冠位を手向けにし、あの者の力になったことに後悔はない。死の概念を排除した世界を創ろうとしていたあの存在を捨て置くわけにはいかなかったことは、事実なのだから。

しかして、それだけであるのかと胸の内に問えば、否と返ってくる。あの者の手を取ることが出来たのならばと。────そう思考に登らせて、座の中で何かが腹にたまるのが分かる。我は亡霊。歴史と言う概念に染みついた自動装置のようなもの。欲望は捨てシステムとして存在しているというのに。

位を還した瞬間、細く千切れそうであった縁は糸程度にはなり、確かに繋がった。だからこそ現れることが出来たのだ。であるのならば、やはり、我を喚ぶのはあの者が相応しかろう。

そう頷きはしたものの、えにしが引かれる感覚は未だ無い。喚ばれないというのであれば、仕方のない事ではあるが。あぁ、しかしな────。

そうして、不意に。引っ掻くような音が聴こえた。細いモノで紙を削る如きそれに、何もないこの場所でどうしたのかと剣を持ち構えると、微かにあの者の鼻歌のようなものも。

「────」

息を潜め、目を閉じ、全神経を空間に張り巡らせる。すると、先ほどまで見えぬ蜘蛛の糸のように空間に揺らめいていたそれが、ほんのわずかに強まったのを感じ取った。
じわりと伝わってくるそれは、手紙。我にあの者が宛てた文字、感情は確かに繋がりを強くし今に至る。

姿は見えない。声も、微かに。それでも感じることはできる。あの者が我を求めてくれているというそのことが、どうしようもなくこの場にいる事への意味を与えてくれた。そう、考えてしまった。

亡霊だと言うのに何たることか。

それを境に、段々とあの者の気配を感じるようになった。僅かに存在空間が重なっていく感覚。それは、決して不快ではなかった。あの者が我のことを考える時にラインが細く繋がる。

それが ひどくもどかしかった。

座と現実が重なる瞬間がある。英霊召喚と呼ばれるそのシステムは、えにしを持ったものを引き寄せる。だというのに、あの者の手は我に届かない。我の手も、重なりはしない。

一瞬だけちらつくあの者は、影の中に手を入れて、ほんの少しさびしそうに笑う。あの者と関係を作ったあらゆるハサンが喚ばれ、顕現し、その手を取る。マスターと呼ぶ。そのことが、あまりにも。

やっぱり、会えないのかな。

締観交じりのそれは、おそらく誰にも聴こえていなかっただろう。何故ならば声にしていなかった。しかし我に聞こえたということは、そういうことだ。我を求め、他の者を迎え入れ、今まさに諦めようとしているその肩に、誰が手を置くことを赦されるのか。

がらん、と鞘から刃を抜き去る。一度。たった一度で良いのだ。汝が求めているだけではない。我も、汝を。

剣を振り抜き、時空間の狭間へ足を運び座を脱する。ぱきりと薄いガラスの如き壁は意味を成さなくなり、闇へ落ちていった。システムと言うのは強固だ。しかし、目の前にいるのは百貌の影。であるのならば。

「────」

彼女は、『暗殺者』のクラスを引き抜いた。
供給魔力はそう多くない者を呼び寄せた。

クラスの一致。魔力はどうとでもなる。

「契、約を────!」

すべて、すべての存在を薙ぎ払い、我はその影へと落ちた。

「あ────」

受肉した瞬間、炎を走らせ契約者へ伝える。それだけで相手は理解したようで、表情が歪むのが見えた。耐えていた感情。押し殺していたそれは、見るに耐え難い。

「怯えるな、契約者よ。山の翁、召喚に応じ姿を晒した」

力が抜けかけた震える足。何か問おうとした口は、しかし開いたにもかかわらず音を発さない。あぁ、そうか。

「我に名はない。呼びやすい名で呼ぶが良い」

全く持って、感情の読みやすい者だ。

「契約者よ、汝の首をここに」

だからこそ、そんなことを言ってしまった。すると何を疑うこともなく膝をつく。さらりと落とされた髪の間から細いうなじが覗く。血の通ったそれは契約者が今も確かに生きていることを知らしめる。それにしても、素直すぎる。否、しかしだからこそ我は汝を契約者として選んだのかもしれない。

「そのまま」

欲を捨てた存在に、欲を抱かせた。そのことを汝は知らないだろう。知らなくて良い。我がここにいるということが答えなのだから。

「よくやったな、契約者」

ぽん、と頭を撫でる。実際に触れることのできる空間、時間、存在。それはあまりにも刺激が強く、どうにも指先の温度が上がってしまうような気がしたが、おそらく、気のせいだろう。

「さぁ、立つがいい」

暫く窘めた後に声をかけると、無防備に惚けた顔が上がり、仮面の下で笑ってしまう。

「え、あの、あの?」
「これからよろしく頼むぞ。────末永くな」

あの時の約束を果たそう。

「……はいっ。これから、末永くよろしくお願いします」

差しのべた手に矮小な手が乗る。その笑顔ごと引き寄せ、我らは召喚の間を後にした。
銀金召喚の裏側でこんなことが起きていたかもしれない、というIF。