直ぐに私の家までの道筋を辿って……き、て……」そろそろ視界が悪くなってきた。意識を失わないのも大変だ。いっそ殺してくれとも思ったけど、彼に逢えなくなるからそれは駄目だ。







ね、ひば、り







目を覚ましたら、私の世界に彼が居なかった。





なんのじょうだんだ、それは





(ざんねんだけどそれは冗談ではないのだよ、お嬢さん)

2006/12/06
戯言オールキャラ/高校生主 1621字




必然とはそれそのものが事象を形成するものであるがしかし事象を形成するモノ自体を構成しているものは果たして何か?

世間か

世界か

ヒトか

人間か

事象か

偶像か

或いは総てでもないのか

或いは全てでもあるのか






01 月






冬が終わり、春が来て夏になるはずのこの皐月。だが、この地域は冬が来て終わると春をすっ飛ばしてせっかちな夏がきてしまう。日本はきっちり四季があるという世界の中でも珍しい国ではなかっただろうか。いや、なんにでも例外はある、ということか。にしても冷暖房完備の校舎だから切った後の放課後が激烈につらい。つまり暑い。女子は黒い襟付きワンピースが制服だから余計に暑い。せめてもの救いは衣替えが勝手にしてもいいことかもしれない。(いや、そもそも冷暖房完備の時点で救いなんだけどね)ガッチリとした衣替えがないからもうみんなブレザーを脱いで半袖の黒ワンピース+白リボン(orネクタイ)になっている。男子は基本が学ランでこの季節は白シャツにズボンの当たり前のような姿だ。ちなみに私はネクタイ着用。

「あづい……」

べたーっと机に張り付きながら言葉を漏らしても何も反応しないし何も動かない。誰か反応してくれればいいのだがあいにく私の周りには誰もいなかった。呟くような大きさの声が周りにいない誰かに聞こえるはずもなし。

「おーい、秋奈

机に張り付きながらずっと前を向いていた私の視界に突如入ってきて、聴界にも声を響かせたのは他ならぬ私の友人、知佳だ。何年来の付き合いかはわからないけれど、今までの、つまり高校三年生になるまでの記憶の中には必ずと言っていいほどいるだろう。まぁ、端的に言えば幼馴染み、というやつなのだけれど。

「980円のケーキバイキングの店見つけたんだけど、いく?」
「うにゃー、今日はバイトなりー」

机と同化してしまいそうに張り付きとろけたまま首を否定に振ると髪の毛をおもっきしグシャグシャにされた。むー、仕方がないからとろけた体をひっぺはがし鞄から鏡と櫛を出して髪を梳いていると頭上から声が落ちてくる。

「最近物騒だからやめとけって言ってるっしょ!」
「だからバイトの料金が上がるのですよ知佳ちゃん」

というと机が変形してしまうんじゃないかってぐらいの速さと強さで私の長方形の台が叩かれた。すごみを利かして一言。

「ちゃんづけすんな」
「まー、知佳ってばこわー」

ふざけて言うとデコピンをくらう。これが私たちの日常会話コンボだ。

「ったく、ずっと困んないぐらいお金があるくせに何で働くかなー?」
「社会科勉強、じゃない?」

語尾を微々たるものだが一応上げたこれは疑問の形になっている。知佳の言ってることは、まぁ、わかってはいるのだが、体を動かさずにはいられないのである。家のことは大抵、家政婦の人がやってくれるので帰って家事をしなくても大丈夫なのだ。お金を多少なりとも持っているから出来る芸当ではあるが。けれども、自由なことが出来る時間は家にいたくない。受験勉強でもすればいいのだけれど大学まではエレベーター式。そして一通りのことはもう勉強し終わってるのだ。

「まー、香椎さんの状態がアレじゃあね……」

水無月 香椎

姓からしてそれは私の父の名だ。

「違うよ、そんなんじゃない」

違うよ、と言っておきながらはぐらかして否定して無くそうとして安心しようとする自分がいることを否とはいえない。つまり、違うくないのだ。まったくその通り。

「ま、夜はと、く、に、気を付けて帰んなさいよ」
「うぃーす」

座ったまま軽く敬礼のようなポーズをとると知佳はいつものように頭を撫でて私の横を通り過ぎていった。頑張んなさい、と言われてるようで知佳のなで方はすごく好きだ。猫になった気分、とでもいうのだろうか。あぁ、さて、バイトに向かおうかな。鞄の中を確認すると筆箱やノートその他諸々がそろってる。

「ん、オーケー」

そして私は教室を後にする。この時間のことを私は夜後悔するとも知らずに。私は歩いた。



そとはまだあかるい。

2007/01/14
西東天/女子高生主 4918字




ふらりはらりと

しんしんと

ちらほらぱらぱらくらっくら

そんな天気の中で私と妖狐さんは出会った。






唐紅の灯を燈す






「お兄さん、其処駐禁ですよ」

そう私が声をかけた人は和服で、私はその人の背中を見ていた。背は高く、私よりも頭二つ以上高いかもしれない。見上げながらその人が振り向くのを待つと、その人は、お狐さまだった。……稲荷神社のお稲荷さまが人里にでも下りてきたのだろうか。そしたら滑稽で愉快でけったいだ。うぅん、我ながらリズムセンスの欠片すらない。でもお狐さまも車運転するんだなぁ。これってポルシェかなぁ?ちらりと横目で見て、また視線を前、否、上に戻した。

お狐さまは白い着物を着て腕組みをし、背筋をぴっと伸ばして立っている。うつくしかった。ひかれた。身震いした。何故か、とてもとても。危うかった。あと、一瞬彼が声をかけてくれることを遅くしていたら、私はきっと何の意味も理由も因の元を考えもせず果を無視して跪いていただろう。ありとらゆることをどうでもよくさせる、この人は誰?何?

「『駐禁ですよ』か」
「あ……えぇ」

私が肯くと、微かに狐さまの面(おもて)が前に傾いた。頷いたらしい。

「この辺駐禁が多いんでミニパトがウロウロしてますよ」
「成る程。だから『駐禁ですよ』か。ふん。下らないがレッカーで運ばれるのは気に喰わん」
「というわけで、じゃあ……あ、そうだ」

後ろに向いた体をまた狐さまの方向に戻す。その時、足下で何かが通っていったのだが、目線を一瞬だけ向けてさっきと同じように戻した。きっといつものモノだ。

「お兄さんて、天狐ですか?妖狐ですか?」

そう私が問うと、お狐さまは左手を右腕の肘に、右手を面の下に添えた。思案中。明らかに嘘くさいぐらいに思案中。

「天狐……とでも言っておこう」
「なら妖狐ですね」
「何故だ?」
「貴方みたいな意地の悪そうな天狐は見たことがありません」

お狐さまは、ふっ、と笑った。比喩だと思われたのだろうか?もしくは隠喩。どちらにしても本当とは思われていないらしい。複雑だ。いや、当たり前か。

「ではでは、私はこれにて失礼させていただきます……あ」

深々と頭を下げて去ろうとして、前方、お狐さまの、うしろ。ミニパトが向こうの横断歩道の信号機にとっつかまってる。明らかにここら一帯狙いな感じだ。この白い車以外にも駐禁車はある。だから婦警さんは何台も白いチョークで印を付けていくのだろうか。なんてめんどくさそうな仕事だろう。やっぱり私は婦警には成りたくない。しかも『婦人警察』だなんて差別にも程があるだろ?『警察』は『警察』だ。男も女もない筈だ。この国家権力め。文科省とかが何か、差別はだめですよ、なんてこといってるけどまずは身内から矯正しろっつの。とかなんとかでミニパトさんが来そうです。

「お嬢さん、俺と一緒に飯を食いにいかないかい?」

それは疑問符のクセして、疑問符のクセして、もう私は狐に抱えられていた。腰からすくい上げるように。

「はぁ!?」
「パトカーがくる」

いや、そんなの貴方の勝手ですよ。なんで私の返事を聞かずに車を発進させるんですか。恩返し?援交?売春はやったことないぞ。いや、保身のことを無駄に考えるならば援交だってやったこと無いしね。ちなみに『狐の恩返し』なんて童話は売れそうにないな。なんせこんな展開だ。B級ホラー映画よりもあり得ない展開だ。しかも、未だに私は抱えられたままの体制で足が軽ーく外に出ている。横を車が通っていった。……危ないから取り合えずこの足仕舞おうか。車の中に。

「……やっぱりお兄さんは妖狐ですね」
「……」
「天狐は人をさらいません」
「腹を空かしてるヤツだったかもな」
「じゃあさしずめ私は贄ですか?」
「喰うのはお前じゃなくて料理だがな」

くくっ、と喉の奥で笑ったお兄さんは片手でハンドルを運転していた。勿論私を掴んでいるせいなのだが。結構居心地が激烈にこれ以上無いってぐらいに悪い。だって微妙な体勢で私は席と席の間にいるような感じになっている。お尻が痛くなってきた。ぱちぱちぺちぺちと軽く私の腰に乗ってる男の人のがっしりとした腕を叩いた。

「……あの、逃げませんから。というか逃げられませんから」
「逃げたら確実に死ぬな」

そう言いながらお兄さんは私から腕を退いた。あー恥ずかしかった……。仮にも高校一年生のオンナノコですよ。しかも、ね。あの、捕まって運転席に乗り込んだ妖狐さんがぐい、と私を引っ張ったもんだから彼の胸に顔を一瞬、一瞬だけ!埋める形になってしまったのです!……うん、いい匂いだったけどさ。ってかさ、私何処に連れてかれんの?本堂?稲荷神社?んー。この方面だと祇園?嵐山?清水寺?なんにせよものすっげー速度で走ってんのはわかる。

車ってあの籠もった匂いが嫌いであんまり乗りたくないんだけど、これなら別だ。でも風が寒い。フードにファーがついてるコートを着ている私が思うぐらいだ。普通に歩いてると暑くなるときもあるぐらいのコートだ。でも寒い。お狐さまは大丈夫なのだろうか。和服姿で。あー、ゆきわた達がふってくるー。というか、これって人さらい?大丈夫?つかまんない?いや、パトカーでもこれは捕まえられないか。私だったら捕まえたくないし遭遇もしたくないなぁ。狐が運転してるポルシェなんて。全身全霊全速力をかけて首を別の方向に向けるよ。いや、へし折るって意味ではないけど。勿論。

……あ、そうか。他の人には狐は見えないんだ。ただの人が運転してるポルシェか。そうだよな、うん。当たり前じゃないか。私と他の人間の見え方は違うんだから。……そういえばかなり今更だけれど私はシートベルトをつけた。私の左では未だにお狐さまが運転をしている。当たり前の如くノーベルト。まぁ、私を腕に引っかけて乗り込んだから当たり前っちゃ当たり前だけど。かなりあぶねぇ。夢オチとかないかな。なんで私今此処にいるのかわかんないよ。真面目に本当に。

「あの、私此処から何処に連れていかれてるんですか?」
「『何処に連れていかれてるんですか?』か。ふむ。まともな質問だな。特別に答えてやろう[食事処]だ」

ずっこけそうになりました。(一応報告)
え、なにそれ。私が訊きたいの其処じゃないんですけど。

「そういえば今から食事ってことは夕御飯ですよね?」
「そうだな」
「叔母さんに電話しなきゃ……」

もそもそとコートの胸ポケットから携帯電話を取り出して短縮番号の[1]を押す。小さなディスプレイに表示された文字は『家』。トゥルルルルル、トゥルルルプツ。

『はい』
「あ、叔母さん?」
『あら、ちゃん?どうしたの?』
「今日衣月の家にこのまま行くから遅くなるかもしれません。場合によっては泊まりアリです」
『あぁ、衣月ちゃんね。わかったわ。気を付けて』
「はーい。じゃあでーす」

プツリ、ツーツーツ。

「会話は済んだか」
「はい」
「なら死にたくなければ静かにした方がいい――加速する」





あたまがぐわんぐわんする。え、あれって法定速度ぶっちぎりでやぶってない?いや、速度メーター見てないけど。ポルシェになんか乗ったことないけど。車にすらあんまり乗らないから体感速度で車速度を測るような特技は生憎だけれど持ち合わせてはいないけれど。親なら、また違ったのかもしれないが。そうこうしながら私はもうお狐さま―――いや、妖狐に手を引かれ私はいつの間にか靴は脱いでいて、そのまま板張りの床を歩いていた。茶色の、光沢のある黒く暗い廊下。靴下を履いて歩いているからつるつる滑る。しかも妖狐さんの歩幅の一つ一つがあんまりにも私と違うせいで(でも私と妖狐さんの歩幅が一緒だったらそっちの方が気分的に厭だ)、本当に転びそうになる。

面の『狐』は未だに其処から退かない。いい加減消えてしまえばいいのに。いや、でも、人についてるっつーことはなんかあるんだよなぁ……。何があったんだろう……。そんで、またいつの間にか私は座敷に通されていた。なんだろう、此処。変に色々なモノが乱れてるのに風だけは静浄。変だ。何処だろう。もしかしたら山の中かもしれない。だからこんな空気なのだろうか?ぴたりと行動が停止する。考えてても埒があかないな、と思ったわけじゃなくて、食事が運ばれてきたから食べよう、と考えたわけでもなくて(ごめんなさい、今の嘘。本当はちょろっと考えました)、いきなり妖狐さんが男の人の顔を顕した。だから、吃驚した。あぁ、そうだ、この場合『顕した』は適切じゃないかもしれない。

何故なら、男の人の顔にひっついていた『狐』が煙のように消えてしまったからだ。比喩でも何でもなく、ただ、消えた。普通では理解してもらえないことではあるのだけれど私は私の視る世界が普通じゃないことを知ってる。だから、そんなことはおくびにも出さないようにした。でも、流石にコレには……吃驚した。美しい人、すなわち其れ美人也。的な。

「どうした」

しゅるんと面の『狐』が消えたと思ったらまたまたいつの間にか金色の毛を持つ『狐』が畳の上を歩いていた。妖狐さんも気付いてないからやっぱあの『狐』はアレだよなぁ……。うわぁ。今更だけど、変な人に出会っちゃった。

「食べないのか?」

きょろりきょろりと『狐』が動くとともに視線を動かしていると声をかけられる。もの珍しいように通された部屋をみていると思われているのだろうか。それならそれで、全然いい。

「あ、いただきます」

手のひらをあわせて食事のかけ声。未だに『狐』はちょろちょろと畳の上を歩き回っている。

初めて食べた懐石料理は、『狐』が気になりすぎて味はわからなかった。もったいないことをした。





食事が終わり、お互いにお茶を飲んでいると全く食事中言葉を話さなかった妖狐さんが切り出してきた。

「さっきから思ってたんだが、嬢さんは何をさっきから『視てるんだ』?」

全然遠回しではなく、むしろ速球ストレートの白球をぶちかまされた。

「何って……調度品以外何があるんですか?」

笑ったつもりではいるのだけれど、よくわからない風に表情筋は動いたかもしれない。もしかしたらすっごい醜い顔をしてるかも。

「『調度品以外何があるんですか?』ふん。それぐらい視線の高さでわかる。おまえは何も見ちゃいない。だから、何を視ているのか訊いてるのさ」
「……」

正直、此処まで聡い人は苦手だ。あぁ、こんなに人が悩んでんのにまだ『狐』は畳の上にいるよ。腹出してねむるな。ちっとも緊迫感がないやつめ。

「実は」
「『みえる人間でした』ってか」
「……」
「ん?」
「頭がオカシい奴だ、と言われる覚悟で言いましょう―――まさにその通りです」

手を正座した膝の上で重ね姿勢を今一度正す。妖狐さんは、軽快に、わらった。

「まさか、そんなやつがいるなんてな……くっくっく」
「まぁ、普通はいませんよね……」
「だが、俺は別に幽霊の存在は否定しないぞ。GS美神でも幽霊は出てくるからな……にしても……くっくっく」

始終笑いっぱなしだ、この人。にしても、何故にこの場面でGS美神?私は雪乃丞とピートが好きだったけど……じゃなくて!まぁ、妖狐さんが知ってるのはリアルタイム人間だったとしよう。うん。まぁ、かくゆう私もちょっとばかしリアルタイムにコミック買ってたけどさ。

「GS美神ですか……懐かしいですねー」
「ん?知ってるのか?」

笑っていた妖狐さんはいったんその動作をやめて私に向き直る。

「あぁ、そうか。今は完全版とか出てるからな……」
「いえ、普通のちっさい方をリアルタイムで買ってました」

手のひらを相手に向けて主張をしてみる。

「……一応訊いとくが、何歳だ?」
「バリバリに花の女子高生16歳です。あぁ、そうだ。まだ名乗ってませんでしたね。姓と名は、前々 築音です。妖狐さんは?」
「俺は西東 天」
「さいとうたかし……漢字はどう書くんです?」
「西と東の天空だ」

綺麗な名前。名前の第一印象。うん。この人になら話してみようかな。なんたって妖狐さんだし。

「それでは、少しばかり、貴方のお時間、拝借させて頂きます」



これが、私と彼の出会い。
そして、これは、妖狐が一人の青年と戦った後の、彼と一人の女子高生の至極平凡な物語。

2007/01/15
平和島静雄/なんでも屋主 3470字




そりゃあ、平和だった。

あり得ないぐらいに平和だった。

此処ホントに池袋かって住人の私が思うぐらい平和だった。

その辺の人を十人ぐらいとっつかまえて「平和だと思いますか」と訪ねたら十人中五人ぐらいは首を縦に振ってくれるくらい平和さだった。

だからさ、考えもしなかったわけだよ 。

まさか私が逃げられない場面に出くわすだなんてよぉ。






今日の天気は晴れのち人、だなんてお天気お姉さんは言ってなかった






今日はかるーく出歩いていた。もちろん社会人、のような、というかそう呼ばれるような年齢では一応あるのだけれど、いかんせん 私 の職業は社会人と全うに呼ばれている人と一括りにしたらめちゃくちゃ失礼かも知れない職業なので、あえて私は自分のことを『社会人』とは言わない。まぁ、強いて言う呼び名ぐらいはあるのだけれど。所謂『何でも屋』だ。請負人とはまた違う。おおっぴらに公開しているわけでもないからあくまで細々とやっていた仕事だ。 今 でもそれは変わらなくて、公開などしていない。そんなメンドクサイ。受ける仕事は知人とそいつらが直に紹介した人間だけ、と決めてはいるものの、つい、この間まで面倒ごと、いや、ある種の感動物の仕事を抱えていた。あの、噂のデュラハンライダーと対面をしたのだ。彼女、うん、あの体は彼女だろう。で、彼女と私を引 き合 わせたのは岸谷新羅。闇医者。変なヤツだとは思っていたけれど、まさか闇医者になってデュラハンライダーと知り合いだったなんて、やっぱり変人の九乗ぐらいか。さて、まぁ、彼女と何回か仕事で話していたらめちゃくちゃ可愛くて抱きしめたくなったのは内緒だ。何を隠そう私は可愛い女の子が大好きだ。メルアドも交換し たり、色 々した。ヘルメットの中身はかなり吃驚したはしたけれど、この池袋だ。何でも在りだなぁ、と思うことで私の中の感情は収束している。で、このまえそのタッグの仕事が終わり(セルティは腰細かったなぁ…)、暫くは何の仕事も入っていないのでぶらぶらとこう散歩に、平和的に出てきたのだ。ただ、私は何の特殊能力とかそん な 漫画や小説じゃあるまいし的な物は生憎と持ち合わせていない。だから、私がこんな物騒な街で生き残ってきた術は一つだけ。『脚』を使うこと。逃げて逃げて逃げてもいっちょ逃げて逃げて逃げて、繰り返すと街で迷うことは無くなって、喧嘩でも何でも最終的には脚の速さが物を言う。故に、私は一部で『池袋最強逃走何でも 屋 』と揶揄されている。何でもひっつければいいと思うなよ、ぐらいにネーミングセンスの無さが伺える名前だけれど前半部分の『池袋最強逃走』は結構気に入ってはいる。まぁ、脚の速さだけなら、誰にも負けない自信はある。あ、でもセルティのバイクには負けるかなー。……んー。コレは、あれかな。喧嘩か?路地から人が水 平 に飛んで来やがりました。あぁ、平和島静雄さんか。そういえばまだ会ったことないなぁ。そして、私は路地の延長線上を横切ろうとしたらまたもやぶっ飛んできた人間にぶつかりソレの緩衝材となったのかよくわかんないけど、とにかく、とにかくだよ、ガードレールの外に私がぶっ飛んでた。

最悪だ。





次に目覚めたら、私は水色の病院着となってふかふかの真っ白なベッドの上にいた。うぉう、頭がちょっとクラクラする。えーと、取りあえずナースコールぽちっとな。『エリーゼのために』が流れ始める。んー。窓の風景からすると今は、あれか。五月頃であの光度だったら六時ぐらいか。ノックが扉でされて、はいー 、 と返事をすると白衣の看護師のお姉さんが入ってきた。あー、美人。

佐々木さん、目覚めましたか?」
「はい、というか、此処って何処ですか?」
「あぁ、此処は『生全会池袋病院』」ですよ。なんか蝶ネクタイつけて、ベスト着てて、グラサンをかけた男の人が運んできたんですよ」
「……(平和島さん、 か。喧嘩が嫌いだってのはホントか?)」
「にしても道端で倒れてたって聴きましたけど、何かあったんですかー?」

……なんて説明すれば良いんだろう。

「あぁ、そういえば此処病院ってことは私入院患者ですよね?」
「え?あぁ、はい。そうですよ。体の方にはかすり傷とか打撲とかがあったんでその 辺は処置しておきました。今から手続きすればもう退院できますよ」
「あー、じゃあお願いします」

はい、とにっこり笑った白衣の天使さんがぱたぱたとサンダルを鳴らして出て行くと同時に私は隣の花瓶とかを置く台にきちんと折りたたまれておいてある服を広げて着替え始めた。そんなにかからすにものの数分で 着 替え終わり、看護師さんの言っていたとおりに手続きを終え、帰路につく。平和島静雄さん。今まで生まれてからこの方十何年かは池袋で過ごしてきてあの人の噂も聞いてはいたけれど、実際にあったことはない。バーテンダールックのグラサン男を見たら其奴が平和島だ、と池袋の住人に言わしめさせるぐらい毎日毎夜毎季節、 そ の格好なのだろう。そんなヤツは見たこともすれ違ったこともない。多分。一応人間だから忘れることもあるかも知れない。うん。さーてさてと、怪我させてきたのは間接的にあっちだけど病院に運んでくれたのも平和島さんだから……お礼を言うことにかこつけて実際に会ってみよう。切れると恐いと言うけれど、頑張れば何と か なるっしょ!

IN何処ぞの公園。

あ、平和島さん発見。んー?あれってセルティじゃん。およよよ。

「セールティ」

公園口から彼女らの方向に歩きながら話しかけると、セルティはメットをかぶった頭を平和島さんから私の方へと向けた。彼女は私にPDAを向けて一言。

『あれ?小都?』「あー、今日用事があるのは隣の平和島さんなんだ」
「ん?……あぁ、昼間の」

さっきから見られていたのは記憶をあさっていたかららしい。
「その節はお世話になりました」
「まぁ、ありゃ、俺がぶつけたからな」
『?』
「いや、今日昼間ぶらぶら散歩してたらいきなり路地から人が飛んでき てそれに巻き込まれて私はガードレールの外にぶっ飛んだんだよねー」
『……よく生きてたな』
「いやー、ホントだよー。その後のことは意識もぶっ飛んでよくわかんないけど」

からから笑っていたら、くしゃり、と頭をなでられた。意外にも、平和島さんに。

「平和、島さん?」
「『さん』付けは慣れてない」
「あぁ、じゃあ…シズ?」
「ん」

小さく肯く平和島さんが可愛らしくって、頭をなでられたからなで返そうと思って、やめた。よくよく考えれば 平和島さんって新羅や臨也と同窓生なんだよね!私よりも年上だ。

「年下ですが、いいんですか?」
「別にいい。敬語も」

いつの間にか目の前の彼は煙草を吸い始めていた。んー、眼がしぱしぱするー。

「じゃあ、一応こんな物を」

後ろ手にウエストポーチを探り銀色の名刺ケースを取り出す 。其処から一枚透明な薄い板を。

「あ?」
「透明ですけど一応名刺です。デザインに突っ走った結果、見にくくなりました。下に白い紙とか無地の紙を置けばキチンと見れるけどねー」
「本末転倒だな」
「まーその辺は私の性格なんで」
『あ、そうだ。その名刺って何処でつくってるの?結構かっこいいデザインだなぁって思ってたんだけど』
「あぁ、じゃあ後でメールで送っとくよ?」
『んー、ありがとー』

と、和やかに三人で談笑していたら一人の携帯電話が鳴った。私だ。ウエストポーチごと揺れて其処からメロディーも鳴っている。

「あ、ちょとすいません。……はい。へ?うわぁ、それはそれはまた 、大変ですね。え?他人事じゃない?あー、はい。わかりました。すぐそっちに向かいます」

携帯電話の赤い受話器を置いたマークのボタンを押すと、ツーツーツー、と音が鳴る。

「あー、仕事はいっちゃったんで」
『大丈夫?』
「仕事自体は結構ヨユー。じゃ、行ってきます」

にこりと笑って似 非敬礼をすると(だって正式なやり方って海軍のしか知らないし)、二人ともノリよく敬礼ポーズで返してくれた。

「あ、そうだ。シズさん」
「ん?」

行きかけた体の踵を少し返してバーテンダーグラサンルックに声をかける。

「人手が足りないなどの御用命は是非、『池袋何御座屋』までドウゾ。私的 メールも待ってます」

そう言って、今度は振り返らなかった。






「セルティ、知ってたのか?アイツの職業」
『あぁ。新羅の紹介で知り合って、その後何回か仕事を一緒にしたことがある』
「へぇ、じゃあ、アイツが噂の



池袋最強逃走人



か」

久しぶりに彼は、名前勝ちしない、平和的な笑みを浮かべて、池袋の喧嘩人形はそう言った。

2007/05/16
ヴィラル/人間掃討軍所属主 2167字




それは最終か序章か

それは再開か開始か

それは死なのか生なのか






シニタガル <史に違る>






「ヴィーラル!」

とある日の統括司令部にて、あたしはいつものように一つの影に重なった。影はあたしを振り解こうとして背中をぐるんぐるんとふるわせる。この影の名はヴィラル。あたしは人間駆逐統括第七部隊隊長シェロ。ヴィラルとあたしは士官学校の同期である。そしてこれは、お互いのガンメンが調整中の、とある日。あたしはよくヴィラルにちょかいを出すのだ。

「えぇい!まとわりつくなぁ!」
「うわ!」

運悪く振り落とされてしまったあたしはヴィラルの鉈攻撃を受け始める。

「うわ、わわっ!」

バックステップでよけるあたしを鉈が追いかけてくる。ちょ、ちょ、まて!此処を知り尽くして後ろに下がり続けるあたしは背後に柱が近づいてるのを知っていた。だから柱の3M前でバックステップをやめて体を180度体を回転させ柱に跳躍。回転の際に腰の銃を抜くのを忘れずに。そして柱でもう一度跳躍しヴィラルの背後へ。銃口の先は背中の中心に。彼が反応するのも計算に入れて銃声を一発鳴らす。ヴィラルは反応して鉈のど真ん中で弾を受け止めた。

「じゃすとみーと!」

あたしがそう言うとヴィラルは憎々しげに、くそ、と言い吐いた。ヴィラルの肌は綺麗だから狙わないんだよねー。つか、こんなお遊びだったら受け止められるのは当たり前だけどさ。そう、受け止められるのは当たり前。

「ふっふっふ。今日はよけられなかったね」

あたしたちにとってこれは日常で、そしてこれはいわゆるひとつの道楽なのだ。一人が攻撃を仕掛ける。そしてもう一人が反撃をする。そして攻撃していた方が自分の得物で相手の反撃を受けたら、負け。そんな単純明快なルール。きっかけは忘れてしまったけれど、今でも続いてる。士官学校から続く腐れ縁もとうに切れているのに。(所属部隊が違ったのがいい例だ)。ヴィラルはそれでも付き合ってくれる。なんだかんだいいながら。あたしが不意に思い出してしまうから。あたしが泣いてしまうから。いざっていうときまで思い出してはいけない。大切な人の記憶はあらゆる物のスイッチとなってしまうから。時には哀しみの。時には怒りの。時には戦慄の。時には破壊の限りの戦滅の。

「ふん。今度こそお前を跪かせてやる」

そう言いながら鉈を突きつけられた。ちなみに身長はヴィラルの方が若干高い。彼は160cm。あたしは155cm。従軍している者の中では二人とも低い方だ。いや、ハッキリいうと、低い。他のやつらは175cm以上が基本。高い奴になると190cmのやつもいる。ただし、男が多いからそっちに偏った記録ではあるけれど。だから士官学校時代は背を伸ばすためにプロテインとかを飲んでいたけれど、成長期の歳を過ぎてしまったので止めた。しかもあれ、激烈に甘かったし。そんなことを考えていたらいつのまにかヴィラルは去っていく背中に変わっていた。……あたしも自分のガンメンみにいこうかな……。てぽてぽてぽてぽ歩いて、[整備ドッグW]と天井や床、幾つかの柱に書かれた場所に行く。其処にあるのは、黒。長い黒の固まり。バドゥビス。『彼』の名前だ。整備ドッグの足場にいたあたしは、機体の肩に乗り移る。つめたい。

「なぁ、お前はホントに何も話せないのか?」

機体に話しかけるなんて馬鹿げてると思う。でもコイツは特別だ。あいつの使ってた機体。本当に生きてるのかと、あの頃おもっていた。今は、死んでいるのか眠っているのか。はたまた最初から生きてなどいないのか。不意に、足音がした。しかも連続に。一人分が、上の整備ドッグの通路から。白髪から片眼がのぞいた男。通路の手摺りに体重を預けてこちらを見下ろしてくる。

「ヴィラル」

あたしは声をかける。あいつは通路の手摺りを軽々越えてあたしの横に来た。と同時に私は下ろしていた腰を浮かす。

「また例のことをやっていたのか?」
「まね」

肩を竦めると、鼻で一蹴。あたしは機体から降り始める。基本は足と尻だけで時々手。

「あたしはさ」

機体の腕の間接の凹凸を使いながら降りる。

「人間を滅ぼさなきゃいけない」

肘から腰辺りに飛び移る。一回上を見る。あいつはあたしを見下ろしてる。

「アイツを殺したから」

機体の黒い表面を撫でた。自分の顔が奇妙な形にうつっている。

「特に、あの赤髪だけは赦さない」

アイツは、あたしにとっては親友だった。ヴィラルにとってもそうだとなおいいと思う。三人で、士官時代に阿保なことやって、笑い話して、そしてそのまま大人になれると思っていた。

あの日までは、本当に。

「だからさっ」

股関節に当たる部分から膝まで一直線に走り、一気に飛び降りる。踵を揃えて上を見据えて手を伸ばす。

「あたしに力を」

ちょうだいな、とは言わない。言い枯らしてしまった科白だからだ。ヴィラルは今まで微動だにしなかった肢体を動かして、腕を伝い一気に下まで、あたしの横まで来た。眉間に皺をよせ、不機嫌そうに、彼はいつもの言葉を吐く。

「何度も同じ質問をするな。馬鹿が」

ぐわっしと長い指で顔の上半分を覆われ押さえられ引きずられるような形になり、後ろ足で歩き始めた。

「ごめんね――ありがと」

あたしは一人で泣いた。ヴィラルは何も言わなかった。何も訊いてこなかった。

あたしたちは[整備ドッグW]をあとにした。

2008/02/11
KAITO/女子高生マスター主 2746字




永遠の命

人間の模倣

所詮真似事と云われる

それは

≪VOCALOID≫

というソフトウェア

これは彼等と少女の御噺







UNKOWN WORLD







此れは少し、未来のお話。

VOCALOIDが普及し、人々が微かに電脳化した未来。其処は音井 信之助というロボット工学者を中心とした≪THINK-TANK・ATRANDOM≫というチームによってアンドロイドが開発されAナンバーズロボット≪SIGNAL≫という機体をベースにアンドロイドが大量生産されるようになった、そんな世の中。そうした世の中であるから、今はアンドロイドをパートナーにするものも少ない。結婚に関する法律も、近年には改訂されるだろう。

此れはそんな時代のお話。







「っあー!」

PCに向かっていた身体を伸ばしてコリをほぐす。肩がバキバキいってけっこう痛い。腰を回して鳴らす。うぅー、やっぱVOCALOIDいじってると時間忘れちゃうなぁ。KAITOを調整してるのが楽しくて楽しくて仕方がない。神調整ほどは行かないけど、スマイル動画でも中々評判がいいように思える。≪本P≫とかっていう妙な名前つけられちゃったけどね!KAITOを閉じて、デスクトップにあるファイルアイコンをみながら、ごめんね、と小さく呟いた。KAITO買ってからDTMの勉強したから四苦八苦しながら今まで駆け抜けてきた。例によって例の如く『ズコー』や『ロボ声』の時期はあったけど、それでもそれすらもが楽しかった。オリジナル曲のネタを日常で探しちゃったりして、KAITOのことを考えなかったときはあんまりないと思う。だって二年生の時の修学旅行さえ私にとってはネタだったし。今でも似たような感じ。ふと、PCの右下に在る時刻をみれば03:03、寝た方がいい時間かも。これ以上起きてると逆に起きれないから寝れなくなってしまう。明日は土曜日だから別に寝過ごしてもいいんだけど、どうせなら最低睡眠
時間で他の時間全部をKAITOにつぎ込みたい。……可笑しい思考かもしれない。ただの『御遊び』なのに。それでも、彼には惹かれる何かがある。他のMEIKOやミク、リン、レンにない何か。まぁ、有り体に言えば『縁がある』様な気がしないでもないってこと。そりゃ、うちの祖父がロボット工学者でしかもVOCALOIDの四次元化、つまりVOCALOID達にアンドロイドの身体を与えてしまおう、というプロジェクトの一任者なんだから『縁』はあるんだけど。……上手く言葉になんないなぁ。いつも歌詞とか書いてるくせに肝心なときは語彙が少なくなる。はぁ、と溜め息をついた。もし此れが夢小説とかの世界なら後ろから「如何したんですか、マスター?」とかいうあの声が聞こえてくるんだろうけど、生憎、少々の電脳化をしてるっていっても現実には代わりない。嗚呼、と何かに嘆きながら私は机近くの寝床、黒いシーツに包まれた黒いベッドに移動して眠りについた。お風呂は明日の朝でいいや。







ある瞬間、私は四角い空間にいた。四角い部屋。青い壁。其の色は不規則にグラデーションする。私はこの部屋を知っている。この部屋の持ち主も知っている。私はここが夢に似た世界の中であると知っている。

「KAITO」

そう私が呟くと、空間の一部がノイズった様に不鮮明に不透明になる。其処に顕れたのは、≪へなちょこナイト≫。

「お久しぶりです、マスター」
「久しぶりも何も、この前、一週間前も此処で話したでしょうに」
「一週間『も』前ですよ、マスター」
「あー、はいはい」
「……マスターつめたいです……」

そう言って、彼――碧髪碧眼の左耳にインカムつけて青いマフラーに所々に矢印の入った服、極め付けは胸に印字された『00-01・VOCALOID』――はいじけてしょげて体育座りをした。はぁ、と私は溜め息をついて前髪を掻き上げる。どうしたもんだか、このKAITOは。

「ねぇ、仮にも私のPCにいるKAITOを名乗るならいじけないでよ」

いつも酷い歌うたわせてるじゃん、といえば、其れはお仕事で此れはプライベートです、とか何とか言ってきた。

「まったく、本当にうちのKAITO何だか……」

此処を人は、電脳世界、と呼ぶ。彼等VOCALOIDはデジタル、つまり0と1の世界のヒト達なのだ。其の世界に人間が微かに順応したこの時代で、確かにこの世界でならば彼等と私達は相互理解さえあれば話すことが出来る。お互いがお互いを信頼してやっと双方が双方の電脳世界に行き来できるわけ。人間と似たようなものなんだから、ロボット心理学にも幅があるわけだ。納得。じゃなくて。

「マスターは一番最初に納得してくれたじゃないですか」
「だって、アンドロイドを傍に置いてる人からならそーゆう話を聞いたことあるけど、VOCALOIDと電脳世界で話した、っていう事例は聴いたことないよ」

どっかの小説では『十億分の一の確率で起きることは最初の一回で起きる』と言っていたけれど、もしかして本当にそうなのかもしれない。

「そうですね、僕も聴いたことないです」
「……此れが私の夢ってことは?」
「ないです、絶対に」

と言われてもね……、と言えば、今の僕には其れを立証する力がないんです……、と返された。

「あーもう、別に信じてないわけじゃないんだよ」
「じゃあ何なんですか?」
「KAITOのことが好きすぎるから、困ってるだけ」
「…………」

そう簡単に赤面しないで欲しい。こっちまで恥ずかしくなってくるじゃないか。ちくしょう。

「っマスター!」

そう言いながら大型犬さながらに抱きついてくるKAITO。えぇい、鬱陶しい!

「……あれ、今の僕、ってことは未来になれば出来るかもしれないの?」

私の腰をホールドして肩口に顔を埋めたKAITOはそのまま喋った。

「はい、あと一週間もすれば」

近っ!

「……ま、それまでこの話は保留、と言うことで」
「あ、もう朝ですよ」
「じゃあ起きなきゃ」
「また調整よろしくお願いしますね、マスター」

そうKAITOが言ったら世界は崩れて、私は目覚めた。枕元の携帯電話のアラームと一緒に。私は其れを止めて起き上がり、風呂を入れに階下に降りた。一週間なんて学生生活を営んでいれば直ぐだ。眠眼(ねむめ)を擦りながら私は洗面所に入る。一番最初に目につくのは、白。白い髪の毛に紅い眼。アルビノ体質の所以だ。まったく、暑い夏の日でも長袖、屋外プールには入れない、目立つから上級生に髪切られる事もあったし(そいつらは傷害でパクられたけど)、散々だ。KAITOは何色にも染められる其の髪の毛は好きですよ、と言ってくれるけど、さ。どうせなら碧にしましょう、と言った次の言葉にはみぞおちを殴ったけど。きゅ、と洗面所に置いてある髪ゴムで髪を上にまとめて私は風呂を洗い始めた。







そんな日常。

2008/06/15
ダークリンク/剣士主 2904字




全ては煌々と煌々と降りゆく

ならば私は其れを掴もうか







Sleeping Beauty.







「……誠に奇妙で不可思議だけど人が落ちている」

そう剣を腰に携える人影は言う。ふむ、と思案をするように天を仰ぎ、よし、と呟いて『落ちている人間』を拾い横抱きにしてとある湖の畔につくったテントまで連れていった。







何か、いい匂いがする。俺が今まで置き忘れてきたような決定的な何かをはらんだ香り。そっと、光を透かす目蓋を開けると、其処には銀なのか橙なのかわからない髪の色を持った人間がバーナーの上に鍋を固定し何か煮込んでいた。そいつは俺が起きたことに気が付いたのか、にこ、と笑う。

「気がついたかい、お兄さん」

長い耳、それにつけられた金のピアスが微かに揺れて煌めいた。成人したハイラル人だ。相手が体を動かして微かにこちらによって来る。あぁ、橙に思えた髪は本来銀なのか。ランタンの色が写りこんだんだな。そんなことを考えていると、帽子や手袋、剣などを差し出された。

「ブーツは流石に外に出してあるけど、寝かせるときにベルトとかは邪魔だったから外させてもらったよ」
「あ、あぁ、悪いな。……あー、ところで、お前は一体誰だ?」

相手は、他人に何かを尋ねるときは多少なりとも自分の手を明かすのが信頼して貰える方法だよ、と返してきて、確かに、と思った。こちらは何も情報を提示していない。一理あるな。

「ちなみに私は剣士なんだ」

俺が口を開く前に言いやがった。

「女だけど、武術の方が楽しくてね。親もいなかったから自由気ままに流れ剣士をやって、村人の依頼をこなして生計を立ててる」
「……」
「今は目的があってこの近辺をウロウロしてるけどね」

目的?、と反復すれば、君も剣士なら知ってるかもね、と。人探しとか、物探しの類いか?

「混沌に満ちたこのハイラルに颯爽と現れた剣士――――リンクを探してる」

どくん、とある筈のない心臓が跳ね上がった。リンク、リンク、俺の倒すべき者。

「あ、そう言えば名前も名乗ってなかったね。私はパセタ

重要な名前を言い忘れていたのが恥ずかしいのか、少し照れながら右手を差し出された。其れを掴めば、固くなった皮膚。本当に剣士を生業として生きてきたのか、この女。

「君の名前は?」

咄嗟に、ダークリンク、と答えそうになった。違う、俺に名前なんてない。俺はただの影だ。彼奴の、ハイラルを救うと躍起になっている妖精をつれた奴の、影。彼奴が居なければ俺はいない。一瞬の葛藤の後についた言葉は、

「リンクだ」

倒すべき者の名前だった。パセタは、暫し呆然として、顔を真っ赤にした。

「へ、へぇ……」

まさか本人だとは思わないだろうな。実際、俺は人間の敵だ。だが言ってしまったものは仕方がない。直接聞かれれば答えるが、相手が誤解する分には構わない。……何故俺は人間と馴れ合っているんだ?わからない。わからない、が、此処が心地よい空間なのはわかる。

「ま、取り敢えず宜しくね、リンク」

そう呼ばれてむず痒くなったことは、俺が消えるまでの短い一生の秘密だ。







「俺を連れたとき、敵だとは思わなかったのか」

大体の事情を聴いて、此処がハイラル湖の畔であることも確認し、渡された木の器に盛られた食事を食べながらそう聞いた。ちなみに、横抱きで連れてこられたとも聞かされた。屈辱だ。

「んー、何か、綺麗だったんだよね」
「綺麗?」

確かに、あいつの顔をトレースしているから多少なりとも女ウケがいいのは分かっている。ただ、そんな事には此奴が釣られない女ということもこの短時間で理解した。

「そう。えぇと、何て言えばいいのかな?……こう、眠り姫みたいな感じだったんだよ」

言うことに事欠いて大の男に向かって『眠り姫』?

「あぁ、誤解しないでね」

手を突き出して慌てたように振られる。その行動が今まで大人びて見えたパセタのイメージを小さく覆した。

「その、眠ってるのに生命力に溢れてるというか、君は確かに行き倒れてたけど……剣を背負うその姿にみとれたんだ」

最後の、一瞬の間の後に早口でこっ恥ずかしいことが言われた。パセタも恥ずかしいことを言ったのを自覚しているのか、顔をそらしながら急いで晩飯を食べる。

「そんなに急いでくったら消化に悪いぞ」

そんなことが口から飛び出して、心底驚いたのはこの俺だ。他人を心配するなんてことがあるわけがない。……この体はガノンドロフ様によって創られたのだから。でも、現に俺には感情がある。もしかしたら異質な存在なのかもしれない。ただ、それが例え異質だとしても、俺は……

「ねぇ!」

テントの外から力強く声をかけられ一瞬身構えたが、自分を呼んでいるんだということに気が付いて警戒を解く。ワンピースに白タイツという情けない格好になるのは嫌だったのでベルトで腰を閉めて外に出る。いつの間に外に出ていたのか気付かせなかったパセタはブーツを履かずに空を見上げていた。俺も履かずに傍に行く。

「星が綺麗」

俺を呼びつけた女は空に手を伸ばす。そのまま、後ろに倒れた。

「危ねぇっ!」

反射で横に腕を伸ばしたが、それはただパセタが寝転んだときの腕枕になるしかなかった。

「……気持ちいいな」
「あ?」
「他の人の腕枕」

されたこともしたこともなかったから、と呟かれる。伸ばしていた腕枕を肘から向こうを折り曲げて、偶然乗っかっていたパセタの頭を抱き寄せた。

「……何でお前は『リンク』を探していたんだ?」
「あぁ、だって、剣士なら強い奴と戦ってみたいっしょ?」

あっけらかんに言われた。だが、それぐらい分かりやすい話だった。あんまりにもはっきりした答えだったから、俺は声をあげて笑う。

「なっちょっ、笑うことなくない!?」

ぐい、ともっと引き寄せてパセタの髪の毛に微かに顔を埋めた。太陽のにおいがする。綺麗で、ふわふわしていて、あたたか。きっと、お前が俺に惹かれたんじゃない。俺がお前を必要としたから、お前は俺に出逢ったんだ。敵となる人間相手なのに、不思議と悪い気はしなかった。嗚呼、安心しているんだな。そろそろテントに入ろうかと思ってパセタを見る。そいつは静かに眼を閉じて白い肌をしていた。……あと、小さな寝息。眠ったのかこの短時間で。おいおいおい。はぁ、とため息をつく。起こすのも悪いし、今度は俺が連れていくか。肩をもって上半身を起こし背中の草を払う。自分の背中の草も払って、女を横抱きにする。その身体はかなり軽くて、でも見た目ほど華奢じゃないことは、大半が筋肉なんだろうということを俺に知らしめさせた。無防備な顔の、目の下辺りに唇を落とした。どうしてしたのかはわからない。したかったからしたのだ。風が吹く。俺は直ぐ近くのテントに入り、パセタ側にあった毛布を俺の方に置き、俺が使っていた寝袋を取ってその中にパセタをいれようとした。……ベルトは外すにしても、ズボンとか、どうすりゃいいんだ?散々悩んだ挙げ
句、俺は何もしなかった。ベルトを取ってタイツを脱ぎ、俺はランタンの灯を消して毛布を被って寝た。







全てが統制される世界には

俺は要らないのだろう

ただ、ただ、

俺が俺として存在している間は

感情をもって行動してもいいですか?

ガノンドロフ様――――

2008/06/23
シーク/配達屋主 2892字




それは

たった一晩にも満たない出来事で

でもそれだけで十分だった







一期幾会







「はいっ。これらの手紙だけで宜しいですか?」
「えぇ。よろしくお願いします」
「わかりました。責任を持って御届けさせていただきます」

七通の手紙と、二つの小包をカカリコ村村長から受け取って、斜めかけの黒い鞄にそれらを詰める。っと、一瞬他の手紙潰すところだった。

「と、言いましても、本当にもう夜遅いので宿を取りました故、泊まっていかれませんか?」
「……そうですね、お言葉に甘えて出立は明朝にしましょう」

ゼルダ様がいなくなり、インパ様もそれに付き添うようにいなくなり、カカリコ村では別の人が長の座になり村を治めていた。ガノンドロフがハイラル城下町を破壊して、もう七年になる。ゼルダ様は亡命なされたのか、お亡くなりになられたのか、それすらも不明で、時の勇者と呼ばれる剣士と、他の国との国交だけが、この国の希望だ。

「それでは此方へ」
「有り難う御座います」

七年前、私は子供だった。ただ、ヴィシュナ公国ではもう仕事をしていた時だった思う。七年の月日は、八歳だった子供を十五歳にさせた。ヴィシュナ公国はハイラル王国の隣国で、あのハイラル王国の崖と呼ばれるゲルドの谷の砂漠を越えた先にある公国である。私は其処から来て、ヴィシュナ公国内やハイラル王国内の手紙や小包の運送を請け負う仕事を生業にしている。宿に向かう途中、一陣の風が吹き、右耳の涙滴状の紅いピアスが少しだけゆれた。







不意に、懐かしい調べを感じた気がする。起きてみれば天窓から入る光は夜のもので、まだまだコッコが鳴いて人が起きるのには早すぎる時間。なんとなく、本当に何となく気になって、私は上着に腕を通して、管理の問題で鞄を持って出た。調べが聴こえてくるのは、カカリコ村の墓地の方からで私はふらふらとそっちの方へ向かっていった。足音を発てずに、調べの場所へと向かえば、奏者達が見えた。気配を隠すのは職業柄得意なもんだけどね。こんなことに使えるとは思わなんだ。一人は緑衣を纏い剣を背負う金髪のオカリナ奏者。一人は顔の大半を布で隠している美しい金の髪を持つハープ奏者。曲名は全くわからないけれど、静かな夜をあらわす抒情的なこの曲がノクターンだということだけはわかる。その曲は、ハープが一音鳴らして、終わった。剣士の方がまたそれを奏で、紫光に包まれて何処かに消えてしまった。そうして一際高くなっている高台の部分に姿こそ見えないが紫光が弾ける。あぁ、もう廃れてしまったある点と現在点を結ぶ曲の一つなのか。クヌラ族でさえその曲を覚えている人はいないだろう。この身体に刻み込まれている鈴の音以外は。上に移動した人
物は、足音を極力発てないように、奥の何処かに向かっていった。

「其処にいるのは誰だい?」

まるで最初っからわかっていたかのような余裕のある口調。私は渋々墓の影からでて金髪の美人さんの前に出た。

「……クヌラ族か」

彼は、私の右耳のピアスと、上着の左肩にある真ん中が少し短い三本線に、一番下の線の真ん中から縦に線が伸びている独特のマークに目を走らせてそう言った。……なんだっけ、あのマーク。彼の胸に描かれた瞳と涙のマーク。知ってる筈なんだけどな。ド忘れしちゃった。

「えぇ、クヌラ族のカゼラです。さっきの演奏、勝手に聴かせてもらいましたが、すごい綺麗でした」

そう言えば、美形さんは、何となく笑った雰囲気。

「……僕はシーク。宿まで聴こえたかい?」
「いいえ。聴こえた、というよりも、感じた、っていう方が正確な気がします」

シークの雰囲気が微かに澱んだ。何か言ったかな?

「それにしても、移動旋律とはまた古風なものを奏でてましたね」
「クヌラ族だから知ってても当たり前か」

シークは、ふう、と溜め息をついて思案顔。

「時の勇者に必要なものだからね」

時の、勇者。聞いたことはある。混沌の大地に颯爽と現れ、ガノンの手に堕ちた、森を炎を水を、浄化して回っている剣士。ふぅん、オカリナの彼がそうなのか。

「……言って良かったんですか?」
「さっきの調べを聞いて『綺麗』だと思うなら、魔に堕ちたものじゃない」
「…………」

うわぁ、すげぇカッコいい。里の男共に見せてやりたいね。ふ、と思い立って、鞄につけていた、私が持っていると決して鳴らない鈴を取り外す。四角い安全ピンに小さな鎖で繋がれた鈴。それをシークに投げた。

「……これは」
「貰っといてよ。シークのハープの演奏、凄い良かったし。聞き惚れたよ」
「これはクヌラ族の紋様だろう?だったら」
「あー、いいのいいの。今時、鈴でプロポーズとかちょっとアレだから。……それに、決めてたんだ」

クヌラ族は配達者の一族。各地に散って、あらゆる場所からあらゆる物を運ぶ仕事を承っている。そして、プロポーズの際に使われるのは、今投げた鈴。

「ハープを綺麗に奏でる人に渡す、って」
「……」
「その鈴、鳴らそうと思って鳴らさないと、鳴らないから隠密行動の邪魔にはならないと思うよ?」

鈴は契りの証。十歳になった時、特殊な鈴職人に自分の血を入れた鈴を作ってもらい、それは生涯の人に贈るものとされている。

「その鈴を連続五回鳴らしてくれれば、私はシークが何処に居ても君の傍に行くよ」

特殊な感を持つ種族。鳴らされた瞬間、旋律が何処に居ても何処で鳴らされても聴こえる。自分の鈴を決めた回数だけ鳴らされれば、相手側が移動旋律を使ったことになり、自分が相手のいる場所に移動することになる。まぁ、様は強制召喚。でも、そうされてもいいと思える相手に渡せ、と言われてる。でも私はきっと婚姻の誓いをたてないだろうからなー。一族全員に言われるぐらい仕事馬鹿だし。

「……」
「重荷だと思うんなら、投げ返してくれても構わないけど」
「いや、有り難く受け取るよ」

そう言われて、嬉しくなった。ちょっと、投げ返されると思ってたんだけどな。

「配達の御要望があれば、どうぞ私まで」

大袈裟に手を上げてから直角にお辞儀をした。す、と村の入り口の方向を見れば、薄闇だった。

「夜が明ける」

コッコが鳴きはしないけれど、暁の時間。

「それじゃ、もう行くので」
「睡眠の時間を邪魔して悪かったね」
「やや、それでシークの奏でる音楽を聴けたならお釣りが来るぐらいさ」

にかっ、と笑った。

「……あ、さっきから呼び捨てで呼んでるけど、呼び捨て構わない?」
「気にしない」

よかったぁ、と言って今度こそ、じゃ、また、とだけ残して私は墓地から宿に戻った。







「うっし、ズボンにブーツに上着、鞄に首巻きにゴーグル、それにピアスもつけたし、おっけー」

シークと別れた後、すぐに部屋で出立の準備をした。えっと、手紙の宛先は湖博士に一通、ゲルドの谷に一通、ヴィシュナ公国に三通、ルッケンド国に二通。小包は、ヴィシュナとクルドラ王国ね。他地区で受けたの手紙は全部里で各配達者に振り分けられるから、里に一度行かなきゃいけないなぁ。ルッケンド国も私の管轄じゃないし。宛先の確認を今一度して丁寧に鞄に収める。コッコも鳴かない暁の内でも早い時間に、私はカカリコ村を後にした。







一度の出逢いは

思わぬところで

幾重にも

2008/11/28
ゲン(ポケモン)/トレーナー主 2401字




白く積もる雪

すぐにかたまる吐息

出逢いと別れ







邂逅







吹雪の中、一人の少女が倒れていた。

「おい、おい、意識はあるか?」

私が、ぱしぱし、と頬を叩いても彼女は目を覚まさない。雪にまみれた灰パーカーの下に見えるのは黒のタンクトップ。……こんな薄着でこの217番道路を突破しようとしたのか。無謀なトレーナーだ。とはいえ、見捨てるわけにもいかないだろう。さく、っと酷く冷たい身体を抱えて私はキッサキシティにいく道の途中にある小屋まで駆けた。







まぶしい。あたたかい。てが、上手く動かない。

「 、」
「ん?気がついたかい?」

音になっていない声に反応したのは、男の人のおちつく声。あたしは、なんだかひどく痛む身体を動かしてそっちを見た。まだ、目が光に慣れない。さらり、とおでこの髪を落とされて、手のひら。つめたい。

「熱が出てきたね。辛いだろうけど、一晩寝て体を治そうか」

あ。気持ちいい手のひらが遠ざかってしまった。ていうか、この人は誰だろう。

「すみ、ません」
「そうだね。でも、謝罪よりは感謝の方が嬉しいな」

はっ、はっ、と息が上がってきた。それでもこの人の声は、するり、と耳に入ってくる。

「あ……」
「私のことはいいから、早く寝なさい」
「きょ、うは、まんげつ、ですか?」

今が夜かもわからない。でも怖い、とてもとても。この感覚は、満月に違いない。

「……そうだね、満月だよ」
「すみません、レントラーのボールを……」

布団から手を伸ばせば、パシュン、と音が鳴って、レンの肉きゅうが手のひらに当たる。あぁ、レン、だ。







「君のご主人は満月が嫌いなのかい?」

私は眠ってしまった彼女が抱えるレントラーに話しかけてみる。彼は少し逡巡して、こくり、と頷いた。

「そうか。……私もそろそろ寝よう」

新月を怖がる子は多いけれど、満月を怖がる子は初めてみたな。ダークライとクレセリア、か。夢物語だと常々思っているのだけれど。そんなことを考えながら、山小屋の一室を借りて夜を明かそうとしている。一人がけのソファに座って毛布をかけ、私も眠りに落ちた。







「……きのルカリオなのかなぁ?」

そんな声が、聞こえてきた。目蓋を透かす光が明るい。

「そんなわけないか、都合良すぎだよね」

はは、と乾いた笑いが妙に痛々しくて、私は何も聞かなかったように、眼を開いた。

「おはよう、よく眠れたかい?」

ふぁ、と欠伸をしながらそう声をかければ、彼女は私のルカリオの前に膝立ちになりながらその肉きゅうを両手にもってもんでいた。

「あっ、はいっ、よく眠れましたありがとうございます!」

真っ赤になってルオの手を離して私に向き直る。その行動と素早さに少し笑ってしまう。

「いいよ、ルオも嫌がってないみたいだしね」

そう言えば、また彼女はそろりとルオの肉きゅうをもみだした。ふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふに。

「指は問題なく動くね?」
「はい、ばっちりですよ?」

凍傷で指を落とすか如何かの瀬戸際だったから、良かった良かった。コンコン、とドアが鳴る。私はソファを立って覗き窓から外をみる。あぁ。がちゃ、とドアを開ければスキーウェアの女性。

「よかった、その子気がついたんですね」
「えぇ、貴方のおかげです」

くる、と振り向いて突然の来訪者に驚いている少女にナカナさんを紹介する。

「彼女を君を此所まで運ぶ途中に出逢ったポケモントレーナーで、ナカナさん。えーと、君の着替えとかもナカナさんがやってくれ、ました」

最後の方は思い出すのも恥ずかしい出来事だ。彼女の灰色のパーカー、黒のタンクトップ、ギミックジーパン、全て暖炉の前にかかっている。

「あっ、ありがとうございます!」

すっ、と立って彼女はお辞儀をする。彼女のレントラーも、頭を前に傾けた。少し苦笑。しっかりしてるな。

「はじめまして、ナカナです」
「私はイキアです。あっ、すみません自己紹介もしなくて」
「私はゲンという者だよ」

ぱたぱたころころ、百面相。

「それにしても、あんな格好で217番道路なんて無謀にも程があるよ?」
「すみません……」

しゅん、としてしまったイキアくんの頭をぐしゃぐしゃとナカナさんが撫でる。

「憎くて怒ってるんじゃない、あなたが心配だから怒ってる。わかるね?」

こくん、と彼女はうなずく。

「よしっ、じゃあ身体があったまるもの作ってくるから」

にかっ、と笑ったナカナさんは風のように部屋から出て階下に行ってしまった。

「……」
「……」
「あ、レン、戻って」

パシュン、とモンスターボールから赤い光が出て、レントラーが吸い込まれていく。程なくして一回りも二回りも小さくなり、イキアくんはウエストポーチの外についているボールポケットにそれを嵌め込んだ。六つ並んだボールポケット。さっきのレントラーのボールも含めて埋められている数は五つ。リーグを目指すなら、この時期になれば六匹持つのが基本だ。それだけ勝てる確率が上がるんだから。

「本当にありがとうございました」

くる、と振り向いて彼女は言った。艶やかな短い黒髪が、ゆれる。

「いや、君が無事で良かったよ」
「ゲンさんとナカナさんのおかげです」

そう言って、にこっ、とはっきり彼女はわらった。………………。

「そ「ご飯だよー、イキアちゃーん」

昨日から気になっていたボールポケットの質問をしようとしたら、いい匂いをさせた鍋をもったナカナさんが現れた。まぁ、後でいいか。

「美味しそう……」
「なんたってナカナ特製スペシャル雑炊だからね!」

盆にのせられた鍋と取り皿。

「あ、これみんなで食べるんですね」
「うん。ゲンさんも朝御飯まだですよね?」
「起きたばかりだからね」

苦笑を交えて言えば、ナカナさんは取り皿に雑炊をよそって蓮華をつけて渡してくれた。

「ありがとう」
「二人ともあったまっちゃってねー」







「そんじゃ、気を付けるんだよー」

ナカナさんに手を振られ、私達は一緒にキッサキシティまで行くことにした。







咲くり咲くり

雪の上に花びらおちる

2010/03/29
叶東海/高校生主 2137字




数学の授業中、少し退屈だったから問題集を開いてワークをひたすらに解いていく。

クラスメイトのざわめき、消ゴムの落ちる音、誰かが廊下を駆け抜ける音、尊大な着信メロディのようなもの。あんまりにもノイズが多くて私はこの問題を解き始めてから21回、シャー芯を折ってしまった。







Dancing Lights  踊る灯







問題が解き終わって、解答を読むと共に体をほぐす。そこでやっと気付いた。私の視界を遮る前のやたらと背の高い男子も、左後ろに座るやけに甲高い女子の声も、ましてや授業をしていた筈の先生の声すら聞こえない。

辺りを見回す。

誰も彼も、みな消失。

「……わーお」

あんなに煩かった校庭からの叫びすら聞こえず、隣のクラスの声も聞こえてこない。無音が聴こえてきそうなぐらいの静寂。

少し吃驚しながら、時計を確認してもそれは十二時から動いてすらいなかった。鞄から携帯を取り出すと十二時十分。あぁ、好都合、と私はまたワークに向き直った。







ぱた、ぱた、と誰かが歩く音が聞こえる。私が走らせるシャープペンシル以外の音。世界が薄い膜に包まれたかのようになってからは、初めての≪他人≫の音。まぁ、それはそれとして、授業時間も問題も終わってないし取り敢えず、これだけは解こう。

カリリ、と基本となる公式を書き出した瞬間、所謂後ろのドアが開いた。

東谷

緩慢な動きで後ろを向き、2Aのドアを開けた人を確認する。

「こんにちは、叶先生」

そう言って私はシャープペンシルをノートの継ぎ目に置く。ワークに視線を、ちら、と移して何処までやったか確認。叶先生は、やけに爽やかな笑顔を浮かべて喋った。

「こんにちは、だな」

世界から人が消えたのに、私たちはいつものように会話していく。レポートを届けたりする時、先生は面白い話をしてくれるから私は好きだ。皆は敬遠するけれども、それは勿体ないと思う。

「みんな、何処かに行ってしまったんですけど、何か先生は知っていらっしゃいますか?」

先生は、口をつぐみ、何かを考えていた。言い方を考えているような、言うこと自体を逡巡しているような。

「鐘が、鳴った」
「……時計塔のですか?」

先生は頷く。あの、入学当初から一回も鳴らずにそれどころか針が動いてるのを見たことすらない。そんなことを考えていたら、いつのまにか叶先生は消えていた。……まぁ、いっか。

色々と訊きたいこともあったけれど、またでいいか、と息をついて携帯の時計を見、数学の教科書類を鞄に仕舞い英語を机の上に出して、最後に財布と携帯電話を手に教室を出た。







人と肌が触れ合ってしまうことが、何よりも恐ろしい。

そんな私には、これは神からの祝福にさえ感じられたから。







学食で、自販機に向かい紅茶を買う。購買に足を向ければ誰もいない。ぐぅ、と鳴るお腹を抑えてしばし思案。流石に、誰もいないところからパンを持っていくのは気が引ける。幾らお金を払うつもりでも、何となく嫌だった。弁当を忘れて、ラッキーにも生徒はいなくて、購買戦争に巻き込まれることもないのに。

諦めのため息をついて私は紅茶に口つける。糖分さえあればなんとかなるし、我慢するしかないか。

教室に戻る途中、この時間が終わるまで読む本がないことに気がつく。渡り廊下を渡り、図書館に寄ったら、ドアの前にある掲示板に今週の新刊一覧が。面白そうな本があったから、借りていこうと思った。




何故この時間が永続的なものではないのか、そう感じた理由は現時点ではわからない。

けれども、世界がこのままではないような、そんな気がした。




うっかりその本を図書館で読み耽ってしまい、携帯の時計を見れば十三時五十分。図書室の時計はやっぱり動いてない。そして同じようにまだ世界は戻らない。もしかしたら、ずぅっとこのままなのかもしれない。それはそれで、宜しいのだけれど、世界に人がいなければ本は刊行されない。それは、流石に寂しい。

息をついてカウンターで貸出手続きのバーコードを読み取り、自分で手続きを終える。ふ、とカウンターの横を見れば、さっきまで無かった本がそこにあった。……?




図書館を出て校舎まで戻り、三年の教室、三階まで足を進めれば鐘の音がいきなり鳴る。あぁ、誰かの着信メロディだと思ったのはこの鐘の音だったんだ。廊下に着くと話し声が聞こえてきた。




「捕らえられる心がある」
「え……」

静かな、水のような声。話し声のする方向に行けば、後ろ姿の時枝と高階が見えた。その向こうには叶先生。

「叶……先生」

時枝が吃驚したのか、若干掠れた声で呟く。

「心を捨てなければ、いずれ喰われるだろう」

なんて物騒な話をしてるのか。

「え?」

彼が、益々意味が分からない、と言うように疑問符をあげた。

「そろそろだ」

その声に時枝と高階が顔を見合わせる。その時、時枝が私に気付く。

東谷
「――――鐘が止む」

あれだけ煩く、自己主張の塊だった鐘の音が、止んだ。




瞬きをする暇もなく、全てが、元通りに。教室のざわめき、グラウンドの喧騒、ノートとペンが擦れる音。無音はない。時枝と高階と私はお互い顔を見合わせ、声を潜めて、少し話して何事もなかったかのように各々の教室に戻った。

一体、何だったんだろう。







何も変わらない日常。

それは、あどけない一人の願いによって、非日常へ。

2010/07/12
真田甚/出前屋バイト大学生主 1689字




海の近くで桜は散らないけれど春。バイクをかっ飛ばした私は所定の場所に駐車し、海上保安庁の敷地内にあるこじんまりとした建物に向かった。店長に渡された住所と地図と写真を見比べる。

建物を見上げながら、海上保安庁特殊救難隊、って特別そうな名前がついてるのに、これなのかと少し不安になった。店長が写真をくれたのはこれのせいだ。いつもは写真なんて渡してくれないのに。

間違っていないことを確認して、地図やらを仕舞いそのドアを叩いて開いた。

「まいどー!刀々亭でーす!海上保安庁特殊救難隊は此方ですかー!」
「お、来たで来たで!」

関西弁のお兄さんが私を案内してくれる。地面に置いていた岡持を二つなかに持って入り、机の近くで膝をついて鉄板の扉を開ける。

「チャーシュー麺、担々麺、ジャージャー麺、雲呑麺、青椒牛肉、餃子60個、それぞれ大盛りでお持ち致しました!」

料理名を言いながらどんぶりや器を出していけば、色んな人がそれを取っていく。一瞬、目を奪われた人がいた。

「6250円、でえぇか?」

不意に肩の上の方から声をかけられて吃驚した。あ、これじゃあ私不審者じゃん!

「え、あ、はい」

立ち上がれば少し上にある眼とかち合う。さっとウエストポーチから小銭入れを出して待機すると、千円札が一枚、五百円玉が八枚、百円玉が十二枚の五十円玉が一枚。それぞれ確認しながら最初に案内してくれた人が、私の手に置いていく。

「はい、丁度お預かり致します」

領収書と割引券がついたメニューを渡した。と、いうところで関西弁の人が口を開く。

「そいやいつもの人やないねんな」
「これは失礼しました。刀々亭で新しく雇われたバイトの瑞野です」

帽子を外して挨拶すれば、ソファに座って食べている人たちもこちらを見てきた。う、見られるのには慣れてないから恥ずかしい。

「俺は三隊の嶋本や。よろしゅうな」

にかっ、と笑う笑顔がなんだか眩しい。可愛い人だなぁ。いや、明らかに年上だけど。

「俺一隊の大口」
「同じく一隊の黒岩だ」

色んな人が立て続けに自己紹介をしてくれる。あぁ、でも正直覚えられる気がしないのは駄目ですか……。ふ、と胸元を見れば名札。あぁ、当分は名札を確認しよう。どうせこっち側は私の担当だし。

「刀々亭で此方の地区を担当している瑞野 狐虎です。またよく現れると思いますので、刀々亭を是非これからもご贔屓に」

にこっ、と笑って岡持を両手に持って外に出ていった。




駐車場まで歩きながら、さっきの人を少し思い出す。一際目についた寡黙そうな男の人が、割り箸を口で割っていた。ただそれだけの光景なのに、何だか気になってしかたがない。

あ、そういえばあの人の名前は聞いてなかった。食べていた姿を思い出しても、上は黒いシャツで名札はつけていなかった気がする。

……ま、いいか。いつの間にか止まっていた足を動かした瞬間、風が吹く。わっぷ。潮風強っ。髪を抑えたところで気がついた。

帽子がない。うわ、備品、と踵を返して走り出した途端に何かにぶつかった。岡持が落下した音が煩い。てか、鼻打った……。

「大丈夫か?」

私がぶつかった壁から声が落ちてきて、急いで一歩後退してみればさっきの黒いシャツ人。

「帽子を届けにきた」
「あ、ありがとうございます」

ぽす、と頭に白いそれを載せられる。その帽子を畳んでポケットに入れようとしていたら、岡持を両方とも持ってさっきの人が歩き始めていた。えっ。

「あ、あの」
「バイクまで送る」

私が二つ持っていっぱいいっぱいになる岡持を、この人は軽々と持って歩く。大股の歩きに小走りで着いていって声をかけた。

「あ、あの、お名前聞いてもよろしいですか?」
「三隊の真田だ」

三隊……あ、嶋本さんと一緒の隊の人だ。

「嶋本さんと同じ隊の方なんですね」
「そうだな」

バイクのところに着けば、真田さんは慣れたように岡持をバイクの背面に取り付ける。うわ、そこまでされてしまうと本当に申し訳なくなってしまう。

「ありがとうございます」

いつものように笑えば、真田さんは頭を撫でてきた。え、何これ。

「気を付けて」
「は、はい」

最後に一礼して私はバイクに跨がってエンジンをかけた。







不思議な人だ。

2010/12/06
ルシフェル(El Shaddai)/一般人主 2360字




ある日私は人間界に降りた。何か用があってというわけではない。ただ何となく、この時代の人の子らは何をしているのか覗いてみただけだ。

冷たい滴が私の顔に当たる。なんだ、これは。あぁ、これは『雨』だ。天界には無かったが、人間界にはこういうものもあるのだな。これがなければ生きていけないとは、人間とはなんて不自由な生き物なのだろうか。

不意に雨が止む。いや、雨は止んでいない。私の眼前では未だに雨は灰色の地面へ叩きつけるように降り注いでいる。

「あの」

大雨の音ですら消せないような凛とした声。

私が振り向けば、小さな人間が私に向かって何かを掲げていた。何だこれは。上を見上げれば透明な何かが雨を弾いている。雨受け……いや、これは『傘』だ。

「あの、取り敢えずこれ、持ってもらえませんか。貴方の身長高いので辛いです」

ふるふる、と私に傘を掲げる腕が震えていたので、言われるままに私は傘を受けとる。声をかけてきた彼女はモスグリーンの傘を肩にかけて私を見上げた。

「うわっ、すごいびしょ濡れじゃないですか!」

えーと、ときょろきょろと辺りを見回して彼女は改めて私を見る。

「うち、寄っていきますか?タオルと珈琲ぐらいなら出しますよ」

へら、と笑って何を言っているのか。もちろん私と彼女は初対面なのだが、簡単にそう言う慣習でもあるのだろうかこの土地には。

「あれ、言葉通じないかな。――Please come with me.」

そう手を取られ、私は頷く。指を鳴らすことも考えたが、雨に濡れた体に彼女の体温は気持ちがよかったんだ。







「はい、タオル。頭と体を拭いて待っててくださいね」

白いマンションの一室に入った彼女と私。傘をたたんで直ぐにタオルを渡してきた彼女は頭と体を拭くジェスチャーをし、廊下を少し行った先の部屋にある机の近くにあるクッションを叩いて何処かに行ってしまう。

あらかたタオルで体を拭き、彼女がいるであろうキッチンへと私も向かった。そこには白い――珈琲メーカーだな――に珈琲豆を入れている彼女がいる。

「なぁ」
「わっ」

小さな肩を震わせた彼女は澄んだ瞳をこちらに向けてきた。

「私はこちらの言葉を喋ることが出来るのだが」
「……ホントですか」
「あぁ、本当だな」

あー、と少し耳や頬を赤くしながら「早く言ってください」と呟く声が聞こえてくる。

「すまない。何せ君が積極的だったからな。口を挟む隙がなかったんだ」
「まったく、よく言いますよ」

呆れたような感情が混ざった視線。

「そう言えば名前を聞いていなかったな」
「あぁ、そうですね。私はイリスです。貴方は?」

イリス、と名乗った彼女は先程稼働させた珈琲メーカーを見て、まだだな、という表情を浮かべる。

「ルシフェルだ」
「ルシフェルさんですね、覚えました」

にこ、とイリスが笑ったところで、ぴこん、と珈琲メーカーが鳴った。

「あ、珈琲出来ましたね。机の方に行っててください」
「わかった」

私はキッチンを後にして先程すすめられたクッションに座る。

「ルシフェルさんは珈琲に牛乳とか砂糖とか要りますか?」
「いや、私はそのままで」

わかりましたー、と向こうから聞こえてきたと思えば牛乳と珈琲ポットを持ったイリスが出てきた。

「マグカップ今出しますね」

食器棚が開けられ、そこから黒と白のマグカップが移動する。白を目の前に置かれ、珈琲が注がれた。

「どうぞ。風邪引いちゃいそうなぐらい冷えた体にあったかい飲み物は覿面ですよ」

天使に風邪という概念はないんだがな。微かに笑いながら私はそのマグカップを取る。

「それで、どうしてあんなところに傘も差さずにいたんですか?」

マグカップを手で包む彼女が私に問いかける。

「理由は特にないな」
「そうですか。大雨警報が朝から出ていたので気になってしまって」

朝からあの雨だったのか。なるほど、確かにそれは不思議だろう。それにしてもあの『傘』は興味深いものだな。ああいう、簡単な構造のものを作り、濡れないようにするという人の知恵は面白い。

「それでは逆に聞くが、何故君は私を此処に招いたんだ?」
「……貴方が雨に濡れていたからです」

事も無げに、イリスはそう言った。

「私、雨に濡れてる生き物を無視できないんですよね」

にゃあ、と彼女の足に小さな生き物がすりよる。

「この子も雨の日に見つけたんです」

胸元に猫を抱き上げてイリスは話し続けた。

「私はその子猫と一緒というわけか」
「そうですね。あまり変わらないと思います」
「私が犯罪者という可能性は無かったんだろうか」

一瞬、彼女は口を強く引き結んだ気がする。それは見間違いだったのか、直ぐに元に戻った。次の言葉を待つ。

「窓から見たとき、貴方の背中に羽根が見えた気がしたんです」

私は、中指と親指を打ち鳴らした。







「この子も雨の日に見つけたんです」

彼女は先程と寸分変わらずに胸元に猫を抱き上げて話し続けた。

「私はその子猫と一緒というわけか」

私もそう返す。

「そうですね。あまり変わらないと思います」
「なるほど、面白い」

私は笑う。

「それじゃ、私はこの辺でお暇しよう」
「えっ、そんなまだ真夜中だし雨降ってますよ!」

連れてきた意味がないじゃないですか、と彼女は慌てる。つい、と窓を指せば視線はそちらへ。

「……あれ?」

イリスが首をかしげているその間に私は玄関へ向かい靴を履き、朝日が昇る外へ出た。




「傘はいいな。人間という生き物の洗練された知恵の結晶だ」

私は先程使った傘を開いて歩きながら、上機嫌に呟く。さて、彼女が傘がないことに気がつくのはいつだろう。







「……嵐みたいな人だった」

ビニール傘持ってかれたけど不思議と怒る気も起きない。まぁ、安かったやつだし、いいか。

「また会えたらいいな」

私は足にすりよる飼い猫を胸に抱いて、いつの間にか明るくなっていた空を見上げた。

2010/12/11
ルシフェル/一般人社会人主/家族愛 2552字




ある日私は雪かきのためにこれでもかと防寒着を着込んで長靴を履いてスコップを持ち庭の方に行った。羽根の生えた人が落ちてた。

「……は?」

雪は真紅にまみれてその翼は破れもがれ折れていて、吃驚したせいで一瞬呆けた私は慌ててスコップを投げ捨てその人に駆け寄る。黒いシャツは元がこんな色だったのかと思うぐらい赤黒く変色していて歯の根が合わなくなりそうなぐらい恐怖を覚えた。

けれど私は震える身体を叱咤しながら、うつ伏せに横たわる彼の脇の下から腕を入れ背中で手を組み、ずるり、と後ろに一歩踏み出す。ぬるり、としたものが上着の袖口から侵入してきて酷く怖い。何、これ、ねぇ、何が起きてるの?

泣きそうになりつつも私は一歩一歩踏み出して、庭に面した大きな窓を開け放つ。さっき空気換気したときに鍵かけ忘れててよかったかもしれない。長靴を脱いで無理矢理家の中に連れ入ったときには、私の呼吸は大きく乱れていて軽く涙が出ていた。

「あ、部屋暖めなきゃ……」

急いで窓を閉めてカーテンを閉じ、エアコンと床の暖房を入れつつ防寒着を脱いでタオルを取りに行って彼の前に膝をつく。でろでろに赤くなったシャツを脱がせ(羽根はするりと抜けて吃驚した)、上半身を拭いていけば彼が身じろいだ。

「……?」

壁に体を預けさせて前から拭いていたものだから、紅い瞳と私の視線がかち合う。

「あ、気がつき、ました?」

そう言いながら、はっ、と床に流れる新しい血に気づいた。有無を言わせず壁から引き剥がし羽根を見れば、小さな羽根の根本から血があふれている。え、えっと、こういう時こそネット!

壁際に置いてあったリビングPCですぐに調べて彼のところに駆け戻る。彼は、きょとん、とした顔をしてまだそこに座っていた。

「ごめんなさい、新しい羽根から出血してて、処置として羽根を抜かなきゃいけないんです。抜いてもいいですか?」
「あ、あぁ」

呆気に取られたかのような返事をした彼の後ろに回り込み、タオルを片肩にかけてすぐ取れるようスタンバイ。出血場所近くの羽根の根本を掴み、私は一気に引っこ抜いた。

「――――っ」

羽根の生えた彼は悲鳴を噛み殺し体を前傾させるので、それに合わして私も移動してタオルを抜いた羽根付近の場所に当てる。……一応他のところは出血してない……よね。羽根や身体全体を見回して私は小さく頷いた。

「あとは骨折した箇所に副え木をして、あ、副え木になりそうなものあったかなぁ……」
「なぁ」

私が独り言を喋っていたら彼が何か呟く。

「はい?」
「応急処置はありがたいんだが、何故驚かない?」

驚く?もうとっくに驚いて……あれ?

「えっ、あれっ、これ本物の羽根?あったかい!何で!」

元は純白だっただろう羽根は赤に染まり所々は黒にすらなっている。

「あぁ、そうか、天然なんだな君は」

初対面の人(?)にそんなことを言われたのは始めてだ。あっ、救急車呼ばないと。

「そ、そんなことより救急車呼びますか?」

子機に手を伸ばしながらそう言えば、彼は私の腕を掴んだ。綺麗な瞳がまっすぐ私を見て、さっきとはまた別の意味ですごく怖い。

「悪いがこちらの人間にこれ以上関わるわけにはいかないんだ」

真剣な声でそう言うから、私は伸ばした手を引っ込めようとする。それと一緒に手首も解放された。よかった。でも如何しよう。私は薬棚から包帯やオキシドールを取り出しながら考える。

「でもその格好じゃ回復に時間かかりそう……ですよね」

あと残ってた割り箸を食器棚の引き出しから取りながら彼に言った。

「確かにそうだな」

肩を竦めた彼の返答に私は答えずに彼の前に座って傷の処置をしていく。痛そうに時々顔を歪めるけれど私は、痛いですか?、と聞いて処置を止めることだけはしなかった。

「あ、よく考えなくても動けない傷か」

くるくる包帯を巻き始めたところで彼の言葉に同意する呟きを落とす。羽根も割り箸を何本か骨の部分に当て包帯で固定していった。何回かその作業を繰り返していく内に、ひしゃげた羽根は無くなったし、怪我をした部分が露出することもなくなった気がする。

「うん、これでよし」

軽く彼の背中を叩いて私は立ち上がる。さて、血まみれのタオルを早く洗わないと。ごそ、と紅いタオルを胸に抱いて、洗面所に向かう途中で彼の方へ体を向けた。

「そうだ、動けないなら此処にいたらどうです?」
「何を言っている、君は」

訝しげに彼は眉を寄せて私を見る。まぁ、そういう反応するよね。

「傷が治るまで面倒見るよ、ってことですよ」
「それは」
「あ、ごめんなさい。先タオル水に浸けてくるから待ってて下さい」

ぱたぱた、と私は洗面所まで駆けて置いてあったバケツにタオルを入れてそこに水を張った。うわぁ、直ぐに水が赤く染まっちゃう。私はその水を直ぐに捨ててまた水を入れた。







バケツに張った水と軽く奮闘して私は彼のいるリビングに戻る。

「で、どうしますか?」

途中のクロゼットから取ってきた、ぐちゃぐちゃで着れなくなったシャツの代わりを片手に私はそう訊ねた。

「……まぁ、君の世話になった方が良さそうだな。しかし」
「あ、生活費のことなら心配しないでください。これでも結構稼いでるんで」

シャツを差し出しながら笑って言葉をかければ、彼はシャツを受け取り薄く微笑んでくれる。

「それにしても、よくこんな怪しいやつを助けようと思ったな?」
「まぁ、怪我人でしたし」
「自ら屋根の下で暮らそうと提案してくるし、警戒心はないのか?」
「だって貴方天使でしょう?天使には男も女もないって聞いたことがあるので」
「……間違ってはいないがな。しかし天使を信じるか?」
「信じなくても目の前にいますし」

さくさく会話をしていけば、呆れたように彼がまた笑ってくれた。あ、よくよく見るとすごく綺麗な顔立ち。漆黒の宵闇のように艶やかな髪、紅月のように冴えた色の瞳、陶器のような肌。綺麗。

「あぁ、そうだ」
「?」

ふと思い出したかのように立ち上がって、彼は喋り出した。

「自己紹介がまだだったな。私はルシフェル。天使だ」
「私はイリスです。人間ですよ」

お互い笑って、差し出したその手を握りあった。うわ、大きな手。




(じゃあ次は腕がうまく動かなさそうですしジーパン脱がしてあげましょう)
(……ん?何かおかしくないか?イリス、君には恥じらいが……!)

2011/05/28
ルシフェル/高校生主/道連れ 3170字




ピピピ、と目覚まし時計が鳴り私の起床を促す。朝六時。いつも通り変わらない時刻に満足して私は体を起こしてから軽くストレッチをして体をほぐした。

何か今日も変な夢を見た気がする。木々の葉が緑から赤へと変わるように徐々に、だけど確実に世界が変貌していくような、そんな夢。何度もこういう類いの夢は見てはいるけれど、やっぱりなれない。

そして洗面所に向かい一通りのことを済ませ部屋に戻り、壁にかけている制服を手に取り袖を通して、ネクタイも締める。姿見で全体を確認して軽く頷いた。机の上の鞄に今日の時間割りの教科書や借えす予定の本が入っていることを確認してそのままリビングに出る。

「おはよう、お母さん」
「おはよう」

スーツの上着を脱いでエプロンをつけた姿の母はもう三人分のお弁当と朝食を作り終えたようで、丁度エプロンを外すところだった。私もお母さんぐらい料理が上手ければいいのに。

「お母さん、もう食べていい?」
「ちゃんといただきますしてからね」
「はーい」

椅子を引いてダイニングテーブルにつき、いただきます、と言って箸を持つ。片手にご飯茶碗を持ちながら昨日の晩御飯の残りの肉じゃがに手をつけた。ほくり、と箸で軽く割れるじゃがいもは味が染みてて美味しい。

「うん、美味しい。やっぱお母さんが作るご飯好きだなぁ」
「昨日も言ってたでしょ、それ。さっさと食べて行きなさいな」
「わかってるよー」

少し照れた風にお母さんが言うものだから私は何だか面白くて笑ってしまう。

小鉢によそわれた黒豆ももちろん美味しくて食べきっちゃった、ってのはお父さんには内緒にしておきたい。




「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」

私がそう挨拶をすればお母さんはいつも通り返してくれる。うん、何か不吉な夢見たけどやっぱり全然変わらないよね。私はそのことに安堵して椅子から立ち上がり食器をシンクに片付ける。

お弁当を包んで鞄に入れて、うん、これでOKかな。

「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」

鞄を持って玄関でそう言うと、上着を着たお母さんが見送ってくれた。

玄関を開ければそこはもう初夏の日差し。衣替えと夏はもうすぐだ。







昨日と同じ今日。今日と同じ明日。







電車を乗り継いで特に遅延もなく学校最寄り駅に着く。よしよし、今日の幸先いいね。

そうして街を歩いていけば何事もなく学校に着き昇降口でローファーから上履きへ。そのまま廊下を進んでいけば階段のところに大きな振り子が変わらずそこに在った。

地球が自転してることを証明するフーコーの振り子。酔狂な設立者のお陰で開校当時からの名物らしく、これを目当てに入ってくる理系生徒も多いだとかなんとか。

振り子が揺れる柵の周りには時盤がついていて、今の角度が何時に揺れるのか示してある。私はこの少しふるめかしくしてある文字盤も好きだった。

「おっはよー、イリス
「あ、いっちゃん。おはよー」

ぽん、と肩を叩かれて振り向けばクラスメイトのいっちゃんがそこに立っている。

「またこの振り子見てたの?」
「うん、だってこんなただの振り子でこんな大きな地球の自転を証明してるんだよ。凄くない?」

私の言葉にいっちゃんは少し苦笑した。

「よくわんないなぁ。でもイリスってそんなに物理専攻だったっけ?」
「ううん、全然」

ただこういう現象が好きなだけで、その過程の式はあまり得意じゃない。先生曰く、理系のセンスが壊滅的にないそうだ。

「あ、そろそろ上がろうか」
「そだね」

私が携帯電話の時計を確認して言うといっちゃんは頷いて一緒に歩き出してくれた。




お昼が終わった後の五限目。ノートを取っていたら、つきん、とこめかみが微かに痛んだ。何だろう、今日って暑いし脱水症状かな。いやだな。板書されていく文字を書き写しながら、紙面に走らせていない方の手を痛む部分に当てて軽く深呼吸をする。けれども和らがない。むしろどんどん酷くなる。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い。

からん、と指からシャーペンが転がり落ちて近くの机の子が拾ってくれた。痛い。ありがと、と言いながらシャーペンを持ち直そうとしたけれど無理で、あぁ立てる今のうちに保健室に行っておいた方がいいような気がする。針で刺されたみたいにつきつきしてきた。

「先生、すみません」

立ち上がりながら挙手をして保健室への許可を得る。保健係の子に、ごめんね、って言ったら、このための保健係だから大丈夫だよ、って笑顔で言ってもらえたら少し痛みが和らいだ気がした。







しかしそれは確固たる真実なのか。







「……ん」

また夢を見た気がする。でもどんな夢だったか思い出せなかった。久しぶりだなぁ、なんて思いながらベッドから足を下ろして立ち上がり、制服を少し整えてからカーテンを開く。

時計を確認したら十六時少し前。寝過ぎた。校医の先生に挨拶をしようと保険室内を見渡しても誰もいない。今日、職員会議とかあったっけ?首をかしげながら不要紙でつくられたメモ紙を取って、目が覚めたので帰宅する旨と名前とクラスを書いて先生の机の上に置いた。

からり、とドアをスライドさせると丁度日が入ってきて眩しい。こんなに陽が差す場所だったっけ?おかしいな、なんて違和感を感じながら廊下を歩く。校内にはあんまり人が残っていないのか気配がない。グラウンドから運動部の声が聞こえるのに何となく安心した。

自分のクラスに戻って鞄を取る。教科書とかも入れて、うん、大丈夫だね。鞄と中身の確認をしてまた教室を出る。そうだ、先生に一言言ってから帰らなきゃ。そんなことを考えながら私は階段を下っていく。

一階についた時フーコーの振り子を見れば、朝見た時から角度が寸分とも変わっていなかった。

「え?」

フーコーの振り子は、時間が経つにつれて揺れる方向が変わる(ように見える)のに、これはおかしな現象だ。

そこで私はようやくさっきの違和感に気付く。そうだ、保健室のドアは東向きじゃないか。そんな西日が東からはいってくるだなんて道理が狂ってることはあり得ない。

あり得ない。あり得ない。そう心の中で呟いて目を閉じて、暫くしてから開いても、フーコーの振り子は全く変わっていなかった。文字盤は消えている。何で、如何して。

怖くなった私は職員室によることも忘れて昇降口で靴を履き替えて外に出た。そこには振り子以上に信じられない光景が、私の視界に入ってくる。

人が壁を歩き、スカートは捲れることなく壁に水平に降りて、何事もなく角の向こうに消えた。

これは夢だ。夢なんだ。質の悪い夢を見すぎてるんだ。

私はまた怖くなって街へと走り出す。さらなる絶望があるとも知らずに。







それが永遠に続くと証明は出来ない。







何処もかしこも壁や電線の上を何も顔色を変えずに、そして誰も驚かずに人々は思い思いの場所を道を歩いていく。

狂った。

誰がとは言わない。知りたくない。気付きたくない。傷付きたくない。まさか私が知らなかっただけで世界は変わっていたとでも言うのだろうか。そんなこと、あり得る筈が────。

不意に、指を鳴らす音が響いた。決して大きくないのに、確かに聞こえた澄んだ音。

私は辺りを見渡して、また驚く羽目になる。人が、世界がセピア色になり、全てが停止していた。

「時間が、止まってるみたい……」
「みたい、じゃないんだがな」

そう気だるげな男性の声の方に向くとそこには暗憺たる色に身を包んだ赤い瞳が印象的な男性が立っている。

彼は掲げていた左手を下ろし、私を見てその美しい顔を歪めた。

「さぁ、じゃあ私から奪ったものを返してもらおうか」







こうして昨日と同じ今日はなくなり、明日と同じだろうと思っていた今日は破滅を迎える。

私の信じていた世界は驚くほど呆気なく、壊れてしまった。

2012/01/23
派出須逸人(中学生)/同学年主 3945字




引きちぎられた釦が床を跳ねた瞬間、予告も何もないその暴力は私の目の前から影を消した。吹っ飛んだ影は教室の床を机をなぎ倒しながら転がり、追撃に学生鞄が二つ目の影に投げられる。

壁に背をつけて座り込んだ私は何が起こっているのわからず、理解できない世界を拒絶するように煩い音に耳を押さえて膝に額を当ててただただ変わらず泣き続けた。

「騒ぎがあったと思ったらやっぱり彼か」
「……!」

急に現れた声に息を飲んだ私は肩を震わせ、傍らに立つ小さな影をちらりと盗み見る。するとその人もこちらを見ていたらしく視線があってしまい、驚いた私は思わず勢いよく床に目線を逸らしてしまった。

(────)

違う、この対応は間違ってる。それぐらいわかるのに私は顔をあげられない。だって怖い。誰が何が私を傷つけてくるのかこわい。世界はそんなものばかりじゃないって理解しているのに。

「怯えなくていい」

やさしく落とされた言葉と共にいつの間にか床を抉るように指を突き立てていた片手が取られる。小さくてきれいな手と埃や色んなもので汚れた私の手。

「……!」

それが申し訳なくて、それがあんまりにも嫌で、私はその手を振り払った。振り払ってしまった。その筈だったのに。

「君は元気だな」

逆光のまま白衣を靡かせたその人は、私の手を離さずにそう言って確かに笑ったのだ。表情なんかほとんど見えないのに。

「あ、うあ……」

さっき驚いたときに引っ込んだ涙がまた出てくる。

「ご、ごめんなさ、ごめんなさい……!」

顔を伏せながら地面にそんな何の意味も持たない言葉をこぼして、極度に張り詰めていた私の意識はある一瞬でいとも簡単に落ちた。

喧嘩の喧騒は、もう聴こえない。




揺れる。揺れる。

「ま……く、……は」
「だ…ら、せお……る…ろ!」

誰かが何かを話してる音が聞こえる。私はその一つがさっきの人の声で、もう片方が男の子のものだってことしかわからない。でも、なんで。私、男の子の友達なんかいないのに……。

二人の会話は何だか遠い霧の向こうの世界みたいに聞こえにくくて、もっとはっきりと聞きたいって思ったのに、私はまた眠りに落ちてしまった。




「……!」

目を覚ました私はがばりと起き上がる。一瞬自分が何処にいるのかわからなくて体が震えた。でも、つん、と鼻を刺激するこの香りは……消毒液で、見れば私は淡いアイボリーのカーテンで区切られたベッドの上にいることに気が付く。

保健室だ。

「……」

丁寧に下着のホックが外されていて、下を見れば上履きが揃えて置いてある。取り敢えずホックをつけてから上履きを履き、カーテンを開けた。夕陽。ええと、さっきのは15時ぐらいだったから、二時間ぐらい寝てたのかな。

私は釦がなくなった頼りないシャツの前を寄り合わせながら、誰か先生がいないのか保健室の中を軽く歩いてみる。

「どうしよう……」

このまま教室に帰るわけにもいかない。運良く誰かに会わなければいいけれど、またあんな人たちに遭遇してしまったら私はどうしてしまうかわからない。

途方に暮れた私は、先生の椅子に掛けてあった白衣を少し拝借することにした。前を閉めればたぶん大丈夫。と、そこで、がらり、と扉が開く音。

「起きたのか」

そこにはさっきの白衣を着た、そうだ、たしか養護教諭の三途川先生。

「ん、それは」
「あっ、かっ、勝手にごめんなさい……!」

見咎められると思うなら着なければ良かったのに、どうして私はこんなに考えなしなんだろうか。

「いや、済まないな。そこまで気が回っていなかった」

女の子だから恥ずかしいよな、と三途川先生は近づいてきて私の頭を撫でる。また私の肩が震えた気がして、恥ずかしかった。でも気にした風もなく先生は撫で続けてくれる。

「それはそのまま着ていて構わないし、何ならあげてもいいんだが」
「い、いえ。洗ってお返しします……」
「そうか。それなら楽しみにしているよ」

どうしてだろう。夕陽の中で笑った先生は私よりずっと小さいのに、すごく、頼もしく感じた。

「……あの、先生」
「ん?」
「……さっきの騒動も含めて、私の話を聴いてくれますか?」

先生は嫌な顔をすることもなく頷いて、お茶でも淹れようか、と椅子をすすめてくれる。私はその好意を静かに受け取った。







「私の母は、おかしかったんです」

煎茶が入った湯飲みを机の上に置きながら白衣の袖で挟んで、彼女───一年生の荻乃くんは話し始める。

「町にいるどんな男性とも関係を持っていたんじゃないかって言われるほど、あの人は色んな家を渡り歩いていたみたいで。だから私は父親のことがわかりません」

まるで他人事のように話されるそれは、彼女が自分の感情を決めかねているようにも見えた。

「小学二年のある日、男性が乱暴に訪ねてきたんです。だから警察に通報して、その人が連行されている間にあの人と私は町から逃げました」

そこでは派手なことを何もせず暮らしていたのに、と逆接を繋げて荻乃くんは沈黙する。けれど一瞬唇を噛んでまた口を開いた。

「人が、来たんです。あの、警察に連行された人が。どうして住所がバレたのか未だにわかりません。でもとにかくその人はけたたましくアパートのドアを叩いて色々なことを叫びました」

それでもまた私たちは逃げました、何度も何度も、と口にする彼女の指は白衣の上からでもわかるほど震えている。

「どんな町に行ってもいつのまにか周りの人たちが母のことを知っているんです。母は諦めて、疲れていたのかもしれません、この町に根を下ろしました」

その後は想像に難くないと思います、と荻乃くんは呟く。

「なるほど、それで、か」

今日のことも、学籍の親類欄に何も書いていないことも合点がいった。私はため息をつく。この学校は特に治安がいいというわけでは……いや、はっきりと悪い。昔ながらの造りである校舎には死角が多いのだ。

「小学生の時は、からからわれたり触られたり責められたりはしましたけど、さすがにこんなことなかったんです」

膨らみ始めた胸や肉付きの良くなった足はどうしても同年代の目につくのは、多少仕方ない。それでも母親がそうなら娘もそうだろう、と思った馬鹿共がいたわけだ。

そんなことを考えていたら荻乃くんは、まいったなぁ、と後頭部に手をやりながら苦笑する。私はその額を軽く叩いた。

「笑うな」
「……、……すみません」

そう言うと彼女は困ったように表情から笑みを消す。沈黙が落ちた。

「……」
「……」
「……お茶、冷めちゃいましたね」

そうだな、淹れ直すか、と返して私は荻乃くんの手の中にある湯飲みを取る。あっ、とそんなつもりで言ったんじゃないのか慌てる空気を醸し出した。しかし止められる前にシンクに流したからか、彼女は浮かした腰をまた戻す。

「────先生、」

幾分かの沈黙を持ってから背中を向けた私に宛てられた真っ直ぐな声。何でもないような声で私は返事をした。

「私を助けてくれた男の子は、誰ですか?」

あぁ、なるほど、と思いながら急須に茶葉を入れてポットから湯を注ぐ。

「派出須逸人。二年A組に来た鉄砲型の転校生さ」
「はです、いつひとくん」

確かめるように音を反芻する彼女の前に淹れたてのお茶を出せば、息でふぅふぅと冷ましながらもやっと口をつけてくれた。よしよし。

「美味しい、です」
「そうだろう?」

私が不敵に笑えば、荻乃くんは中学生らしくはにかんだ。







「派出須逸人くん、いらっしゃいますか」

お昼休み、2Aの扉を開いてそう言ったのは小さな女の子。私は少し苦笑しながら近付いて、逸人は今いないの、と告げる。さっき走っていっちゃったんだからタイミング悪いわ。

「そう、ですか」

あからさまに彼女はしょんぼりと体の前で組んだ手に視線を落とす。

「帰ってくるまで逸人の椅子にでも座ってるといいわよ」
「えっ」

彼女の手を取って、慌てる雰囲気も少し強張った手を無視して逸人の席に座らせた。

「きっと授業が始まるまでには帰ってくるでしょうし」

ね、と近くの椅子を引き寄せて机に両肘ついて私は笑う。

「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。私このクラスの蛇頭鈍っていうの」
「あ、私は1Dの荻乃
「よろしくね」
「う、ん、よろしく」

緊張がほどけてきたのか、固い表情だった彼女も小さく笑った。




「うわ、荻乃さんの髪の毛すごく綺麗」
「そう、かな。普通だと思うけど」
「しっかし女子って髪の毛細いよなー」
「……!」
「ちょっと経一、女の子の髪に無断で触らないの」
「痛っ!」
「ほら、謝る」
「あー、ごめん、驚かせて悪かった」
「だ、大丈夫。少し吃驚しただけだから……」





「……人の席で何やってんだよ」

保健室から帰ってみれば俺の席に誰かが座っていて、蛇頭さんと最近まとわりついてくる経一もいる。あぁ、ちくしょう、昨日切った口ん中が滲みる。

「あ、派出須くん」

そう俺の名前を呼んだのは、席に座る女子。そいつは立ち上がっておもむろに腰を折った。

「き、昨日は助けてくれてありがとう」
「昨日……?あぁ、あん時の」

空き教室で襲われてた女子だ。

「別に、ムカついたから殴っただけで礼言われるようなことじゃない」

言いながら席についてもそいつは頭をあげただけで動かない。

「……でもね、私が派出須くんに助けられたのは事実なんだよ。派出須くんがどう、思おうとも」

だけど迷惑だったみたいだね、ごめんなさい、と最後に謝って教室の出入り口に踵を返した。俺は机に突っ伏す。

蛇頭が、ちゃん、またね、と言って、うん、鈍ちゃん、と女子の会話が聞こえた。俺はますます腕に額を押し付ける。

そして扉が閉まった音と共に丁度、五限目を知らせるチャイム。




お礼なんて、久しぶりに言われた。

2013/02/16
立花京/警察官主 5274字




「……異動、ですか?」

警察学校を卒業してこつこつと警察業務をこなし、年度末もいよいよ近付いてきたある冬の日のこと。

「あぁ。次年度、捜査一課特捜に栄転だ」
「……」

捜査一課。殺人、強盗、暴行、傷害、おおよそ刑事と呼ばれる人間が憧れる(と言ったら誤解を招くだろうけれど)事件を専門に扱う部署のはずだ。しかしそんなところに、新米である私が呼ばれる所以がない。きっと裏があるに違いない。

「部署は、どこでしょうか」
「捜査一課特捜二係だよ、佐々 和泉

捜査一課第一特殊犯捜査第二係――――通称、すぐ撃つ課。

私の緊張を読み取ったのか上司はただ一言、がんばれ、と笑った。思い当たる節が一つあるけれど、そんなことで抜擢されたとは信じたくない。あぁでもこんなことなら射撃実技をトップで卒業なんてするんじゃなかった。

それが理由かは、わからないのだけれど。







「ここが、特捜二係……」

部署の前で荷物を持った私は札を見上げて呟く。しかしこうしていても仕方ない。一瞬、息を吸い込んだ私はトランクの柄を握りこみ、空いている手でノックをして扉を開けた。

「おはようございます!」

と、意気込んでみたはいいけれど部屋の中には誰もおらず、私の声が静けさの中で僅かに反響するばかり。……あぁ、そうだ、新人だから誰よりも早く来ようと意気込んで来たんだった。あほなことをした。

「あれ、おはよう」

すると背中から男性の声が聴こえすぐさま扉の前から脇によけて挨拶をする。

「お、おはようございます!」
「えっと、今日から来るって聞いてた新人さんかな?」
「はい、本日付で捜査一課特捜二係に配属されました、佐々 和泉です」

よろしくお願いいたします、と頭を下げると、ははっ、と明るい笑い声。顔をあげてみると先輩は屈託なく笑ってくれていた。

「そんなに固くならなくていいよ。俺は設楽 叶。よろしく」

自己紹介をしてもらった直後、柔らかく笑んでもらい、そこでようやく緊張をほぐしてくれたのだ、と理解する。

「あぁ、そうそう」

設楽さんが自分の席に荷物を置いて、ジャケットをハンガーにかけながら何かを思い出したかのように喋りはじめた。ふわり、と火薬のにおいが部屋に漂う。なんだろう?

「若い子が入ってくるって聴いてうちの課の奴ら楽しみにしてたから覚悟しておいた方がいいよ」

表情は苦笑。

「?」

その意味を私は、五分以内に知ることになる。







「……設楽さんが仰っていたこと、よーくわかりました」
「だろ?」

配属初日、強盗や誘拐事件も起こらず通常業務もつつがなく終わり、たまたま帰る方向が同じだということで駅へ一緒に行く道すがら、私は設楽さんに話しかけた。

「まさかあんなに、えぇと、その」
「可愛がられるとは思わなかった?」
「はい。私も一応成人しているので、ああいう扱いは久しぶりと言うか……」

まだ少し肌寒い春。コートの合わせ目を僅かに掴みながら言葉を落していく。

「結構有名人だからね。射撃術科をトップで卒業した女の子っていう意味で」
「そう、なんですか?」
「見ての通り、殆ど男部署だから課長が引き抜きたくって仕方がなかった、っていう噂があるくらいには」

やっぱり実技のあれがすべての原因らしい。……でも、それは裏っかえせば、実際の事件できちんと銃を扱えなければいけないということだ。どんなことになっても、冷静に。そして捜査一課に引き抜いてもらえたのだから、通常業務だって今までよりもしっかりしなければならない。ヒューマン・エラーなんてあってはならない。

もちろん、警校を卒業して来たのだから、銃器を真っ当に扱えることも業務をミスなく行えることも大前提だ。だけど授業と現場は何もかもが違う。そんな中できちんと銃器を扱うことが、私に出来るだろうか。……しなければいけないのだけれど。

「でもね、ちゃんと他のことにも期待しているんだ。半年の仕事を見て」
「……」
「何でもかんでも一人で出来なくてもいい。だから俺らは組織なんだ」

こう考えるのはもしかしたら失礼なのかもしれないけれど、設楽さんは話すのが、相手をほぐすのが病的に上手い、ような気がする。

「ありがとう、ございます」

強盗や誘拐を扱う部署でそんな人が、そしてあんな人たちが味方なのだ。頼もしいことこの上ない。新人の自分が先輩たちの力にならなければならないなんて、そもそもおこがましいのだ。

そう考えてみたら、特捜二係でこれからやっていけそうな気がした。

「これからよろしくお願いします」
「うん。改めてようこそ、特捜二係へ」

そう笑いかけてくれる設楽さんにつられて、きっと私も笑っていたと思う。







「ホシ、そっちに追い込んだ!」
「了解」
「えええ、ちょっと待ってください何でサブマシンガン何て持っているんですかそして構えているんですか!」
「安心していいよ、佐々さん、俺はショットガンだ!」
「安心できる要素が今のどこにあるっていうんです! というかショットガンは課長の十八番じゃないですか!」

そんな不遜なやり取りをしているところに、慌て狂った様子で銃を掲げながら犯人がこちらに逃げ込んできた。私は疑問を持ちながらも、支給された拳銃を構えバックアップ態勢に入る。

瞬間、鈍い断続的な音と薬莢が撒き散らされ硝煙の臭いが建物の中に立ち込めた。これだ、これが“すぐ撃つ課”と名高い特捜二係の由来か!もうもうと晴れることが暫くはなさそうな煙の中、先輩たちはアームサインを機に床を穿つ勢いで突入し私もそれに続く。

そして煙の向こう、ただ無傷で犯人がそこにいた。ただし、酷く脅えた表情で。

「腰抜かしているところ悪いけれど、貴方を強盗の容疑で逮捕します」

手から落ちかけていた銃を蹴り、設楽さんがその手首に手錠を掛ける。その傍らにしゃがみ、失礼いたします、と声をかけて犯人を立ち上がらせると、恐怖からか歯をかちかちと鳴らし、呆然自失と言った表情で動こうとしない。

そんな状態の犯人にコートやカーディガンを頭および手にかけた私たちは、犯人を支えながらマスメディアが犇めくビルの外へと足を進めた。




「どうだった? 初出動」

犯人を護送するパトカーを護衛する形で運転する道すがら、設楽さんに問われる。

「はっきり言うと、心臓がばくばくで生きた心地がしませんでした」

未だに心臓は驚いた挙動の名残を見せている。

「正直だなぁ」
「ここで嘘をついても仕方がないですし」

バックミラーの中にいる彼は相も変わらず笑っていた。

「それでも私は特捜二係で頑張ると決めたんです。異動希望なんか出しません」
「新人はこの課を嫌がるか、もしくはドハマリするか、なんだけど」
「噂で聞いていましたから、多少は耐性があったんじゃないでしょうか」

ハンドルを切りながらそう返す。

「そうだね、そういう子がいてもいいと思う」
「嬉しいです。バックアップは任せてください、と言えるようになります」
「うん。よろしく」

そんな会話をしながら私は車を拘置所へと走らせた。

きっとこれが日常になるんだろう。これからのことに不安を募らせながら、それでも精一杯やっていこう。この退屈なんて絶対にさせてくれなさそうな場所で。







段々業務にも慣れてきた、六月のとある日の二十時。大体の人は退勤し、残業を終わらせた私も帰路につく。

五月頭には歓迎会をしてもらい、私は特捜二係の人たちの大半はえらく大酒のみだということを思い知らされた。頑張ってお酒に慣れないとなー、家の最寄駅近くにある因幡酒店に寄って日本酒を買って帰ろうかな、と。迷っているところで設楽さんを見つける。

「こんばんは、設楽さん」
「あぁ、こんばんは」

近くに行って声をかけると、嫌な顔一つも見せずに応えてくれた。私はそれに嬉しくなる。

「といっても、さっきぶりですけど」
「そうだね」

……そういえば家の近くの交番にいた駐在さんも、こんな風にいつも笑ってくれていたなぁ。やっぱり刑事は市民の安全を守ると同時に、安心も守らなければならないから、笑顔でいた方がいいんだろうか。

「帰り道、ご一緒してもいいですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」

そんな風に笑いながら私たちは駅へと進路を取った。




「あれ、設楽さん。そっちは駅じゃないですけど、どうかされたんですか?」
「あぁ、今日はちょっとスーパーに寄らなきゃいけないから」
「えっ、この辺りにスーパーあるんですか」

実は最寄駅に一番近いスーパーは家の方向と正反対で、少しだけ疲れてしまう道のりだから、ここからご飯の材料を買って帰られるのなら凄く助かる。

「あるよ。よかったら一緒に行こうか」
「え、……そ、それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」
「そんな硬くなることないのに」

設楽さんはまた柔らかく笑ってくれた。




設楽さんの好意でスーパーに連れて行ってもらい、店内に足を踏み入れるとまず青果の香りに出迎えられた。その香りに安堵を抱きながら、私たちはそれぞれカゴを手に取り歩いていく。

「こんなところにスーパーがあると便利ですね」
佐々さんは自炊派?」
「はい。料理は一通り母に習いましたので」

そうかー、と返してくれる設楽さんは楽しそうに白菜を眺めていて、その値段の安さも驚くことながら、見慣れない言葉が値札カードに書いてあり指で文字を辿る。

「……国立食農高等専門学校、農学部二年?」

値札カードに“これは私が作りました”という、製品の品質を保証する形で誰かの名前が載っているのは最近では特に珍しくもない。けれど、これは個人名だけではなく学校名と学年まで記載されている。つまり生徒というわけだ。

「あぁ、近くにある学校、通称食専がここには野菜を卸しているんだ」
「農大のようなものですか?」
「まぁ、そうなのかな。俺もよくは知らないんだけど」

そう恥ずかしそうに笑う設楽さんは、こう表現するのもなんだけれど、とてもかわいらしかった。

「面白い試みですね」

写真の中にいる男の子は、緊張したような面持ちで作物を抱えている。

「そうだね」

その子が格好良かったから、というわけではないけれど、私はその白菜を見定めてカゴに一つ入れた。白菜はしんなりするから、一玉買ってもたぶん使い切れるだろう。

「そういえば、お母さんに料理習ったんだっけ」
「はい。それなので家庭料理の域を出てはいないです」
「じゃあ、たとえば白菜を使った料理って思いつく?」
「え? んー、鍋にするとか、肉団子と一緒にスープにするとか、ですかね。春雨入れてアクセントつけたり、クリームで煮ても美味しいです。あぁ、あと豚と白菜の煮物とかは作るのが楽なので重宝しますよ」

脈絡がいまいち分からない設楽さんの言葉に返していくと、よければなんだけど、と続けられる。

「家庭料理、っていうのを俺に教えてくれないかな」
「え?」

設楽さんが白菜を棚に戻し歩き始めるから、私もそれに付いていくと今度はお肉のコーナーの前で立ち止まった。

「実は、今年十四歳になる男の子と暮らしているんだ」
「息子さん……じゃないですよね」
「俺はまだ二十八歳だからね」

苦笑で告げられ、そのことから何か事情があって預かっている状態なんだろう、と理解した。

「何か御事情があるんですね」
「うん」
「それで、その子のためにいわゆる家庭料理を作りたい、と」
「そうそう。恥ずかしながら、普通の母親が作ってくれそうな料理はわからなくて」
「えぇと、私が力になれるんでしたら、どうぞ使ってやってください。でも私の知っているレシピで、中学生の男の子が満足してくれるかもわかりませんけれど……」

中学生と言えば成長期だ。あの頃の同級生は、弁当が二つあっても足りない、と放課後に教室で嘆いていたのを聞いたことがある。

「それは気にしなくていいから」
「じゃあ、今日は簡単にできる豚肉の蒸し物とかどうでしょう。圧力鍋があったらポトフとかも簡単に出来ますけど」

ポトフならお肉も野菜も入っているし、最悪それとご飯だけで大丈夫だ。生野菜が欲しかったら、サラダとかがあってもいいかもしれない。

「あぁ、良いね。圧力鍋もあるし、少し肌寒いからポトフにしようかな」
「それはよかった」

そんな風に笑いながら、私たちはスーパーを回って晩御飯の材料を探し始めた。







「ただいまー」

佐々さんに教えてもらったメモレシピが入ったビニール袋を掲げながら、家にいるだろう人物に声をかけると、宿題をしていたのか自室から京が出てくる。

「……設楽さん、彼女出来た?」

帰ってくるなりそう問いかけられて、えっ、いや?、と首を傾げた。

「そう」

何かおかしいことでもあったかな、と考えつつ、朝にタイマー予約していったご飯が炊けていることを確認する。袋を台所に預けてから手を洗い、部屋に入って荷物やなにやらを床に置いた。

「今日はポトフだぞー」

部屋から出て張り切りながらそう言うと、京はリビングのソファに座って読書をしながら、いつものように言葉を返してくる。

「いいよ、料理なんて適当で」

調味料でどうにでもなるんだから、と。

「今日はそんなこと言えるかわからないからな」
「期待はしないから」

そんな応酬をしながら、また俺と京の一日が終わりを迎えた。

2014/03/05
立花京/高校生主 4107字




わたしを助けてくれたのは、赤髪の死神でした。




しっくりくるほど、からい





二学期が開始した八月下旬からここ一ヶ月の朝、登校時によく見かける女の子がいる。

その子は、ベビーカーの赤ん坊が物を落としたら席を立って取りに行き、怪我人や高齢者が乗って来たら嫌味なくストレートに席を譲り、座っている時でもきちんと足を閉じて無意味に伸ばしたりしない。
ようは、設楽さんレベルのお人よし。

食専近くの学校の制服を着て同じ駅で乗って、同じ駅で乗り換えて、同じ駅で降りる。でもそこからは北口と南口で全く別の道。同じ車両に乗ってると、たまに彼女から香辛料の香りが風に乗ってくる。たぶんそれは構成から考えてカレーのものだ。嗅ぎながら、その組み合わせだったらもっと別のアプローチが出来るのに、なんてことを考えてしまう。

――――料理なんて好きなわけでもないのに。

馬鹿馬鹿しいにも程がある。本人と話すわけでもなく、実物も手元には落ちてこず、課題にすら影響することはない。単なる机上の空論だ。忘れよう。







妙な転入生が来てから暫く経った日の下校中、学校のある駅とは違う駅で例の女の子が乗ってきた。まぁ高校生ならどっかに寄り道ぐらいするだろうし、別段変なところはない。……漂ってくる血の臭いが無ければの話だけれど。

「ねぇ」

シートの端に当たる仕切り部分に凭れている彼女に声をかける。だけどそれで自分が話しかけられているとは思っていないのか、反応はない。

「……」

それだけで顎を動かすのも面倒になって、すこし上体を倒してから仕切り向こうの相手が持つ革鞄を少し指先でたたいた。

これはきっと少しの気の迷い。家に似たような人がいるからこそのアクシデント。

すると、びくっ、とかすかに青くなった顔で驚いた表情を見せる。そんな顔初めてみるな、なんてぼんやり考えた。

「座れば」
「……えっ、いやっ、その」

足の間に置いてた荷物に手をかけながら立ち上がれば歯切れの悪い返事。体調悪いくせにそんな出来もしない遠慮いらない。

「顔青い」

端的に述べれば彼女ははたと少し頬に指を添える。それからか細い声で、ありがとうございます、と言いながら頭を下げて席に座った。それにため息を吐いて、頭が痛くなる前になるべく遠くに行こうとしたところで、はっし、と袖を掴まれる。言うまでもない。例の子だ。

「……」
「……」
「……あ、の」

聴き取りにくいような、不思議と聴き取りやすいような、よくわからない声が届く。

「いつも、朝、おんなじ駅で乗り降りする人、ですよね」

朝の乗降駅が同じ人間なんてたくさんいると思うけど、というところまで考えてもしかしておんなじの前に、わたしと、という言葉が抜けているんじゃないかと気が付いた。

「……そうだけど」

頭痛くなってきた。何か厳密に言うと表現単語は異なるらしいし、たしかにちゃんと精査しようと思ったらにおいも違うんだろうけど、結局のところ血液と同じで頭が痛くなることには変わりないから俺は今までもこれからも一生『これ』について考えたくない。

「前から、話してみたかったんです」

そう言った彼女は、どうやらどこかに行きたいという意思表示で足を別方向に向けたままだと、俺の袖を離すつもりはないようだった。

つまり、彼女も俺の存在を前から認識していた、と。




「見た時からすごく気になってたんですよ」
「そう」
「いつも持ってるトランクってスパイスケースかなとか」
「へぇ」




そんな感じで彼女がする会話に適当な相槌を返していたら、乗換駅につく。やっとかと席から立ち上がったら、わずかに世界が歪んでまわる。あっ、と叫んだ女の子に支えられて何とか電車を降りて、ちょっとその子を遠ざけつつ壁に手をつきながら乗り換えたい路線の方にのろのろ歩き始める。

何でだろう。なんか、やたら、このにおいで頭痛くなる。普段生活してる時は、そういう人が隣に立ったって吐き気をもよおしたりはしないのに、この子のはおかしい。

「まだ歩けそうですか?」

支えようとする腕を払いながら、相手は顔を覗き込んでくる。階段を下りたところで立ち止まって、離れて欲しいことを伝えようと口を開いた。

「……ごめん、その」

さすがに口に出すのは躊躇ったし思わず謝罪が先に口に出た。設楽さんはいつも口をすっぱくして、女の子には優しくするように、何て言ってたからたぶんこれはもう反射の域だ。はっきりいって頭はたらいてない。

「血の臭い、きつくて……」

そこまで言えたところでやっと顔をあげれば、彼女はさっきと打って変わり顔を真っ赤にして口を戦慄かせていた。恥かしさと緊張でか奥歯が噛み合わないようで少しかちかち鳴らしてから、伸ばした腕で持っていた革鞄を胸の前に抱いて、数歩後ずさる。

「ごっ、ごめ、なさ……っ、医務室、向こうにあるので……!」

彼女から断続的な涙声の言葉が零れたと思ったら、一瞬のうちに爪先は方向転換して駆け出して姿が見えなくなった。

「……」

どうやらやっぱり言葉を間違えたみたいだ。

だけど彼女のことを考える以前に頭痛と気持ち悪さで吐きそうだけど駅構内の公衆トイレとか入りたくないし設楽さんに電話とかそもそも選択肢にないし医務室に行って人前で吐くとかもあり得ないから、俺もしかして家に帰るまでこのままか。地獄だ。







あれから一週間、毎日のように見かけた彼女は時間を変えたらしく、見かけることはなくなった。俺より遅い電車に変えたことは、次の日の帰宅時の最寄駅降車時に残っていた彼女の香りから理解した。

――――まぁ他校生の、しかも男に、言葉に出して指摘されたんだから当たり前だ。

逆に普段とおなじ時間のおなじ車両に乗って来たら、頭を疑った方がいいかもしれない。思春期の女子っていうのは総じて面倒だって、設楽さん、言って……た、し……。

発車のベルが鳴り始めた瞬間、慌てた様子もなくその子が乗ってきた。頭大丈夫なのかなこの子。……あれ、ちょっと待て、俺、驚いた?接近に気が付かなかった?いくら階段の壁で乗り込む瞬間まで殆ど死角になってるからって、そんなこと俺には関係ない。

でも目の前の女の子はそんな俺を妙に思った気配もなく、口を開いた。

「……おは、よう」

頬を赤くしてすこし恥ずかしそうに言われる。鞄の持ち手を微妙に忙しなくいじってる姿もなんか初めてだ。

「……うん」

なんかそれが、よくわかんないけど気になって、いつの間にか俺は頷いていた。えも言えない沈黙が落ちる。

「あの、ね」

また口を最初に割ったのは相手の方からだ。

「その、一週間経ったから、具合、悪くならないと思うんだけど……」
「……」

具合が悪いのはそっちじゃないの、と言いかけて数瞬。

「あ」

間抜けな声がもれた。そうか、そういうことか。

あの全力疾走は恥ずかしいのももちろんあったんだろうけど、確かにあの状態で彼女が行える最善策だった。血の臭いで俺の具合が悪くなるなら、一刻も早く離れた方がいい。プラスして朝もかち合わせると酷い目に遭わせかねないから、わざと遅い方を選んで乗っていた。

こうしてちゃんと繋げればなんて分かりやすい行動。全部、俺に合わせたんだと考えてみればすぐに理解できただろうに。

「……あの時は、その」
「いやわたしの方こそ」

と、そこまで口に出してから相手はいきなり口を片手でおさえる。予測つかなくてちょっとびっくりするから不意の行動はやめてほしい。

「……口調?」

単語で訊いてみればこくりと頷かれた。前に会った時と変わったところを口に出したら、あたったようでなんか楽しくなる。

「別にいいよ。敬語使うつもりないし」
「……だって、たぶん、年上の方ですよね」

そのですます口調に、頭の中のどこかがいきなり焦がされたみたいな気分になった。

「俺が気にしないことを勝手に気にするの」
「……」
「年功序列で礼儀だとかの問題だとしてもそっちの方がよっぽど」

実習で同じ班になったどっかの馬鹿のせいで鍋まるごと台無しにされた時に似てる。

「俺の意思は無視で失礼なんじゃないの」
「……」
「すごい偽善者だね」
「……そ、そこまで言われる筋合いないと、思う!」

前触れもなくいきなりの大声で少しみっともなく肩が跳ねた気がした。

「相手の意思無視の話で言えば、わたし! あれすっごく恥ずかしかったんだからね!」

あれ、っていうのは、もちろん『あれ』だ。まぁそれしか思いつかないとも言うけれど。

「でも、話してみたかったのは、ほんとだから……、その……」

はたと我に返って急に恥ずかしくなったのか最後の辺りの言葉は音声にはならなかったけど、この調子だと、だから今日話しかけた、って続くに違いない。段々わかってきた。はぁ、とため息を吐く。相手にじゃない。自分にだ。

「……俺も」
「え?」
「俺も、話してみたかった、のかも」

つまり、自分の考えが脳内でぶちまけただけで終わるのも、机上の空論でしかないって斬り捨てるのも、相手の口調が妙なところまで戻ったのも、ぜんぶ面白くなかったんだ。俺。

そんなことを考えていたら、こほん、と彼女が軽い咳払いをして居住まいを正す。

「いきなりだけどね、わたし、春樹 千佳っていうの」
「……」
「そっちは名前、教えてくれないの?」

見たことのない表情……有り体に言えばものすごい笑顔と、それからちょっとだけ悪戯っぽさをこめた目元で問いかけてくる。

――――あぁ、そういうこと。

意図を理解して、少し視線を外してから口を開いた。

「……立花 京」
「うん、よろしく、立花君」

彼女が……千佳が俺の名前を呼んではにかんだ瞬間、どこからか拍手が聴こえてきた。思わず振り返れば、青春だなーって笑うサラリーマン、一心不乱に携帯で何かを打ち込む大学生らしき人、あなたとの出会いを思い出しました何て会話する老夫婦。

そういえば、朝の、ラッシュとは言えなくともそれなりに人が乗ってる電車だった。

「――――っ」

顔の温度があがりそうになったのを自覚すると同時に、ちょうど乗り換えの駅に着いたから思わず相手の手首を掴んで走り出す。

「わっと、っと、と!」

こけつまろびつしそうになりながらも無理矢理止まろうともせず一緒に走ってくれる彼女の笑い声をきいて、何だか俺もわらえるような気がした。

2015/05/20
クラウス(血界)/植物幼女主/親愛 3398字




少し荒いだ足音が聴こえた。ライブラのリビングともエントランスともロビーとも言える場所で、いつものようにギルベルトさんが淹れてくれた紅茶を飲みながらザップさんとゲームをしていた時のことだ。

「?」

何か不思議なにおいが辺りに漂ったような気がする。少し義眼を発動させてビル周囲を見ても特に変わったことは無い。なんだろう。何となく気になる。

「お、旦那のお帰りか」

ザップさんがそんなことを言った数瞬後、今はもう慣れたあの“動かない部屋”の扉からクラウスさんが大事そうに何かを抱えて入ってくる。ぐったりとした小さな裸の足が腕から零れていた。ミシェーラよりもずっと小さい足だ。どうやらにおいの正体はあの子らしい。

「……すまない、ギルベルト。連絡をした通りだ」
「手筈は整っております。坊ちゃま」

ストレッチャーのようなものを用意したギルベルトさんはそう言って、クラウスさんはその腕の中のものをそこに載せる。断りを入れてゲームを中断して近付けば、女の子だった。いや、おそらく、女の子、だと思う。少し燃えた痕のあるぼろになりかけの白いワンピースを着た、人間より少し緑色に寄った肌を持つその子は眉根を寄せ、懸命に自分の腕を抱えようとして失敗する。

「……!」

驚いた。片腕が灰になって、ぼろぼろと崩れている。けれどもそれに気が付いていないようで、彼女は灰になった腕を探し続けている。それを見かねたのかクラウスさんが膝をついて彼女の残った手を取り、ぎゅっ、と優しく握った。それにどうしてだか安堵し、細い指がその手を握り返し少し表情から険が取れたように見える。

ギルベルトさんの施術の音と、彼女の荒いだ息しか聴こえてこない。いつの間にかザップさんもその子を見下ろしていた。




どれくらい経ったのかはわからない。だけど灰になった腕に何種類かの薬のような薬草のようなものを宛がってから包帯を巻き、上腕に黄色みがかった液体の注射が終わると、やっと場の緊張が解けたのはわかった。

「終了いたしました。もう命に別状はないかと」
「……そうか」

呼吸が安定し眠りについた彼女の、とても極細な茎にも見える髪の毛を撫で、クラウスさんはようやく安心した表情を見せた。

「ノックズ、っすよね」
「あぁ」

今までずっと黙っていたザップさんが彼女の顔を覗き込んでそう訊ねる。ノックズ?聞いたことの無い言葉だ。

「何すか、それ」
「ばっか知らねぇのお前。緑体生物《プランツ・ヒューマノイド》の一種で、麻薬に使われたりする奴らだよ」

そうは言われても、麻薬のことなんて例の人体改造麻薬のことがあったとはいえ門外漢だ。というより、裏のことに関しては殆ど知識がない。そりゃあ、ライブラにいるから多少増えたりもしたけれど。

「麻薬って、じゃあライブラにあるのはまずいんじゃ」
「どっこい、別に禁止されちゃいねぇ。……ココではな」
「……」

ヘルサレムズ・ロットではありとあらゆる異界と現界の植物からつくられる、効能用法形状大小様々な麻薬がここには集まっている。だから、一口で麻薬と言っても幅があるのは確かだ。

「ま、現状はあの偏執狂の門番を越えて持って行くにはさすがに辛いからな。現界じゃまだ出回ってねぇ筈だ。エンジェルスケイルの件は除くとしてな」
「なるほど」

と、そこでまた扉があく気配がした。顔を向けてみるとスティーブンさんだ。このタイミングと言うことは、クラウスさんが連絡をしたんだろうか。実をいうと、そんなに大ごとにも見えないのだけれど。

「しかしその子は並みの麻薬ではない」

一体どこから話を聴いていたのか、流れるように会話に参加しつつこちらへ向かってきた。

「そっすね」
「何か違うんすか?」

目を眇め口の端をあげたザップさんは声を潜めて喋る。

「ノックズは若葉状態で生きたまま炒ったり焼いたりして灰や粉末状にするとな、すげぇらしいぜ」
「生きたまま……」

ようやく繋がった。どうして彼女の腕が灰となって落ちていたのか。どうしてクラウスさんがこの子を抱えて帰ってきたのか。『そこにいた』からだ。その理由には自分にも覚えがある。クラウスさんは、そういう人だ。

「そういう乱獲もあって、ノックズは基本的に永遠の虚よりこっちには出てこない筈なんだがな」

スティーブンさんが検分するように眺めながら呟くと、ザップさんがそれを肯定するように頷いた。

「幼体がこうも普通に出歩いてるってのは、ちぃと妙な話なっすね」

永遠の虚。ここよりもずっとずっと、それこそ物理法則が捻じ曲がっているであろう場所。まさに異界。人間は入ったら出てこられないと言われている。出てきたって言う有力な証拠を持った人間が未だに現れていないだけかもしれないけれど。

「何にせよ、保護してしまったものは仕方ない。クラウス、お前が面倒を見るんだろう?」
「あぁ」

当たり前のようにスティーブンさんがそう振るのに対して、クラウスさんも当然だと頷きを返す。そのやりとりで以前「クラっちは《グリーンフィンガー》なのよ」ってK・Kさんが言っていたことを思い出した。きっと彼女もすぐによくなるだろう。あの腕がどうなるかは、わからないけれど。




「ところで、どういう類の薬なんすか」

奥の客間の方へ連れて行かれた彼女を見送り、どうやら彼女の種族について知っているらしいザップさんに話しかける。

「お、興味あるのかよ。でも売るのは止めとけよ。旦那の目があるからな」
「ばっ、そんなことしませんよ!」

何てことを言うのか。

「ジョーダンだ、ジョーダン」

ひらひらといつものように手を振ってこちらの言葉を抑える。この人はいつもこうだ。まったくもう。

俺が怒りの矛先をどこにもぶつけられないまま自分の鳩尾付近の服を掴むと、ザップさんはさっきまで座ってたソファへ歩いて行き腰を下ろした。

「ノックズはな、グッドトリップしかしねぇんだ。……よくある話に思えるだろ?」

ついて行って対面に座れば、膝に肘をついて目の前の相手がいつものようにえらく口角を上げたあの笑い方で顔を崩す。

「……」
「バッドリし難いなんてレベルじゃねぇ。それどころかニュートラルでさえない。どんな精神状態であろうと、確実に最高の体験てやつへ強制的に導くブツだ」

そういえば例のエンジェルスケイルを調べていて知ったことがある。いわゆる麻薬と言う物はやってみると、バッドでもグッドでもない、どうでもいいようなトリップの仕方をするものが多いようだ。勿論その状態で出歩けば死ぬことはあるのだけれど。

しかしそうとはいっても、精神状態、摂取量、種族、環境、方法、ありとあらゆることが密接に関係する代物でもあることは確かだ。

「それに種族だって関係ねぇ。人間だろうが異界人だろうが、同様の製造方法で簡単に使える。これで売れねぇわけがない」
「それで人間も乱獲する、ってことっすか」
「っそ」

げに怖ろしきは人間の欲望だ。異界人でさえ、金になると分かれば誘拐し擂り潰し麻薬にして出荷しヘルサレムズ・ロットでばらまいていく。

と、いうところで客間からスティーブンさんとギルベルトさんが出てきた。クラウスさんはあの子の傍に居るんだろう。思わず立ち上がって傍に行く。

「彼女、どうですか?」
「ん? あぁ、さっきギルベルトさんが言った通り、命に別状はない。ただ彼女に出会った時の話をついでにしてもらっていただけさ」

曰く、ストリートを歩いていたら路地裏の方から女の子の泣き叫びが聴こえ突入しその場にいたゴロツキ数名をなぎ倒して確保したらしい。まさにクラウスさんらしいと思った。

「……」
「ノックズは増産方法が分かっていないから、特に乱獲対象なんだ」
「そういえば、妙な話だってさっき」

頭を掻いたスティーブンさんは、あぁ、と頷く。

「アジア圏で良く食べられているウナギのようなもんさ。完全にイチから育て上げることがどうしても出来ない。他の植物のように株分けしても枯れてしまう」
「そんで莫大な金をツッコむんだったら攫ってきちまうほうが簡単ってことだ。ちいせぇ脳みそだけどわかったか?」

そんなザップさんの言葉を俺が流せばスティーブンさんは、本当に面倒なことになるかもしれないな、と嘆息する。けれど、だ。だからこそライブラのリーダーであるという気持ちも何となくあるんじゃないかな、なんて。ただの妄想だけどそうだったらいい。あのことにとって世界が優しくありますように。

きっと無理なのだろうけれど。

2015/12/19
魔法使い(わくアニ)/旅人主 4839字




秋の夜、雨が降っている。草原を越える途中でこんな大雨に見舞われるだなんて正直ついてない。苦し紛れに被った外套ももうそろそろ意味を成さなくなってきているところだ。一刻も早く雨をしのげる場所に辿りつきたい。

この辺りは確か牧場や畑に付随する民家があった筈だけれど、こんな時間はさすがに人の気配も火の気もない。街に着けば宿屋ぐらいはあるだろう。

そんな思いで街道を一人歩いていると、鬱蒼とした森が見えた。丁度いい、少し地図を見よう。そう木陰に入って近辺の地図が見えるようにビニルに入った地図を取り出し、ランタンをつける。いや、つけようとした。ポケットから出したマッチが湿気ていて使い物にならなくなっている。思わず舌打ちをしかけたものの、苛ついてどうにかなるものでもないと嘆息し、地図をしまってまた歩きはじめた。腕輪を付けた左腕が妙に重い。

ばしゃりばしゃりと多少は整えてある土の道を抜けていくと、石で作られた頑丈そうな橋と備え付けられた水車が見えた。たしか記憶にある限りでは、ここを抜けて、ひとつ廃棄された牧場を抜けたら街のはずだ。重くなっていた足が期待に満ちる。




そうして歩き続けた結果、今回の目的地であるハモニカタウンへ辿りついたのだ。よかった。地図上に大きくマルが書かれたここに来れば、何かわかるかもしれないと来たのだけれど、さてどうだろう。何にせよ今は今日の宿だ。あと途中の牧場は人がいる物に変わっていたので、地図を新しく買うか記入しておかないといけない。

そうして街を入ってすぐのところにある掲示板確認すると、タウンマップもえがかれていたのはありがたい。宵やみで既にどこもかしこも灯りも消えてしまっている中、必死に地図を読み取ると、ここを左に橋を渡って階段を昇った先に宿屋。大通りのずっと上に教会。それさえわかればとりあえずはいいとまた歩き出した。

階段を昇っていると、とうに街は寝静まっていると言うのに一軒だけ明かりのついた家があった。さすがにこの中では目立つ。夜更かしをする人がいるものだなぁ、なんてのんきに考えていると、宿屋らしき店も灯りが落ちていた。そうか、何で目立つのかなんてわかり切った話だ。"そこしか灯りがない"からだ。まさか宿屋の営業時間まで過ぎているとは思わなかった。

「……」

少し、もう、嫌な予感がしていた。けれどもそれを振り切って大通りへの道を真っ直ぐ、多くの水が流れるその場所を上り切り、教会の前に着いた時、その予感は確かなものとなったのだ。

「閉館……」

教会というものはもっと遅くまでやっているものだと思っていた。こんな時間でも告解をしに来る人間や匿ってほしいという人間が来たらどうするつもりだと、わけのわからない理不尽な八つ当たりをしかけてしまう。いや、別に教会は悪くない。落ちつこう。

しかし軒先らしい軒先もなく、ここで雨宿りをするのは不可能だ。ばしゃりとまた踏み出す。どうしようか。たしかここに来るまでに橋の下の小さな雨宿りが出来る場所があった。そこで夜を明かすしかないだろうか。でもあまりそういうことは正直したくはない。これから何日ここにいるかもわからないのに、街の人間から爪弾きにされる可能性のあることは極力避けたいというのが本音だ。

そんなことを考えていると、例の灯りのついた家が目に入る。

……民家に頼ると言うのもどうだろうか。相手がどういう人物か分からないし、相手も私がどういう人間か判別つかないだろう。こんな大雨の中、放りだすのも申し訳ないが見ず知らずの人間は怖いと思う人であれば、こちらが心苦しい。

教会の丘から降りようとした夜闇の中、煌々した光。まるで目印のように、そこだけはっきりと輪郭がとれた。そっと左に嵌った腕輪を撫でて心を落ち着ける。

「……」

はぁ、ともうそろそろで白くなりそうな息をはいて私は足を動かし始めた。選択肢などない。断られたら断られただ。まぁ、今のところ最有力宿候補は、あの森だろうか。







灯りを頼りに辿りついた家は、どことなく私を安心させる。そうして見えた表札にあったのは『魔法使いの家』。まほうつかい。こんな世の中だとそういう人がいてもいいだろう。アニミズムというのは大切だ。自然などの目に見えないモノへの信仰が無ければ私は死んでいる。きっとそういう類の人だ。……たぶん。

息を整え、コンコン、とノッカーでノックする。中にいる人の気配が動くのがわかった。

「もし、私は旅の者です。よろしければ一夜宿を貸しては頂けませんか」

そうして開いた扉は、中の人を露わにする。真っ先に目に入ったのは、琥珀と翡翠のような彩の違う眼差し。表札の通りまじないをする生業なのか、紋様が目の下に刻まれている。正直、美しい人だと思った。炎の色を綺麗に反射する銀の髪に、褐色の肌はとてもよく映えている。

「……」
「……」

家の中と、雨の中、私たちはそれぞれ無言だった。私は驚いてしまったからだけれど、彼が驚く要因はないだろうので無口な人なのかもしれない。

ほんの僅かな時間合っていた視線は外され、ため息一つ。あ、これは、駄目かもしれない。

「……とりあえず、上がって」
「え、いいんですか」

驚いて言えば、既に中へ戻りかけていたその人は怪訝そうな顔でこちらを見る。

「宿、いらないの」
「そりゃ、欲しいですけど、怪しくないですか」

自分で言うのはめちゃくちゃ間抜けだと思う。

「君の風は……悪いものじゃない」

何かよくわからないことを言われたけれど、きっと何か職業的に感じてくれるものがあったのかもしれない。たぶんそうだ。なんたって魔法使い。森羅万象に長けていても不思議ではない。

「では、ありがたく」

招き入れられた部屋は暖かく、それだけでじわりと指先の感覚が戻ってくるのが分かった。どうやら自覚していた以上に冷えていたらしい。

「外套はそこ……鞄も適当に」

ずぶ濡れの私が入ってきたことで濡れて濃くなった床を厭うこともせず、いろいろと指示をされる。旅人に慣れてるのかな。

「ありがとうございます」

外套の下にあったので何とか多少は濡れず済んだ鞄を床に置いて、外套を手に一旦締めた玄関の扉を開けた。寒い風が吹き込んでくるのでさっさと終わらせないと酷い目にあう。と言うかあってる。ぎゅうっと絞ると、出るわ出るわ、大量の水。

何回かに分けて部分部分絞っていくと、とりあえず雨がしたたらない程度にはなった。寒い風が入ってくる玄関を締め、改めて自分の格好を見ると酷い。しゃがんで膝の上に外套を置きながら鞄の中をあさる。確か、有った筈。ん、あった。目当ての簡易室内履きを手にして、靴を履きかえた。さすがに土道を通ってきた靴で室内を歩くのは忍びない。

靴を履きかえて、示されたコートハンガーに外套をかけられて、ようやく人心地がついた。あぁ、でもまだ指先が酷く冷えてる。この濡れた服もどうにかしないと。

熱を持ち始めたにもかかわらずまだかじかむ指を、はぁ、と暖めると、背後に気配。

「お風呂」

振り返った瞬間、衣服を突き出されながら言われた言葉の意味を咀嚼する。お風呂、着替え、つまり入れと。

「えっ、お湯までいいんですか」

もう正直ここまでしてもらえるとは思わなかった。

「……風邪は、困る」

それもそうだ。ここに来た私が風邪を引いたら一番困るのはこの人だ。納得。たぶん自分が感じている以上に濡れてるのだろう。特に足元なんて随分酷い。

「何から何までありがとうございます」

頭を下げて私は示された方向へ歩いて行った。ほこほこする脱衣所でお湯の気配にわくわくする。あー、お風呂。この寒さを歩いてきた中のお風呂はきっと最高だ。




そうしてお湯を取らせてもらった。そこそこぬるめではあったけれど、体の芯まで冷えていた状態では丁度良かった。それでも沁みはしたのだけれど。

それにしても不思議なことに、手渡された着替えは私にぴったりだった。おかしい。私と彼の体格はそこまで似たものじゃない……と思う。うーん、と考えながら居間に戻ったら、珈琲の香りが漂っている。私の好きな香りだ。濡れた服をハンガーにかけながら声をかける。

「チェンバロ地方のですか?」

この独特の香りはそうだと思う。大陸の東にあるチェンバロは、大陸有数の農耕地方だ。

「そう。……飲める人?」

こくり、小首を傾げられた。どことなくかわいい仕草だ。

「珈琲は好きですよ」
「じゃあ、飲むといい」

青地に三日月が添えられたラグの上、いつの間にか用意された椅子を勧められる。ほこほこと湯気が上がるあったかいマグを渡されて、一口、じわりと口の端があがるのがわかった。喉を通って行く熱。あー、この酸味久しぶりだ。マグは意外にも茶色地に星が散らされていて可愛い。

「……おいしい」

思わず自分でもわかるほど溶けた声が出てしまって、口を抑えた時にはもう遅かった。

「そう」

じわじわと恥ずかしくて何か話題を探す。話題、何か、話題。……あ。

思い出す。やらなければならないこと。それを明かすことそのもの自体が大事だし、コミュニケーションに多用するそれは、伝えなければならないことだろう。ごく僅かな諦めのため息を呼吸紛れについて、口を開いた。

「そういえば、名乗っていませんでしたね、私は――」
「"旅人"」

遮るように、単語が飛んで来た。明らかに指向性のあるそれはどう考えても私に告げられているものだ。

「俺にとって君は"旅人"だ。……それでいい」
「……」
「不都合?」

ちらりと銀糸の間から伺うように覗く瞳は、すこしあどけない。

「いいえ、まったく。では"旅人"で。今晩はよろしくおねがいします、"魔法使い"さん」

正直こちらとしてもそれは好都合だ。名を明かさないでいられるなら、それが一番。たとえそれが偽の名前だとしても、立場で呼ばれる方がずっといい。助かったと言ってもいいぐらいだ。

手の中にあるマグに目を落として、薄情だなと思う。それでも、名乗らなくていいのなら、そんなもの名乗りたくはない。

ざぁざぁと雨は降り続けている。玄関側の窓に視線を走らせると、遠くの方で雲間が光るのが見えた。既に荒れているけれど、もっと荒れそうだ。

「そういえば」

静かな声が落ちる。

「その左腕の……何?」

色違いの瞳が私の左腕、正確に言うなら左手首を注視した。

「あぁ、腕輪です。昔から着けてて」

合点がいったので、渡された着替えの袖をすこしあげてそれを見せる。細い二連の銀色の輪っかの中心にひとつずつ、水晶が嵌っている。私にしてみればこれは外せないお守りのようなものだ。

「それにしてもよくわかりましたね」

長い間つけているから、そんなに気にされるような動作はしていない筈なのに。

「……強い意志を感じた」

と、そこで視線が逸らされる。……これは、どういう意味だろう。判断材料が少なくて心の中で首をかしげる。まぁいいか。

「さすが魔法使いさんですね」

アニミズム的な物については詳しく、且つ物とのつながりをもてるようだ。私にはとんと縁のない能力でもある。

しかし私の物言いが気に入らなかったのか、彼はすこし険しい目でこちらを見た。

「……それ、やめて欲しい」
「?」
「"魔法使い"は役割だ。敬称をつけるのはおかしい」

役割。立場ではなく、役割。誰かに振られ、望まれたもの。そんなものとは無縁のような気がするのに、確かにその言葉のほうが正確であると思った。

「わかりました、魔法使い」

マグに残った珈琲を飲み干し、シンク失礼します、と言って立ち上がり洗う。次いでもう一つが来たので、一緒に洗ってしまった。

「……ベッドは階段の下にある部屋に」

手を拭いているとそう告げられるので、ありがとうございます、と言って石で作られた部屋の中へ。わりと狭い感じだったけれど、何となく落ち着くつくりだと思った。意外にも整えられたベッドに入り込むと、ふっとドアの隙間から見えていた灯りも消えた。ざぁざぁと振る雨の音だけが辺りを支配する。何だかそれが少し恐ろしくて、すぐに瞼を閉じた。

おやすみ世界、良い夢を。

2016/04/19
シーク/真実の一族主 4572字




王国外縁部の山間にある、近くの集落から離れ人目も魔物の目も憚るようにひっそりと建つ、目くらましの術が施された一軒の木造家屋。ここに探していた少女がいる筈だと、木製の扉をノックをした。

昼時も過ぎ、しかし夕方にはさしかからない時間。おそらくいるとアタリをつけた。

「どちら様?」

静かな声は、探る気配もない。それもその筈だろうと一人心の中で頷き、ハイラル王家の使いのモノです、と答えた。それから数瞬して、きぃ、と軋む様子もなく扉がこちらへ僅かに開いた。周囲に反して家の中は薄闇に包まれている。

隙間から覗いたその子は、長い髪の毛を闇に溶かしてこちらの様子をうかがっていた。瞼のとばりは降りたまま、動く気配はない。

「探したよ」

そう言葉を落とすと、彼女は身体を翻らせ、すい、と家の中に姿を消した。扉は開けられたままだから来いと言うことなのだろう。とりあえず最初の関門は突破したということだ。詰めていた息を吐いて、ボクは薄暗い家の中へ体を滑り込ませた。




板張りの床を進んでいくと、自然光が入る鉄枠が嵌った窓の近くでお湯を沸かしていた。小さな厨房はそれでも彼女一人が扱うにはぴったりだ。

「どうぞ」

瞼を閉じた彼女は何かに躓くこともなく、小さなダイニングテーブルへ紅茶を二セット置く。かたりと何事もなく彼女が木の椅子に座るものだから、ボクもそれに倣って椅子に座った。

噂と情報を掴んで追って来て、特に人物像を意識することは諜報活動の上で思考の疎外になるから放棄していた。そんな人物をこうして目の間にして、宵闇のような少女だと思った。薄暗いこの部屋の中、一瞬でも意識を外してしまえばついと消えてしまいそうな。消えることが出来てしまいそうな、そんな。

「……」

彼女の出方を伺うつもりではなかったけれど、紅茶を先に飲まれてしまう。しまったな。こちらが警戒しているつもりはないと言う意味で、これは先に口を付けるべきだった。失態だなと思う。

「さて、どういったご用件で?」

窓の明かりも幾分か遠い居間、薄暗い空間の中、この家の主はようやく問うた。男をこうして無防備に招いたとしても、彼女にとっては問題がないのだ。

口許の布を少しずらしゆっくりと紅茶に口をつけ、ソーサーに置く。随分とこういう嗜好品は飲んでいなかったような気がして、すこし気が紛れたような気がした。そんな場合ではないと言うのに。

「ボクはハイラル王家の影である、シーカー族のシークだ」

何を隠すこともなく自身の身分を告げる。ぴくりと瞼が動いた。何かが視えたのだろうか。

彼女に対しては、虚偽や隠匿など無意味に等しい。それどころか、警戒レベルを上げるだけの愚策に過ぎない。であるのならば、回りくどい言葉はなしにしよう。その方が、きっと、いい。

「そう、それで、王家の影だとやらの人がどうしてこんなところに?」

ことりと首が傾げられ、髪の毛が落ちる。本当にこの薄闇に溶けてしまいそうな線の細さだと思った。

「キミの力を貸してほしい」

閉じられた瞼が、口元が、ゆるく、微笑みに変わる。

「――――何の、お話でしょう」

なるほど。どうやら一筋縄では話す気などないらしい。







「カカリコ村と言う村を知っているだろうか」
「えぇ、もちろん。城下町のすぐ傍にある、山麓の村ですね」

そのことをきちんと知っているということは、インパがあの村を一般の人間に拓いたということも、もしかしたら知っているのかもしれない。

頷きを返して先を進める。

「カカリコ村にはかつて、"真実を見る者"が住んでいた」
「その話は私も聴いたことがあります」
「噂の真実とされているのは、"まことのメガネ"と呼ばれる魔法具の継承という事実」

井戸の底に封印されていて、いずれ時の勇者の力となるモノ。紫色の硝子はこの世の者ではないモノも、この世界の物ではないモノも見通す。

「しかし、ボクは幼い頃にそれを見たことがある」

少女は机の向こうで笑っている。へぇ、と小さく聴こえたような気がした。

「あれには人為的に魔力が籠められていた。魔法具自体が魔力を持つモノだったんじゃない。あれはそれを発動する単なる触媒だったんだ」

『視る』ことを意識させる形であったならばおそらく何でもよかった。虫眼鏡の形じゃなくとも、片眼鏡でも、何でも。ただ誰にでも使うことのできる、身体調節などが必要のない形があれだっただけだ。

「だとしたら、あのメガネがそうであるための魔力を代々籠めている人間が居る筈」

魔力というものは、基本的に永遠じゃない。神々や精霊が作った代物であるのならば永い時間その効力を宿すことは不可能ではないけれど、人間が作ったものであるのならばいずれ、付与された能力とも言える魔力は底をつく。

"メガネ"が"まことのメガネ"であり続けるための魔力供給を行う者がいてこそ、あれは成り立つ代物であると言うこと。ボクが見た時、あれは十年も数十年も経っているものじゃ無かった。魔力が経年劣化したかどうかぐらい、見ればわかる。

ボクがこの間見に行った時には既に井戸は埋まっていたが、おそらく時の勇者はどうにかしてあれを見つけるだろう。

「それで?」
「それが、今生ではキミということだ」

笑みの形が強くなる。
閉じていた瞼があがり、奥からは、暗紫色の瞳が覗く。まるで、大気を流れる魔力を可視化して凝り固めたような、そんな。

そうして開いた瞳に呼応するように、鳴りを潜めていた体内に宿る膨大な魔力が辺りを包んだ。やはり彼女がボクの探していた人物だと確信に至る。彼女が、彼女こそが、真実を視る一族の末裔、ルクスなのだと。

「そうだとしたら、どうなるのかしら」
「先にも言っただろう。力を貸してほしい、と」

ゼルダのためには彼女の力がいずれ必要になる。メガネに籠めたのではない、本当の"真実を視る力"が。

「ふ、ふふ。それに従わなければこの眼球を抉りでもする?」

くすくすと何が楽しいのかそんなことを言う。けれどその言葉には少し思い当たる節があり、言葉がつっかえた。

「……そんなことは」
「そうね、意味がないわ。過去の記録にもそうあるものね」

紅茶を口に運んで、まるで旧知の友人と午後のお茶会を楽しむような気軽さで口を開いていく。ここには彼女とボクしかいない、ポゥすらも存在を赦されない土地だと言うのに。

「どうせ残っているのでしょう? 真実の目を持つ人間の眼球は、しかしただの眼球だった、と」

彼女の言う記録とは、昔々の、王家へ降ることを拒否した一族の中から連れて行かれ眼球を抉り出された人間についてのことだ。確かにその人間と眼球の顛末が事細かに記載されていた。

取り出した眼球の色は見る見るうちに紫を失い紅くなり、それを手にしようと、別の人間に嵌めこもうと、どんな魔法具を介そうとも、真実を視ることなど出来はせず色も戻りはしなかった、と。

「……たしかに君の一族に、シーカー族が手酷いことをしたのは事実だ。申し訳ない」

ルクスが望むのなら、ゼルダは悲しむだろうが、ゼルダのこれからが救える可能性に賭けてボクは片目を抉り取ることだって条件によっては構わないと思う。感情は一時であって、未来はすべてだ。ボクの身体と天秤にかける意味もない。

と、そこで左右に分けた金色の髪が視界に入ってくる。それが何だかゼルダに咎められたような気がして、布の下で少し笑ってしまった。

「貴方が生まれてもいない頃よ。それでも謝ると言うの?」
「ボクはシークの名を継いだのだから、今までの一族がした責はボクにあるのと同じだ」

すると彼女は初めて表情を崩し、瞳を机に伏せた。何かを考えるように口を引き結び、再度上げた顔に人を喰ったような笑みは浮かんでいない。

「ごめんなさい、とうに過ぎた昔の話だったわ。過去の話を貴方に突きつけるのはあまりフェアではなかったわね」

そう頭を下げられ、どうすればいいのかわからなかった。言葉を探しているうちに頭部は戻り、沈み行こうとする橙の光に照らされる顔は清々しく次の句を言い放つ。

「でも、現在そういうことが行われていないとは限らない。ねぇ、そうでしょう?」

暗紫色の瞳が、薄闇の中で確かに煌めいた。

「しかしキミはそれを見通すことが出来る」
「あくまでそう言い続けるのね」
「あぁ」

断言する。

ボクが彼女を探し当てるために何をしたのか、そうしてこの言葉が真実であると思っているかどうか、そのすべてを彼女は見通すことが出来る筈だ。……随分と、生き辛いだろうとは思う。

目の前のルクスはため息を吐いて、背もたれに背中を預ける。ソーサーの上に乗っけているカップの持ち手を片手で弄る姿は、何となく年相応に感じられた。

「もう言ってるも同然だけれどきちんと肯定するわ。私は貴方が探している一族……その中でも特異とも核ともされる"真実の目"を持っている」

真っ直ぐなまなざしは仄かに輝いている。

「けれど過去にあった話のように、私たちは特定の陣営に属してはいけない」

真実の末裔はなおも拒否をする。まるで、そこに自身や一族の意志などないような口ぶりだ。

「"理"か」
「それも言えない」

かぶりを降る姿に嘘はない。

女神に課された古の盟約。それは絶対だ。この地にいようともいなくとも、その盟約を交わした血が己の中に流れている限り、破ってはならない。……もしかしたら、王国から出ること自体、制限されている可能性もある。真実を見通すなど、危なっかしすぎる。

「……わかった。何かキミの力が必要になったら、都度確認する。掟か何かに反さない程度でいい」

それで構わないんだ、と言えば、それでも、なお。

沈黙が落ちる。ボクも、彼女も、譲る気などない。しかしそうはいっても最初からこれは、もし勝敗があるのであればとうに決まっている物事だ。彼女がイエスと首を振らなければ、好意的に力を貸してくれなければ成立しない。たとえ無理に連れて行ったとしても、見たモノを正確に口にしなければならないわけではないのだから。それに、拷問もあまりしたくない。シーカー族はそういうモノではなくなったと、姫が、言うから。

いつの間にか太陽は山の向こうに落ち、明かりもついていないこの家は暗闇に包まれた。目を慣らさなければ手元すら覚束ない闇の中、静かな気配は動く様子もなく、ただただそこに。

「そうか。……急に押しかけてすまなかった」

これ以上はお互いの時間の浪費かと立ち上がる。

そこで、瞬間、雰囲気が変わった。少女が纏う何かが。

「"私"が属するわけにはいかない」

妙なイントネーションの言葉が落ち、腰を上げ背中を向けていたところで僅かに視線だけ戻す。

薄暗い部屋のなかで魔力を帯びてまたきらきらと光るそれは、先程浮かべた謝罪の意を抑え愉悦を顕にしていた。

そこで彼女は立ち上がり、部屋の隅で小さく精霊へ語りかけろうそくに炎を灯した。それを起点に部屋の端々にある灯りへ火を移していく。ゆれる影は人そのものだ。

ゆっくりと席に戻ってきた彼女の瞳は既に隠されていて、気付けば不気味に内臓をゆるく撫でる様な魔力の圧迫感は辺りに散逸している。

ねぇ、と呼び掛けられた。さっきまでの落ち着いた挑発めいた声とは全く違う、見た目通りだと言える少女のそれ。

「――――その、綺麗な左目がいいな」
「……何の話をしているんだ?」
「私は王家に降る事は出来ないけれど、その左目に、真実を視せてあげる」

2016/05/21
轟焦凍/後輩主 3502字




幼い頃、誘拐されたことがある。
たまに脳裏に浮かぶそれは、今でも消えずにいる。






「おい、本当にコイツなのか!?」
「このツートンカラーを見間違えるわけねェだろ」

クソ親父の息子だとか何だとかで狙われて、昔打ちのめされた奴が徒党を組んで人質計画を実行したらしい。当時の自分はまだ個性も上手く扱えず、加えて仲間に『触れている人間の個性を抑える個性』の奴がいたっていうのもまずかった。未だにあの時の失態は心の奥に残ってる。

それにしたってあのクソ野郎が俺が誘拐されたぐらいでしおらしくなるかよ。馬鹿じゃねえのかこいつら。

「ここに入ってろ」

手足を縛られて目元にも布が当てられて、一応の身動きは取れないようにされたんだ。それでも対個性に特化した奴らじゃねえってのは雑な俺の扱い方からもよくわかった。俺が誰のどんな個性を継いじまってこんな風になってるのか、わかっちゃいねえんだ。

転がされたところから、上体を起こして咥内の痛みに舌打ちをする。口ん中切った。

「……だ、れ……?」

耳を澄ますと、か細い声。ひっく、ひっくと泣く声から、俺以外の子供も連れてこられたのかと気分が悪くなった。だが気配を探ってもどうやら大人たちはこの部屋にはいないらしい。好都合だと縄を凍らせ脆くし解く。

「おれはしょうと」
「しょうと、くん……?」

音がしないようにそっと縄を落として、足と目隠しも同様に。視界が開けてみれば、全体的に暗く、それほど大きくはないコンクリート打ちっぱなしの部屋。灯りは、高いところにある採光窓から僅かに入ってくる太陽だけだった。部屋の電気のスイッチはあるにはあるが、入れる必要はない。

そんな部屋の隅で、黒……いや確か紺色の襟付きのワンピースを着た女子がいた。俺より少し下だろうそいつは、音を立てないように少し近付くと、それでも何かを感じたのかおびえたように体を震わせて、ますます縮こまる。

「なくなよ」

声を潜めながら、目かくしとるけどあばれるなよ、と事前に宣言すると静かにこくりと頷いた。ぱきりと少し音が鳴ったけれど、どうやら気付かれてはないらしい。しゅるりと布を取り去ると、涙で泣き腫らした目と視線が合って、どうしてだかばつの悪い気分になったのを今でも覚えている。

「お前、なまえは?」
「……の、い。のい」

のい。のいか。

「わかった、のい。ここから出るぞ」
「……え?」

今だったらあの状態だったとしてもあれが半地下で、もう少し取れる戦法も多かっただろうと偶に思い出しては反省をしちまったりする。机上の空論だってのは分かってるが、どうも思い出すとそんなことをせずにはいられない。もし、もう少し、頭が回れば。

あんなことは起きなかっただろう。

「かえ、れ、るの」

俺の声のトーンに合わせて、嗚咽交じりに問いかけてくるのいは、酷く可哀そうで早くここから出してやりたかった。対クソ親父の人質として俺が囚われてるって事実もクソみてえだったが、何よりも目の前ののいの憔悴具合が見るからにやばかった。日常的に腹どつかれてる俺はともかく、たぶん個性だってまだ出てないやつにこの状況がキツイってのは考えなくたって分かる。

助けたいと思った。ここから連れ出して、笑ってほしいと、思った。

「おう」

頭を撫でて、静かに扉の方へ。右手を壁に這わせて、なるべく音が出ないようにじわじわと扉を凍りつかせる。ここで気付かれたら全部がおじゃんだと、自分とのいの命の重さを背負いながらそれを終えた。ふ、と霜が付き始めた左腕を丁寧に払って落とす。まだいける。

戻れば声を出さないようにか、自分の口を押えているのいがいて少しだけ緊張がほぐれる。左手を差し出すと、掴まれて、静かに採光窓の下まで。

「……したから氷が生えてくるけど、こえ出さずにつかまってろよ」
「がん、ばる」

すん、と鼻を鳴らしたのいは、しっかりと俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。いい子だ、と撫でたんだか撫でてないんだか。少し覚えてない。まぁそれはともかく、足から冷気を伝わせ、エレベーターよろしく窓まで辿りついたわけだ。

とは言っても完全に採光窓だ。開けられるわけがねえ。

ここからは完全にスピード勝負だと覚悟した。扉も、エレベーターも、じわじわ時間をかけて作ったから結晶硬度は普段と比べ物にならねえぐらい堅くできた。だけど氷結で脆くするのには、第一にスピードだとあの頃には既に理解していた。スピード、つまり、音に気を配る余裕はない。

「おい、今からこのまどをぶっこわして、外に出る」

先にどっちが行くべきだろうかと迷ったが、やっぱり何があるかわからない以上自分が出るべきだろうと決めた。

「おれが先に出るから、すぐについてこい」

何をやろうとしてるのかはわからなかっただろうけど、とにかくのいは肯いた。よし、と口の中で呟いて窓に触れようとした、瞬間。

「おい、ドアが開かねぇぞ!」

気付かれた。

「中のガキか!?」
「イジロはどこだ!」
「別のヒーローのガキを攫いに行っていねェんだ!」

何て奴らだ。ヒーローのガキを攫ってきて一網打尽とか考えてるみてえな馬鹿なやつらにつかまったのか。ほとほと自分に呆れるがそんな暇はねえ。

「行くぞ!」

右手を窓につけて瞬間凍結。次に拳をぶち込めばがらりと崩れ、子供一人ぐらいは通れる程度の穴になった。ガラスで多少怪我するのはもう我慢するしかない。

「今の音はなんだ!」
「裏手に回れ!」

誘拐犯たちがこっちに来る前にどうにかして敷地内から抜け出さなきゃならねえ。

手を放して窓に滑り出ると丁度良く赤煉瓦の塀が見えてしめたと思った。直ぐに後ろを向いて、中から出てきた手を引っ張って足下を凍らせ外に出る。

そこでどっかの民家の中にでも何でも隠れちまえばよかった。こども110番の家なんか、たぶんどっかにはあったろう。

それでも俺たちは自分の足で逃げて、逃げて、のいが転んだ。手が離れた。距離が出来た。

「のい!」
「だい、じょう」
「見つけたぜガキ!」

いち早く追いかけて来た誘拐犯の一人が直ぐに距離を詰め、のいの片腕を掴み持ち上げた。クソ、と吐き捨てて右足で氷結を発動させようとした。

そこで、彼女は個性を発現させちまったらしい。発現直後、命の危機的状況、精神不安定、保育ヒーローのいない場面、すべてが要素として繋がっちまった。

「あ、あ、うああああぁああぁ!」
「のい!」

半狂乱になったのいは自分の拳を相手の顔面に叩きつけ、クッソガキ!、と言った男は、けれど直ぐさま苦しみもがいてのいを手放し、アスファルトに額を付けてげえげえと首を抑えて、痙攣して、とうとう動かなくなった。

まともに尻から落ちて放心したのいを立ち上がらせると、片手の手首から下が無くなっているのが見える。それでも残った方、犯人に掴まれて赤くなった手首を引っ張って、俺たちは、その場から逃げだしたんだ。




程なくして俺たちは警邏中の警官を見つけて保護してもらい、のいは両親だろう大人に抱きついて泣きわめいて、泣きつかれて寝て引き取られていった。

「帰るぞ」

引き取りに来たクソ親父は、それだけ言って歩き出しやがった。だけど、俺の適性を図るためにコイツが仕組んだことなんじゃねえかと思っちまった考えは、捨ててやることにした。







それからのことは親父からは聞かされなかった。だけど夜中に兄貴姉貴と話してるのを聞いて、その時は意味はわからなかったから音だけ覚えてノートに書き残したし、古新聞にも当たって今は大体は把握してるつもりだ。


結論として彼女は、彼女の個性は、追いかけてきた犯人の一人を死に至らしめた。


新聞記事にはそうとは書かれてはいなかったが、おそらくあの段階で死んでいただろうことはまず間違いない。

何をしたのか、どんな個性だったのかは分からねえけど、無くなっていた片手を考えると切り離し系の個性であること、そして喉元を抑えていたことから窒息の可能性が高いのは明白だ。

だが新聞にのいの名前が載らなかった通り、一人殺してしまった彼女の行為は正当防衛として認められ罪に問われることはなかった。当たり前だ。あそこで彼女がやってなけりゃ殺されてただろうし、むしろ俺が似たようなことをやった可能性だってある。

けれどどうやら親父と兄貴の会話から、のいの両親の判断で警察協力者によって記憶を封印されたことがわかった。幼かったから、本人の意思問わず、無断で。

だから、彼女はもう覚えてない。
俺の名前を知らない。
記憶は消え、普通に暮らせている。

それは安堵するべき結果だ。だけど、俺は、何だかどうしようもなく途方に暮れたような気分になったのも、事実だった。







それから11年強の月日が経って、俺は高校二年生になった。

2016/06/23
轟焦凍/ヴィラン主/家族愛 6803字




誰も来ない夜の廃ビル。とうに朽ち果て捨てられ取り壊されることもなく残ってしまった遺物。入る光は外の街灯やビルの明かりだけで、ぬるい梅雨の風がたまにそよぐ。そんなコンクリートむき出しの場所で、私は黒髪の男といた。

「うあっ、ぐぁ……っ」
「痛い? 痛いかな? 痛いといいな」

仰向けに倒れて呻く男の指は、中途から削げ落ち、ぽかりと開いた断面からだらだらと血が流れ続けている。床を上半身だけでも転げ回ろうとする男を下に見ながら私は問いかけた。けれど男の口から出るのは何も意味を成さない声ばかりで、ため息をついてしまう。

「ねぇ、ねぇ、そんなに喚かないでよ」

左手はもう親指と小指を、人差し指と薬指を"くっつけている"からもう使えない。逃げようとする男の足は"固定している"。だから、逃げられる筈もないのにどうして逃げ惑うのだろう。意味なんてないのに。そろそろ諦めてほしい。

右手を掲げ座標を確認して、私は親指と人差し指で今度は男の下腕を圧縮した。

「────!」

ぶちりぶちりと筋肉のつぶれる感触が手に伝わってくる。気持ち悪い。空間のなかに赤がぶちまけられて、それでも外には飛び散らない。私が右の指を離すと、ばしゃり、男の傍らに赤い液体が降り注いだ。

「こうやって生きたまま体が圧縮されるってどんな気分? いい気分かな?」
「……っ」

ぎりりと私を睨み付けたその瞳には、嬉しいことに生気がまた宿ったみたいでにこりと笑う。よかった。ここで気を失われたら、明日もまたここに足を運ばなきゃいけなかった。どうせなら、もう、一回で終わらせよう?それぐらいの慈悲ならお前になくても私にはあるんだよ。

「くる……狂ってる! おま、えは……っ」

くるってる。狂ってる。うん、理解語彙だ。私の辞書にも載ってる。何度となく使った言葉だ。でも。

「私が狂ってるなんて、そんなことどうでもいいでしょ?」

また座標を確認、指定、圧縮。薄暗い辺りを彩るのは赤とコンクリートのモノクロばかりで、人によってはもしかしたらきれいだと思う配色かもしれない。絵画のようだとは思えないけれど、まぁ、絵になる色彩ではあるんじゃないだろうか。

「私はね、貴方を殺したいだけだから」

そう呟いた私の瞳に何を見たのだろうか。男は声にならない悲鳴をあげて、腰だけで退こうとするのは本当に滑稽だ。こんな、こんな情けない人間だったのか。

「……駄目だなぁ」

どうやら私は拷問に向いていないらしい。どうしても楽しめない。なんとか楽しもうと思っても別の感情が先に入ってきてしまって早く殺したくなってしまう。この命が一分一秒生き長らえていることそのもの自体が嫌悪の対象だ。この時期に見つかるなんて何て僥倖なんだろう。

「もういいや」

左手は合わせたまま、右手の五指を伸ばして、起点を定めていく。座標、空間把握、空間角固定完了、────圧縮開始。全部の指先の距離をじわじわ縮めていくと、見えない壁が男の体を折り曲げ始める。腕が、足が、胴体が、首が、あらぬ方向に曲がりはじめて、何か叫ばれたような気がした。それでも空間はもう閉じている。声は通らない。だって音を伝える空気が遮断されているのだから。下卑た声がもう聞こえないことへの安心感が心のなかを占める。

「さようなら」

右手を握り込んだ瞬間、"黒髪の男"の存在は消え去った。残るのは、真っ赤な真っ赤なキューブだけ。

自分から離したところでそれを解放すると、男だったものが床に落ち、嫌な臭いを辺りに立ち込めさせる。いやだな、あいつの臭いになっちゃう。

扉が壊れた部屋を後にして扉向かいの壁に背を預ける。ふぅと詰めていた息を吐くと、ぽたり、鼻から血が落ちた。それを適当に袖で拭いてからゆっくりとケータイをポケットから取り出し、警察に電話をした。

「人を殺したので、捕まえに来てください」

そう言ったとき、私はどんな表情をしていたのだろうか。
















人を殺したという電話があったと事務所に協力要請が来て、警察に同行して廃ビルに向かった。サーチ系の個性の人間が下調べをして、確かにビルに一人いるというものだから、ビルの入り口からそいつを凍らせ動けなくしてから突入したわけだ。

そこには一人の────おそらく少女と呼ばれるだろう年齢の人間が足の膝まで凍った状態で蹲っていて、どこか途方に暮れたような視線で俺たちを見た。

電話の主かと問えば、力なく頷いて、自分の目の前を指差す。そこには扉が消失した、おそらく部屋だろう場所。

「そこに殺した男が……あれは居るっていうのかな? まぁいいや。とにかく存在してるから確認どうぞ。あ、手錠かけます?」

凍結を気にした風もなく両腕を差し出してくるものだから、全員に緊張が走って空気が張り詰めた。それでもそいつはただただ両腕を差し出しているから、個性制御が乗っかった手錠を預かり、ぱきりと帯状に床を走った氷を踏みしめて近づけばあっけなく手錠はかかり拍子抜けする。

「どうも」

足が固定されたまま壁に背を預けたそいつを警察に頼み、示された部屋に入る。そこには、赤が広がっていた。床に描かれたそれは、明らかに人間の血の臭いで、だっていうのに異様なほど"他のもの"がない。ここまで血液が散らばってるなら犯行現場がここだってのは間違いねえんだろう。だけど見当たらない。部屋の外にもビルの外にも血液はない。致死量どころの騒ぎじゃない血液だけを残して、死体はどこに消えたのか。

「死体はないから、まぁ適当にDNAとかから本人確認してください」

そこで耳元の無線に連絡が入る。

『顔から識別できました。三年前から行方不明になっていた室間那切・18歳、無職、登録個性は空間圧縮です』

そこで振り向いたとき、そいつはただただ感情の読めない黒い瞳で虚空を見ていた。







「あれ、面会希望って誰かと思ったら、あの時のヒーローの方じゃないですか」

数日経ったあと、留置場の面会室で相手を待っていると、第一声でそんなことを言われた。面会希望が来たって話をされるときに名前が伝えられるはずなんだがな。聞いてないのか。

椅子に座る際に机にかけた室間の手には中世の鎧にあったガントレットについているような指甲が全ての指に嵌まっていて、自分の意思じゃぴくりとも動かせないようになっていた。

「ん? あぁ、これ、酷くないですか? ご飯だってフォークを手に固定して食べなきゃいけないんですよ」

調書を読んだ限り、こいつの個性の発動条件はどうやら指と指を合わせるということらしく、そういう対処になるだろうことは想像に難くない。最大五つなのか、十なのかはわからないが、とにかく指を遊ばせると危ないって判断だ。

「言われなくたって危害を加えるためには使わないのに」

不便そうに固められた指を眺めた後、室間は机に両頬杖をついて俺を見る。

「それで、どうされたんですか?」

促された俺は軽く頷いて、口を開くことにした。

「勝手だとは思ったが、おまえについて調べさせてもらった」
「へぇ。何か面白いものでも出てきました?」

あぁ、と返すと、まぁ出てきますよね、と最初から諦めているのか肩を竦めてそう返してくる。

「おまえは、十年前に両親が事故で死亡し、その数年後に引き取り先であった友人一家を惨殺された。学校の委員会活動で帰宅が遅れたおまえだけが生き残ったんだ。そしてその犯人は」

そこで切ると、室間は朗らかに笑顔を浮かべる。

「そう。死んでますね。殺しました。人を殺したんだから、殺される覚悟なんていつでも持っていて然るべきじゃないですか?」

警察さえも補足できずにいた犯罪者を、齢18歳で捕まえて私刑に処した。個性も探索能力とかもすげえとは思うが、そんなことをやっちまう前に、俺たちを頼ってくれたらよかったと自分の無力さを歯噛みするしかない。こいつにとってヒーローは頼れる存在じゃないんだろう。

「それを、彼女が望んでいる、って?」

問えば、瞬間、空気が変わった。

この空間だけが切り離されたような感覚。遠く聞こえていた外の音が全く聴こえなくなった。室間の指には確実に指甲は嵌まったままだっていうのに、確実にこの部屋は"閉鎖されて"いる。

────まずい、指を合わせなくても使えるのか。

「う、あ……!」

目を見開き頭を抑えた室間は、ひきつった表情のまま固く固く瞼を閉じる。するときりきりとした感覚は消え、またざわざわとした微かな外の音が聴こえるようになった。

「……わかったような口を利かないで」

先ほどまでの雰囲気は完全に消え失せ、ぎらりと瞳が輝き俺を視線で居竦めようと睨んできた。頭から手を離し上がった顔には鼻血が流れ、室間はそれを指甲に包まれていない手首辺りで乱暴にぬぐう。

「あの子はもういない。私のしたことを咎めることも応援することももう出来ない。止めることだって一緒に手を汚すことだってしてくれない!それを!あいつが!奪った!」

叫びと共に、がん、とアクリル板で隔てられてはいるが繋がった机を叩かれ、室間側の外で控えていた警備が入ってこようとする。手で問題ないことを伝え追い返して、ふ、と短く息をついた。ここで連れていかれたらたまったもんじゃねえ。

「私は私のしたいことをしただけ。あの子は関係ない」
「……悪かった。お前の意思だな」

僅かに収まったぎらつきはそれでも完全には落ち着いてはいなくて、あぁ敵だと認識されちまったなと思う。

「それでも私刑は違法だ」
「あの子のことを守れずそれどころかあの男がのうのうと生きている社会のルールを私が守る必要なんて、ないじゃないですか」

"あの子"。それは、こいつを引き取った一家の一人娘だ。そしてこいつの親友だったらしい存在。安心できる場所。それを一気に奪われた。その憎悪。それは、理解出来ちまう。だから来たんだ。

「ヴィランに復讐をしたらヴィランになる。おまえはおまえが恨んだ存在になってるんだぞ」

すると、はっ、と鼻で笑い室間は机を指先で軽く叩く。

「私はヴィランを恨んでるんじゃないんです。あの男を、恨んだだけで」

つまり自分に絡んでこないからヴィランという概念ついては本当にどうだっていいわけだ。長い間憎悪を募らせ続けたくせに、刹那的な考え方をしてやがる。

「時間です」

警備の人間が入ってきて、室間が立ち上がる。その顔を見て警備が怪訝な表情をするものだから室間は、単に鼻血が出ただけです、と吐き捨て扉の方へ。

「もう来ないでくださいね」

最後にそう言って室間は部屋を出ていった。全く、強情なやつだな。







「ヒーローって暇なんですか? 来るなって言いましたよね?」

首に個性抑制のチョーカーが新たに付けられた室間は、えらく不機嫌そうな顔で指甲が嵌まった指でかつかつとアクリル板を叩く。

「じゃあ何でおまえは面会に応じてるんだよ」
「……」

一応これは拒否することも出来る話だ。そういうことも言われてはいるだろう。聞いてるかどうかは怪しいが。

「別に、どうだっていいじゃないですか」

どかりと横向きに椅子に座った室間は頑張って俺を見ていないようにしてはいるが、視線がこっちに来てるのは見てわかる。本当になんにも訓練してない素人なんだな。

「大人しくしてろよ。もうすぐ、命日だろ」
「……」

誰の、とは言わないが伝わるはずだ。忘れるはずがないよな。おまえがここまでした人間のことなんだから。

「いい子にしてたら俺が連れて行くぐらいしてやる」
「……頼んでませんけど、連れていってくれるなら、まぁ」

ここで笑わなかったことを誰かに褒めて欲しいと思っちまった。"あの子"が関わるとすげえ素直だな。

「わかった。約束だ」

右手をあげて掌全体をアクリルに当てると、そろりと指甲のせいでゴツくなってる左手が合わせられる。うん、たぶん、ああやって激怒したのも、こうした姿も、ヴィランを殺したのも、全部こいつの本質何だろうな。どれも嘘じゃない。隠すことは得意じゃないんだろう。だから警察を呼んだ。

「別に、破ったって殺しに行きませんから。安心してください」

そんな風に、つまり期待していないと言っちゃいるが、それは逆に期待してるって言ってるようなもんだぞ。まぁいいか。




それから布団が固いだとか飯が食いづらいだとか、そんな軽い愚痴のような他愛もない話を聞いて、警備の人間が時間だと告げる。

あ、と一瞬呆けてからガタリと勢いよく立ち上がった室間はくるりと背中を向けた。時間忘れて喋ってたのが恥ずかしいんだろう。最初はあんなに感情が見えないと思ってたのに、ふたを開けてみればこれだ。

「じゃあな、また来る。おとなしく元気にしてろよ」

言いながら立ち上がると、室間は動かそうとしていた足を止め、半身だけ振り返ってくる。ん?

「……私のこと気にかけてくれるなら、健康診断の結果でも見てくださいよ。まぁ、どうにも出来ませんけど」

室間はそれだけ言い残して、警備の後を追っていった。

……健康診断?







数日後、いろいろなことを調べて腹の方に詰め込んで、俺は今後どうするか決めてまたここに来た。相変わらず嫌そうな顔をしながら面会には応じるのは笑うしかない。いや、表情には出さないが。本人は気づいてねえみたいだが、根本的には寂しがり屋なんだろう。

「ここから出る日が決まったぞ」
「そうですか。それより何処に連れて行かれるんですか? 少年院?拘置所?刑務所? 私あんまりそういうこと知らないんで心の準備だけでもしておきたいんですが」

警察の方にももう話は通したし、許可は取った。あとはこいつがどういう反応をするか。

「俺の家だ」
「……は?」

親父はもうあの家を俺に明け渡して轟家を継いだのは俺になってるし、別に結婚もしてねえから住んでるのは一人だ。居住に関して俺が許可すれば問題はない。

「未成年ヴィランを保護して教育するのも、ヒーローの役目だからな」

そこまでやる奴がいるかどうかっていったら、あんまりいないが、まぁ完全にいないわけじゃない。

ただ俺はそういうタイプじゃない。でも放っておけないと思った。復讐に燃えつきた、あの空虚な途方にくれた表情は、きっと今でもなかに残ってる。そんなやつをそのままにしておけるかって話だ。

「……馬鹿じゃないですか? 殺人を犯したヴィランですよ?」
「それに関しては更正の余地アリってことで書類通した。惨殺事件を担当してくれた刑事さんが奔走してくれたってよ」

ちょっと裏技使ったことは否定しないが、まぁそんなことは伝える必要もないし、申請が通っている現状どうだっていいことだ。

「いや、それにしたって、貴方いい歳した男性ですよね。この歳の人間を連れ込んでたら周りになんて言われるか考えないんですか?」
「なんだ、心配してくれるのか」

すこしおどけて言えば、きっ、とまなじりを赤くして室間が大きく口を開く。

「────心配、するに決まってるでしょう!」

喉がひきつったようなからっけつの叫びは、部屋全体に響いてまた前みたいに警備の人間が覗いてくる。大丈夫だと目線だけで示せば、会釈と共に戻っていった。

「私は、別に、無差別に誰かの人生をめちゃくちゃにしたいとかそんな願望持ってないんです。私がしたかったのは、あの男を殺して、刑を受けて、そうして」

続く言葉は落ちはしなかったけどわかる気がした。わかっちまった。なぁ、本当にそれでいいのか。今までの人生全部をつぎ込んだ結末が、そんな。

「おまえ、もう長くないんだろ」

叫んだ際に下に向けられていた視線が持ち上がって、本当に見たんですね、とへったくそに笑う。

「診断結果を見て、個性研究所に行って聞いてきた。空間座標を正確に把握するってのは、脳にすげえ負担がかかるらしいな。それを独学で修練して、使い込んで、人間一体を簡単に潰す程の力を得るなんてことは、無茶苦茶だって」

ワープが稀少な個性だってのはそれが一端を担ってるとも聴いた。耐え切れないんだ。普通は。よしんば使えたとしても、実用に足るほどの精度も頻度も距離も、鍛えるのは難しいと。そう聞いて、あの頃に出会ったヴィランを思い出した。

「頑張ったな」

使い方は間違ってるけど、それでも、こいつは頑張ったんだ。たった一つの目的のために、真っ直ぐに。脇目も振らず。

「何ですかそれ、同情ですか? 家族を殺された私に?余命が長くない私に? 止めてください。反吐が出る」
「そんなんじゃねえ。頑張ったのは事実だろ」
「……」

重ねて言うと、どうも表情作りそこなったらしく唇を噛んで俯いた。

「それに、おまえがこれを断ったら墓参りの件はナシだからな。外出許可が下りねえだろうし」

落ちていた黒い深い瞳が見開かれて、そのまま視線を逸らし思いっきり舌打ちされた。どう聞いても聞き間違えようのない盛大なレベルで。

「……わかりました。私が死ぬまでせいぜい養ってください」
「そう簡単に死なせる気はねえよ」

そう言うと、はぁ、とため息をついた室間は諦めたように頬杖をついた。