「新しい霊基が確認されたよ」

そうダヴィンチちゃんが私に言う。詳しいことはわかってるの?、と訊ねてみれば冠位を捨てたあの御方だよ、なんて当たり前のように返してくるものだから、理解に十秒ぐらい時間がかかった。

「え?」
「だから、山の翁さ。ハサンの中のハサン……いや、ハサンを殺すハサンか」

その言葉に、目の前に蒼い炎がちらつく。ずわりと畏怖を落とし込んだ色。私たちを見定めた色。そして、死という概念を纏ったうつくしく振るわれた炎。
縁が結ばれた。そう言われて、あの絶体絶命のウルクで助太刀しに来てくれた蒼を私は忘れられていない。まぁ実時間で言えば、実はそう大した時間も経っていないと言うのにどうしてだか随分と昔のような気がしているのだからおかしな話だ。

「そっか。教えてくれて、ありがとう」

私はそれだけ言って、その場を後にした。目指すは自室。誰もいない場所。机に向かいたかった。




指紋認証を果たして、自室へ足をいれる。自動的に灯りがつく中で椅子に座り、紙を取り出した。わりと貴重だから今まで電子媒体でいろんなものを記録していたけれど、これだけは自分の手を動かさないといけないと思ったのだ。



拝啓 初代 山の翁 ハサン・サッバーハ様へ

カルデアに所属する、止水です。
何とお呼びすればよいのかわからなかったので、通称で失礼いたします。

時空の歪んだキャメロットや、ウルクでは大変お世話になりました。
私の預かり知らぬところでも、なにか助力をいただいていたようで顕現の気配を感じ取っております。
本当に、あなた様が居なければ今の私はここにいないでしょう。世界すらもいなかったことだと思います。

そのあなた様が、英霊の座に下り、召喚に応じる準備をしてくださったと言うだけでも私は嬉しいです。
あとは私の頑張りだけですが、恥ずかしながら私は魔術師として未熟なものです。どう頑張ればいいのかもよくわからない状態なのです。
ですから、こうして手紙をしたためることで、あなた様との繋がりを少しでも強くしたいと言う願いで筆を執りました。

とは言っても、何を書けばいいのでしょうかね。
あまり手紙と言うものを書いたことがないのですが、今日あった楽しいことをお伝えしようかと思います。

最近、システムが落ち着いているのか、世界が落ちついているのか、いろんな英霊の方がこのカルデアに訪れてくれます。
どうも前々から顔を合わせていた人たちもいるみたいで、何だか食堂が一気に賑やかになりました。
英霊はとうに死んでいるから、記憶や感情や思考のアップデートはされないと聴きました。
けれど彼らをみているとそうではないのだなと、ただの感傷かもしれないですが思うのです。
過去を変えることは不可能ですが、未来を積み上げることは出来るのだと。

私は、あなた様に救われ、命を積みました。
我儘でしょうが、あなた様の傍に、いたいのです。


それでは、また手紙を書きます。
お元気でいてください。

止水



時々手が止まりながら、何とか意味が通じる形に仕上げて、みた。
読み返してみて、なんだこれは恋文かと頭がいたくなる。でも、嘘はない。あなたに会いたい。またあの蒼い炎に導かれ、戦場を共にしたい。
私はあの時、負ける気がしなかった。いや、もちろん負けてしまったら後がない話ではある。そうじゃない。そういう話じゃない。────彼女の加護を貰い、光る花の後押しを受け、目の前には決して消えない炎がある。であるのならば、私が持つのは心だけ。私は私に託された想いだけを置いてあそこにいた。だからこそ私はあの人外たちの戦いに身を投じることが出来たのだ。

「ハサン・サッバーハ……でもそれはあなたの名前じゃない」

代々と受け継がれる称号・名跡のようなものだ。

「真名……いや、当人の本当の名前を知らずして英霊は喚べるのか」

結論で言えば、喚べる。
何故ならば召喚者が認識しているのはその名前を持つものだからだ。たとえばロビンフッドなどはいい例だろう。彼は『ロビンフッドと呼ばれたうちの一人』という概念であるにもかかわらず、ロビンフッドを真名として召喚に応じてここにいる。けれどそれは本当にその人なのだろうか。クラスに当てはめられ、名前に縛られ、そういった状態で顕現したあなたが、私が求めたあなたであるとは限らない。
だからこわい。もう一度会いたいけれど、そうなってしまっていたらと、自分の無力さで存在をねじ曲げてしまったらと、思わずにはいられない。過去の文献では、召喚者の魔力や環境が適当ではなくて力を出しきれなかった英霊もいたそう。顕現はすれどそれが完全ではない可能性だってある。

────それでも、求めずにはいられなかった。




手紙を書き続けて一週間。
もう日記のようになってしまったそれは、誰も読む人がいない宛先知らずの存在だ。まぁ日記なんてものは誰に読ませるものでもないのだから、これでいいのかもしれない。

『それじゃあ、今日も張り切っていこうか、止水ちゃん』

今日もまた召喚システムの中へ入る。ここは時空間の歪んだ場所だ。だからこそ存在証明というカルデアのバックアップをもらったマスターでなければ入ってはいけないと、そう言う規則があるほどに危険な場所。暗くも蒼く、あの方を彷彿とさせる。

しばらくその場所にたゆたっていると、不意に目の前で影がゆらめく。その影に手を伸ばして、存在に魔力を注ぎ込みその体を実体にするのが私の役目。
影を見たらある程度、どれだけの魔力が必要なのかわかるのだけれど、もしかしたらそれがマスター適正というのかもしれない。
そんなことを考えながら魔力を注ぎ込もうとして。

「な、んっ」

影に触れた途端、身体中の何かが根刮ぎ持っていかれる感覚。風が渦巻き、雷電がその影に落ちる。知らない。何だこれは。知らない。システムの暴走だろうか。管制室に声をかけようとして、どうしてだか出なかった。まずい。ここは現実にあって現実にない場所だ。そんな場所で肉体が消失したら、きっと私は帰ってこられない。重くなる体を叱咤して手を抜こうとしても、影は私の手を離してはくれなかった。

「っ、もう……!」

そうして前触れなく、影が光と弾ける。
私の周囲を炎が走っていく。蒼い、蒼いそれ。

「あ────」

どれほど焦がれただろう。
どれだけ望んだだろう。
どれだけ夢にみただろう。

「怯えるな契約者よ。山の翁、召喚に応じ姿を晒した」

寸分違わぬその色が、目の前に。

「我に名はない。呼びやすい名で呼ぶが良い」

心の中に響く重低音。やっとまた会えた。

「契約者よ、汝の首をここに」

吹き出した蒼い炎はしかして肌を灼かず、私の周りを取り囲む。あぁ、この時が来たのだ。あなた様に救けられたこの命をお返しするときが。

「────どうぞ、お受け取りください」

深呼吸をし、髪を掻き分け自らのうなじを晒して両膝をつく。遠くであの子が叫んだ様な気がした。あぁ、ごめんね、マシュ。それでも、それでも私はこの人に捧げたいと思ってしまったんだ。

「そのまま」

命じられるままに床に視線を落として、かしゃりかしゃりと、鎧の音が近づいてくる。爪先がそっと視界の中に入ってきたところで────。

「よくやったな、契約者」

ぽんと、頭を。思考が止まる。理解語彙だというのに頭はそれを認識しない。なにを、言われたのだろう。何をされたのだろう。

私が固まっていると、まったく、とあきれたような声が落ちてきた。

「素直なのは良いが、あの時の気概は何処に行ったのだ。汝の騎士など今にもマスターとそのサーヴァントのみしか存在しえないこの空間に割って入ってこようとしているぞ。立つがいい」

促され、ようやく顔を上げる。

「え、あの、あの?」
「これからよろしく頼むぞ。────末永くな」




蒼い焔に魅入られていた。

おそらく、もう最初から。私が死ぬとき、最後に見るのはあなたの色がいいと。でもそれは叶わない。私はハサンではないから。そんなことを考えながら、私はこのまだ満足に動かせない指と付き合っていくのだと思っていたところに、あなたが来てくれた。そんな奇跡の前で、命乞いなんてするつもりはなかった。それでも。それでも。

一緒に生きてくれると、一緒に行ってくれると言うのだ。他でもならない、あなたが。ならば私はまた立ち上がれる。その焔の光が私の背中を押してくれる。温度の無いそれにあたたかさを感じたのは、きっと間違いではないのだろう。




「えぇ、そうですね。これから、末永くよろしくお願いします」

気が抜けて背中を丸める私に、あなたはやさしく手を差し出して、手のかかる契約者だな、と笑ってくれた。これ以上の幸福が、あるだろうか。







「ところで契約者よ」
「えっと、はい」
「何か渡すものがあるのではないか?」

もろもろの契約と存在維持に必須ななにがしかの検査を終えて、悲しくも余っている部屋へ案内ということでカルデアの通路。二人きりになって幾ばくかしたあと、そう訊ねられた。
渡すもの?魔力はカルデア経由に切り替わってる筈だし、食事はまだはやい。何かあっただろうか。

「判らぬのか。紙のようなものなのだがな」

圧し殺したように笑うその音で、瞬間、顔に熱が貯まるのがわかる。ま──さか。

「汝がえにしを強くしようと手紙を書いていたことを、何故我が知らぬと思う。えにしとは相互の物。ならば、我が知っているのも道理であろう」
「そん、そんな」
「あぁ、安心するが良い。仔細は知らぬ」

よかったそれは安心、ってできるわけがない!できるわけがない!そんなまさか!
狼狽える私を余所に、すっと屈まれて私の上に大きな影が落ちる。マントがはらりと落ちて、私は世界から隠された。

「手紙と言うのは宛先があってこそだと思うのだが、如何だろうか?」

額が合いそうな距離でそんなことを言われて、拒絶など誰に出来よう。……いや、そもそもこの人にそんなことをしようとは思わない。恥ずかしいけれど、そう、嫌では、ないからタチが悪い。

「……びっくりするほど中身がないので、驚くと思いますよ」
「構わんさ」

頭の中にじわじわと響くその声音が、あまりにも楽しそうなものだから、あなたが楽しいなら、うんそれでいいか、と思ってしまって、私はその分厚い手をとって歩き始めるしかなかったのだ。