「こんにちは、初めまして! 今日からお世話させて頂く、人理継続保障機関整備班の南城と申します。整備班生き残りが一人で、いろんなものと兼務している都合上、いろいろ直ぐには来られないこともあるかとは思いますが、都度最適化を目指していきます。どうぞよろしくお願い致します」

石炭を運んでいたであろう煤だらけの手押し車を傍らに、ところどころ汚れた赤いツナギが印象的なその少女は、作業帽を外して明朗快活に踵を揃えてそう言った。
それが、我らの出会いだったのだ。
ちいさなはな
「っと、うん、どうでしょうか」

脚立から降り、鋼鉄の身体の全身をも映すことの出来る姿見をがらがらと持ってくる少女は、今日も赤いツナギを着ている。曰く、他のスタッフも着ていたが今は自分だけなので大変目立つと恥ずかしがっていたのは記録に新しい。

「今日も良い仕事だと判断する」
「ありがとうございます!」

ぴかぴかに磨かれたそれは、見た目だけではなく、細部のメンテナンスまでよく行き届いた仕事だと、初めてふれられた時から感じていたことだ。小さな体はしかし軽やかに作業場を行き来し、工具箱を運んでいる姿など見慣れたモノになりつつある。

ぼろぼろのウエスを山にした籠を抱え、油や煤で汚れた顔はよく笑う。それを拭ってやりたいとは毎度、毎度思うのだが、この体は空想世界の実現と人理修復を見て構築・顕現した姿であるということが大前提である。つまり、少女とは出力が異なっている。この体に設計ミスなどはない。それは十二分に我が分かっていることではあるが、しかしと考えずにはいられまい。

「バベッジさん? どうかされましたか?」

覗いてきた少女の頬には、無理矢理肩口で拭ったのであろう新たに擦れた痕。

「すまない、考え事をしていた」
「あ、そうなんですね。こちらこそすみません」

では私はこれで、と作業帽の庇で隠れた目元は力強く笑んで作業場の奥へ走って行く。たった一人残された少女。この時代の技術のことは、ある程度は顕現する際に流れ込んでくる故に把握はしている。

内燃機関・電気の時代。
蒸気機関は遥か遠く。

そういった時代だと言うのに、少女は懸命に私の機械鎧の仕様を理解し、理念を知り、結界の特性を把握し、そして行動する。その細やかな気配りは確かな知識に基づいた物であり、平たく言ってしまえば、少女は聡く賢いのだろうと。無論、この人理継続保障機関にいるという時点で判断できる話ではある。あるのだが。

「全く、どうかしている」

以前より出力が上がり、また鎧慣れたおかげで滑らかに動く四指の稼働を確認し、我は一人、呟いた。

二百人いたスタッフが、あの故意の空間崩壊により今や二十人程度になってしまった。機械整備班はオーバーロードした機械の爆発に巻き込まれ、死体が残っている人の方が少なかった。その中で、本当に、奇跡的に生き残ったのが私だ。今は一人整備班と言われながら、それなりにやっている。

そんな中で、仕事が増えたのはもう何ヶ月前のことだろう。今やただ一人健在のマスターから直々に頼まれてしまったのは、チャールズ・バベッジさんのメンテナンス補助だった。

話を聞いてみると、かの人のあの姿は固有結界を常に維持しているが故の鎧であり、中に確かに人はいるのだけれどパージ出来ないのだという。それに対応できるのは、現在私だけ。まぁ、それはそうだろう。

いわゆるソフトに対応できる人はまだ、ごく少数ながら複数人生きてはいる。しかし、ハード面を担うのは技術顧問のレオナルド女史と私のみなのだ。女史は忙しく、いや私も忙しいのだけれど天才たる彼女の比ではない。まだ人間的だ。だから私はそれを請け負った。元より、人理継続の為の技術。英霊の方々がその力を出し切るのもそれに含まれる。

そうして初めてふれた蒸気機関は、あまりにも魅力的だった。
バベッジさんが考えた鋼鉄の鎧は、産業革命時代のことを鑑みたとしても彼が生きている間に実現できたものではなかったろうと容易に推測できる。だからこそ固有結界なのだ。自身の誇りと無念を繋ぎ合わせて、理論的な設計図と魔力で形にした鋼の身体。

うつくしいと思った。何をどう考えたらここに至れるのだろうと。そして、同時に悔しかったろうとも、若輩ながらも思ってしまった。理論は完成していたのだ。しかしそれには時間と、時間を短縮させる資金が付きまとい、果てはそれは引き上げられてしまった無念の夢。それを身に纏い、この時代に顕現したかの人は、何を思っただろうか。

出来ることなら、良い刺激だと感じていてくれたらよいのだけれど。




ある日のことだ。
フランケンシュタイン、と呼ばれる英霊が顕現した。モニターでちらりと見たことのある彼女は、長身痩躯の花嫁だった。白い裾を軽くふわりと靡かせ、ヴェールで頭部を覆う姿。きらきらしていて、とてもかわいらしいと思った。

その彼女と、バベッジさんが作業場近くで話している。通りかかったモニタースタッフ曰く、どうやら生前、つまり英霊になる前からの知り合いだそうで、会話に花が咲くこともあるらしい。そう注釈してくれた彼には本当に感謝し、今度珈琲を淹れることで報いることにしよう。私の淹れる珈琲はなかなかに評判がいいのだ。

しかしそれを行う前に、私は、その地面に縫い付けられたようで動けなかった。ぽん、と当たり前のようにバベッジさんが彼女の頭を撫で、何か呟く姿。ここからではバベッジさんの低い声は聴きとり辛い。何て言ったのだろう。あの、白い、穢れなき純潔の花嫁に。

そっと自分の姿を見下ろして、ところどころほつれはなくとも汚れた赤いツナギに、会議用にひっかけたこちらも機械油などで茶色く変色している白衣。

「────」

別に、この格好を惨めだと思ったことはない。私は私の仕事をして、そうして支えている自負はある。それでも、今は、この場に居たくないと、思ってしまったのだ。どうしてだろう。

「そうか、ヴィクターの娘よ。善きマスターに出会ったか」

特異点で出会ったヴィクターの娘は、我がカルデアへの召喚に応じ顕現した。人語を持たぬ彼女ではあるが、しかし人語を解さぬわけではない。

造物主から愛されることも、つがいを造られることもなかった存在は、しかしここで愛されている。粗暴な騎士は共に笑い、清廉な騎士は慮り、未来を見据えるマスターは手を差し伸べた。それは行く先への存在を赦されたことと同義である。

「我も、良き技術者に出会った」

こうして、妄念の果てとなり顕現した体を、心底より気遣う者がいる。それは奇蹟に近い。いや、奇蹟なのだろう。この召喚も、この出会いも、すべて何もかもが。

ヴィクターの娘へ手を伸ばし、撫でる。生前はヴィクターの娘の方が高く、こうして撫でてやることも出来はしなかったが、マニピュレーターとなりしこの腕であれば不都合はない。

「健やかに育つが良い」

そうして、もしかすれば、あるいは。
夢想の具現者である我がそう願うことのなんと滑稽なことか。

「────少女?」

足音を感知し、顔を上げると見間違えることのない赤い姿が、遠く遠く去って行っていた。

特異点レイシフトの任務がひと段落し、次のレイシフトまでに間があることからすべての機器のメンテナンスなどをしていたら、もうこんな時間になってしまった。あと少しでキリのいいところまで行くけれど、眠気覚ましの為にもすこし身体を動かそう。

とは言っても、作業場から廊下に出て窓の外を見ても依然と雲がかかり、吹雪が収まる気配は欠片もない。気分転換にすらなりはしない状況に、僅かながらも気分がめいってきたのを自覚してしまう。

きっと外の世界が"既にないから"ゆえの現象なのだと思う。おかしなことが起きた時、世界は辻褄を合わせようとする。『世界がない』のであれば『観測できなければ』、あるかないかもわからない。だから観測者であるこちら側の視界が断ち切られる。たぶん、そういうこと。

「太陽、もうどれくらい見てないんだろう」

人は日光に当たらないと、いろいろ不具合などが出てくることもあるらしく、人間社会にはなくてはならない存在だというのを聞いたことがある。

「……とりあえず、戻ろう」

うん、と頷いて、私は踵を返した。

夜、眠る必要のない英霊として見回り、静音歩行を心がけ歩いていたところで、少女がよく居る作業場の灯りが煌々とついているのが見えた。まだ作業をしているのかと近付き行こうとも作業の音が聞こえてくることもなく、消し忘れかと覗いたところで、我はひどく驚いてしまった。驚いて、アイカメラが飛び出てしまった。

床に倒れた赤。
手入れ途中であろう工具たち。

静かに歩くなど、そんなものは消し炭となった。

過労か。急病か。何にせよどうして気が付かなかった。矮躯とも言える彼女の仕事許容量は決して多くはないのだ。

「少、女……?」

しかし近付いて、見下ろしたその顔に苦悶はない。ごろりと寝返りを打つ姿は、目の下に隈こそ在れど健常状態に近い物であろうと推察できる。

────つまり、寝落ち。

そのことを理解し、ぶしゅう、と排気音が大きく響く。それでも眼下の少女が起きることはなく、どれほど深い睡魔に襲われたのか、そしてその睡魔に何故襲われたのかは容易に判断できること。

「……我は蒸気文明を夢見るが、しかし、それはこの世界を否定することではない」

少女が、無垢なる少年少女たちが笑っていられる世界でなければならない。それは、この技術者たる少女にも言えたこと。

四指の駆動を確認し、そっと、持ち上げる。

静かな寝息をたてる少女は、ふれてしまえば、平素よりも小さく感じてしまう。しかしあれほどまでに躊躇していた出力の問題はないようだと、外装の中で小さくため息を吐いた。

再度静音歩行をし、医務室の方へ。こういう人間がいるからか、医務室の明かりが途切れることはない。あの医療従事者も、自らの仕事の価値を知り、睡眠を摂ることに積極的であれば、良いのだが。

「────ん」

目を開けて、うっすらとした灯り。ベージュ色のカーテンに閉ざされたそこは、自室ではなかった。

「!?」

見慣れない風景に脳が混乱したまま覚醒して上半身を起こす。と、自分の身体が未だに赤いツナギを着用していて、それについても意味が分からなさ過ぎて混乱するしかない。別にツナギを着たままベッドに入る趣味はない。ない……筈だ。ストレスで無意識のまま奇行に走っているとかではない限り。

「起きたかい? 入っても大丈夫かな」

するとカーテンの向こうに人影が現れ、ドクターの声がする。あぁ、なるほど、医務室。返事をすると、しゃっとカーテンレールの音。

「ミスタ・バベッジが君を連れてきた時はどうしたのかと思ったけど、単に眠ってるだけだよって言ったらすごく安心してたよ。あとでお礼を言っておくようにね」

つまり、作業場で寝てしまった私をバベッジさんが発見して、ここまで運んできてくれたのだ。……いや、なんだ、作業まで寝てしまうことなんて、そうそうあるわけじゃないけれど、今まで全くなかったわけでもない。そのまま転がしておいてくれてよかったというのに、どうもバベッジさんは本当に英国紳士である。

「あれ、バベッジさんが連れて来て下さったんですか?」

彼は決して私に触ったことはない。たぶんそれは、何らかの気遣いなのだろうと思っていた。

「うん、こう、横抱きで」

腕を曲げてそれを再現するドクターを、見て、頭の中でそれを描いてしまった私は顔の温度があがるのを自覚せざるを得なかった。

(……いや、たぶん放っておけなかったからだ。うん)

そう頷いた私を誰か殴って欲しい。




「顔に煤が付いている」

と、そういう指摘をすると同時に、私の手元を一瞬で確認してハンカチで拭いてくるようになったバベッジさんは心臓に悪いのだ。

傍に居るとあたたかいし、紳士だし、物腰はすこし堅いけれど優しいし、ハンカチは気持ちいいし、そんな扱い、いままで、されたことがなかったからどう反応したらいいのかもわからない。どういう反応をすれば、バベッジさんの横に居てもよいのか、全く分からない。

それでもそれが嫌なのかというと、そんなわけはなく、いやむしろ嬉しくて、私は今日もバベッジさんの鎧を磨くのだ。バベッジさんの鎧が、どんどん私の時代の油のにおいになじんでいくのは、よくわからない優越感に包まれて、本当に、良いと思う。うん。

そうして、月日が経ち、人理は修復され人理継続保障機関は元の雪山へと帰還を果たす。その時既に物理的に閉ざしていた吹雪は止んでいたのだが、それこそが人類の歴史を修復した証のひとつであることは明白だった。

その報告を受けた少女は、疲労しているだろうに走り、外へ飛び出る。

「さーむーいー!」

笑い声と共に軽装の赤いツナギのまま、諸手を上げて白い雪の上に足跡を付けていく。振り返り、彼女は、本当に────本当に、少女のように笑っていた。走って行く際に落とした作業帽を広い、ざしゅりと雪の上に歩み出す。

蒸気機関であるこの鎧は一部は酷く熱を持つ。である故に、雪はみるみるうちに溶けていく。その様は妄念と夢想の具現であるこの鎧のようでもあったが、それも悪くはなかった。

「外ですよ、バベッジさん!」

手でひさしを作りながら太陽を指差す。蒼く透き通る、産業革命真っ只中の英国では終ぞ見ることのできなかった空の下。その光景が、雪に映える一点の赤が、一足先に春が来たのかと錯覚させる。

「あぁ、貴様たちが勝ち取った未来を誇るが良い」
「はい!」

自らの仕事に誇りを持ち、自らの仕事に責任を持ち、一人整備班と言う矛盾孕んだその言葉の重責に耐えきったこの少女を、我は称えよう。たとえ座に還ろうとも、この未来の先まで。

「────南城少女」
「え」

果てのない蒼を見る少女に声をかけ、振り返る前、作業帽を深く被らせる。庇から手を外さず、そのまま。

「太陽も、雪も、今は逃げはしないと予測できる。であるのならば、戻り休息を取るべきではないか」
「そう、ですね」

両手で庇を持つ少女の頭を撫で、踵を返し溶けた道を戻る。数瞬して、続く足音。

「あの、いま、名前────」



ちいさなはなが、鋼鉄紳士の手を握るまで、あと三秒。