気が付くと、あの人の背中を視線が追っている。
逞しい胸板、みなを守ると決めた腕、撃った瞬間にもう四散が始まる指先、それでもなお笑っていたあなた。ひらりひらりと千切れた赤い布が手元まで飛んできて、思わず握りしめると途端に消える。

初めて宝具を撃って貰った時のことは、もう、思い出したくない。
二度と、二度と。
太陽のように微笑んで
「なぁ、マスターは何で滅多に宝具を撃たせないんだ?」

レイシフトからの帰還後、アーラシュさんにそう訊ねられた。彼にとっては心底それが純粋に不思議なようで、何の邪気もない表情。きっと私には考えもつかないほどの大英雄である彼は、私には考えもつかない頭脳経路をたどってそんな質問をしてきているのだろう。

「撃ちたいの?」
「いや、そういう訳じゃないんだが、さっきの戦いとかももう少し楽になったんじゃねぇかなって」

そのアーラシュさんの問いかけは確かにそうだ。至極もっとも。けれどそれを受け入れるつもりは毛頭ない。

「私は、貴方に死ねという命令を下せるほど強くはない、から」

嘘じゃない。このカルデアの魔力は人間一人と比べたらそこそこ潤沢で、レイシフト先で何があろうともカルデアへ霊基は帰還すると言うことがわかっていても、私はその命を下すことは出来ない。責任がどうということもあるけれど、それ以上にただただひたすらに、こわい。

「あぁ、なるほどな。あんたは優しい」

やさしい。それは、アーラシュさんにこそふさわしい言葉だと思った。私のこれは半分の下心が支えている。

「ねぇ、そういえば、"読め"ないの?」
「ん? あぁ、そうだな」

常々気になっていたことを改めて問うてみると、彼は少し考えて破顔した。あどけない表情。私の好きなかお。アーラシュさんが私の思考を読めていないことなんて前々から知っているけれど、でも、それでも、訊いて安心したかった。

「マスターの思考はちっと読みにくいな。だから傍に居ると煩くなくてな」
「そっか。それは、よかった」

誰だって好きな人が死ぬ姿をほいほいとみたいなんて、思わないだろう。いや、思う人もいるかもしれないけれど、私はとかくそういう趣味嗜好ではないので、きっとこれからも彼に宝具を撃たせたくは ない。

私が彼に恋をしたのは、もう、一目だった。一目ぼれ。どう考えてもそうとしか言いようのないことで、あまりにも自分の心の落ち着きのなさからいろんな人に心配されたほど。けれどあんなに高身長で、声が落ち着いていて耳がさわさわして、初めて会った時によろしくなと頭を撫でてそれが嫌じゃないだ何て、そんなのもう恋に落ちているも同然だろう。

マスターと英霊の恋なんて、基本はよろしくのないことだと思う。いつか消え行く相手で、且つ今は多くの英霊の方がと縁を持っている。それでも、そうやって自分自身でコントロールが出来たらこんなことになっていないとも、思う。あぁ、好きだと。

けれど後で調べたら彼、アーラシュ・カマンガーは千里眼なるものを持っている英霊らしく驚きのあまり椅子から転げ落ちたことは未だに恥ずかしい過去の一つだ。けれど霊基顕現が十分ではないようで、その能力はまだ発揮できねぇんだ、と笑われたことは良かったと思う。

だから私はメディアさんにお願いしたのだ。この心が漏れてしまわないように。この想いが知られてしまわないように、稀代の魔術師、ひいては魔法使いとも呼ばれる彼女に、私へ呪をかけてもらった。千里眼────少しの未来と、相手の心を読む力を跳ね返す、そんな強いまじないを定期的に。

彼女は笑っていた。私の恋心をではなく、恋心を隠したいと言う少女らしい私のことを。世界を救う、救わなければならない、救えなければ人類どころではなく全種が死ぬ。そういった極限状態でも恋が出来る私の想いを、大切にしてくれた。

いま思えば、そうでもなければやっていれらなかったのかもしれない。

「マスター」

森を抜けきったところでアーラシュさんが声を掛けてくる。うすい木漏れ日の下でこの人を見ると、とてもよく似合っている気がした。カルデアのような無機質な場所はあまり似合わない。だから私は彼と旅が出来る幸運を噛みしめる。

「どうしたの」

務めて何でもない声を出せば、そっと髪に触れられる。

「落葉があんたに会いたがったみたいだ」

くるくると目の前で回される緑色の落ち葉。あぁ、葉っぱがついてたの。気が付かなかったし、一瞬だけ頭皮で感じたこの人の指先が存外、存外に逞しくて、口の端を噛む。

"流星一条"を放てる弓。その弓を鳴らす指先が逞しくないわけがないと言うのに、それを油断してる時に直に感じてしまうなんて。

「ありがと。葉っぱつけてるマスターなんて威厳ないもんね。元からないけど」

だから笑う。笑って、笑って、そうして、私はどうしたかったのだろう。

そんな、変哲もないある日のこと。

「あ」

廊下の向こうにアーラシュさんとオジマンディアスさまが話しているのが見える。同時代の英霊と言うこともあってそこそこ二人は仲良しらしい。仲良しと言うか、なんだろう、そういう表現では足りないような気もするけれど、まぁとにかく仲良しさんだ。

あぁ、それにしても今日もアーラシュさんは逞しい背中だ。願うだけでいいなら、あの背中に抱きついて肩甲骨にキスをしたい。まぁそんな馬鹿なことは頭の中だけで済ませるべきなのだけ、れど……。

ふと、足が止まる。
この先にある談話室に用があるのだから、足を動かすべきなのに。

どうしてだろうと爪先から顔を上げた瞬間、本能がそれを理解した。真っ赤な顔をした英霊────アーラシュ・カマンガーと私の視線が、交差しあって、そうして、どうして。

「────!」

うそ、だ。嘘だ。読まれた?読まれた!

そのことに気が付いた私は踵を返し一転して来た道を走って戻って行く。走れ走れ走れ走れ自室に!すると後ろから足音が重なってくる。十中八九、アーラシュさんだ。アーラシュさんだ!ちょっと待ってお願いお願い私の顔を見ないで私を追いかけないで私の思考を、よま、ないで。

息も絶え絶えに自室に転がり込み、ばしんと施錠タッチパネルを叩いてLOCKをONにする。英霊の足で追いかけられたなら今頃私は追いつかれているだろうから、これはもう手心を加えられたことは明白で、つまり私の思考もだだ漏れで、どうしよう今すぐにメディアさんを呼ばなければならない事態なわけで。

「なぁ、マスター」

ぜぇぜぇと扉を前にして座り込んだままそんなことを考えているところに、私の大好きな声が割り込んできた。びくりと全身が強張る。

「その、そのままでいい。ちっとばかし話に付き合ってくれねぇか」

息を切らした様子もない彼は、そう言った。話?話って、なんのことだろう。あぁでもあなたがそう言ってくれるのなら私は喜んで付き合いたいのだけれど、でも、今そんなことを言われたら。

「と言っても、迷惑だったら言ってくれ。代わりにあの姉さんを連れてくるぐらいはするからよ」

────迷惑な筈が、ない。

そう真っ先に強く思ってしまって、扉の向こうの彼は笑った気配。

「なら、ここに居てもいいな」

位置が低くなった声から察するに、扉に背中をつけて腰を落としたらしい。扉一枚を隔てているというのに、どうにもこうにも恥ずかしさが先だって、何も言えなくなってしまった。

「取り敢えず、すこし誤解を解いておきたいんだが、俺はあんたがまじないを使ってることは知ってたぞ」
「え」
「とはいえ、何があるとも知れない旅だ。特異点とやらであんたが敵対した中に魔術師がいないとは言い切れないわけだしな。そいつに手の内が読まれないようにガードを固めるのは良いことだ」

そういう、そういう、訳じゃない。言われてしまったら考えずにはいられない。そんな真っ当な理由じゃない。私が心を覆ったのは、言ってしまえばただの自己愛だ。

そんなことを心に浮かべてしまう。それすらも……これすらも、彼には伝わってしまっているのだろう。

「あのな、マスター」

びくりと肩が震えた。審判を待つ罪人のような気分になってしまい、いやこれはアーラシュさんに失礼だろうと頭を振る。

「俺はあんたのこと、好きだぜ。その、そういう、意味でな」
「────」

思考が、白に。
白はやがて紅潮を連れて。
紅潮は、衝撃を率いて。
衝撃は身体を貫いて。

「え」
「これ以上は面と向かってじゃなきゃ言えないな」

そう言われて、英霊ならば霊体化してこの部屋に入ってくることなど造作もないだろうに、それなのにそんなことを言う。

私は急いで膝立ちのまま部屋のLOCKを解除して扉を開けた瞬間、ごろんと黒髪で浅黒い塊が膝の上に転がってきた。だというのに、彼の顔は片腕で見事に隠されている。それでも、私とはまったく異なった肌の彼でも、首元が赤く染まっていることぐらいは、容易に分かってしまったのだ。

ふふっと笑って、膝の上の頭に両手を添えて覗き込む。

「ねぇ、今なら、私でもあなたの心が読めるかも」
「……そうかい、なら、ひとつ読んでもらおうか」

そう応じるように笑って、表情を隠していた腕が私に伸びてくる。そのやわらかな眦が、あぁ、本当に、だいすきで、だいすきで、たまらなくて。それが今、私に注がれている。それのなんと、幸せなことか。

「あのね────」

少女は英霊に恋をする。
英霊は少女に恋をする。

それは不確かな絆だった。
それは限りある愛だった。

それでも彼らは。