※新宿最終節までのすべてのネタバレを含みます。



"それ"は、どうしてだかわからない。

この胸に充ちるは憎悪であり、
この爪が刻むは殺戮であり、
この牙が殺すは人類であった。

それを忘れたことは────。
しろく、しろく、やすらかに
新しく来た彼を含んだ編成を考えよう、とシミュレーション戦闘を行うことを決めた。

あの魔都と化した昏き新宿で対峙し、牙を剥けあった彼、いや、彼ら。新宿のアヴェンジャー。何の因果か彼らは私の喚び掛けに応じ今ここにいる。

どうしてだろう。
私には未だわからない。

しかし姿を現した時、どことなく彼も困った顔をしていたような気がしたので、もしかしたら事故だった可能性もある。うん、大いにあり得る。けれど、事故ではないのだ。事故であったならば彼はとっくに帰って、もうここに姿を現すことはないだろう。けれど、今もカルデアから魔力を流すための霊基一覧には刻まれ、それが消灯することは現状ない。

「……っと、どこかにレイシフトしてるのかな」

自室でゆるく魔力を辿ってみると、コフィンの前で途切れているのを感知した。いつの間にかこんなことも出来るようになってしまった。まぁ『なってしまった』とは言っても、地上に降りて普通の生活に戻れば意味のないこともである。……戻ることが出来たら、の話だけれど。

マシュが聴いたスタッフさんたちの会話を思いだし、溜息をつく。当たり前だ。自分が為してしまったからこそ、ことの大きさを実感できていないけで、きっと本当はもっと大事なのだろうと、それぐらいは、一応理解できている。もしかしたら殺される可能性だって、ある、と。今でも残ってくれている英霊の一部(もしかしたら大半)はそれを承知の上で残ってくれているのだろう。

それでも私は新宿を見捨てることは出来なかった。特異点が現れてしまって、それを直しに行くことが出来る人間は未だ私一人で、今度はマシュもいない。これ以上やれば新たに何かを敵に回す可能性すらある。加えて蓋を開けてみれば、ここで何かが為されても地球の瑕にはならないと。けれどそんなことは私が退却する理由にはならなかった。

"自分がいい"から、"自分が存在する世界には影響しない"から、だから進むのを諦めて帰る、なんてことが出来るのなら、私はたぶんここにいない。良くも悪くも、私は、そう言う人間なのだ。自分の手が届く場所であるのなら、諦めたくない。

前にアーチャーのエミヤさんから、心配されたことがある。頭を撫でられたことがある。随分と仲良くなれたと思った夜中の厨房でばったり出会って、世界に裏切られる可能性が有ることを、諭されたことがある。

前にアサシンのエミヤさんから、心配されたことがある。銃を渡されたことがある。いつの間にかあったそれは、自決用なのか、何かあればこれで相手を殺せと言うことなのか。いまいち真意は計り切れていないのだろうけれど、しかし彼が置いて行ったというのに、彼は私がこれを使う事態にならないように頑張ってくれている。

そうして、みなに、心配される。死の香りは、誰かを殺す行為は、私に似合わないと。それでも、私は自分の手は真っ赤に染まっていると思うのだ。人理を救う。その始まりは私のエゴではなかったかもしれない。それでも、すべての特異点を修正していきその場であった生死の遣り取りすべてを収束させ終わりを迎えさせる────辻褄を合わさせる、それはそこにいた人々全ての人生を背負うと言うこと。

私は、極度のエゴイストだ。自分がこんな人間だとは知らなかった。たまたまそのベクトルが人理修復に向かっただけで、もしかしたら全く別の方向性で以て露呈していた可能性は大いにある。

私は、助けたかった。
それが彼の慰めになるとは決して思わないのに。
私はアヴェンジャーに手を伸ばすことを諦めきれなかった。

アメリカの片隅を住処とし、妻を奪われ、そうして死んだ賢狼。
ドイツという故郷からアメリカへ渡り感応した幻霊騎士と軍人。

果たして、彼らは喚び掛けに応えここにいる。それがどういったことを表すのか、言語のない彼らではあるが、不要だと思う。結果は答えだ。

「……もしかして」

そこで思い至る。むしろどうして直ぐに思い至らなかったのか。私は腰を上げてコフィンへ足早に。

時代を越えているのであれば、今の私ではまだ上手く辿ることは出来ない。それでもこの直感はあっているような気がした。あのひろくひろく赤砂が飛ぶ大地が、私を招いているようだった。




「あぁ、やっぱり」

青空の荒野の中で、青が駆け回っていた。五つ目の特異点。アメリカ大陸。デミングのあるニューメキシコ州は彼が命を落とした土地だ。

見渡す限り人間はいない。彼を落としいれる人影はひとつもない。彼は憎悪で形成されている英霊ではあるが、憎悪を落として、彼が形成できるのだろうか。……出来たらいいと、思う。そうしたらば霊基はまた変化してしまうかもしれないが、しかしそれならそれでいい。私は"復讐者"が欲しくて手を伸ばしたわけではないのだし。

座から喚び出された英霊の霊基は、極々僅かに、けれど確実に変化することがある。それは何でもない記憶だったり、他愛のない会話が"記憶"に残っていたり、自分の口から他者の言葉が含蓄を含んで出てきたり、そういった程度かもしれない。それでも私は無駄だとは思わない。彼がまたライダーに────この荒野を駆ける者になれるのだとしたら、喜ばしいことだ。

「まぁ、いっか。うん」

別に彼らでなければならないことはない。彼らがいいことに間違いはないけれど、今の戦力を組み立ててシミュレーションするのも悪くはない。

頷いて、私はリストコムに帰還指示を吹き込む。レイシフトを担当してくれたスタッフさんには徒労で申し訳ないけれど、私はエゴイストだから彼らをこのままにしたかった。




"裁定者"を想定した戦闘は、やはり困難を極める。今回は教会制服を模した礼装で行ってみたけれど、うん、火力が必要な場面では焼け石に水的な使い方しかできなかったのでもう少し考えよう。相手の宝具が来ると分かって強化を掛けても、その強化自体を"なかったことにされてしまう"からそれに左右されないよう着てみたけれど失敗だった。ああいうのはどのように戦ったらよいのだろう。

「マスター」

透き通る声に話しかけられ振り向けば、エルキドゥがいた。自己を兵器と自称する神代の英霊。先程のシミュレーションでも大変頑張ってくれた一人だ。

「どうしたの?」
「いや、さっきの模擬戦闘についてなんだけれど、あれは新しく来た彼を想定したものではなかったのかな、と」

相手が相手だから、まぁ気が付く人はいるだろうけれどそれを彼/彼女が追及して来たことには心なしか酷く驚いてしまった。

「……僕はね、使われることを望んでいる」

うつくしい緑の髪の毛がさらりと動き、その自分の霊核に白い手を当てる。

「うん」

それがエルキドゥの望みだということを私は知っている。けれど、"その望みしか現在持てない"ということも、知っている。言いはしないし言ったとしても否定されるだろうけれど、私はそれに確信を持っている。だって彼の中には、『あの子』の霊核も混ざっていると、夢で見たからだ。

「けれどそれは僕だけじゃない。ここにいる誰もが、キミに使われたいと願っている。それはね、憎悪の獣だとしても、例外ではないと思うんだよ」

そうでなければ絶対に喚び声に応えたりなんかしないんだ、とエルキドゥは笑って────そう、ちゃんと微笑んで「じゃあね」と去って行った。

獣である彼と、それを尊重する彼。そんな彼らが、私を望んでくれたと、本当に思ってもよいのだろうか。

じわり、重たい石が腹の中に蹲る。

「わっ」

と、そこでいきなり後ろの方に引っ張られ、急なバランスの変化について行けずお尻から落ちてしまった。

「ったぁ……」

全くなんだと振り向き仰げば、そこには彼らが居た。賢狼と首無軍人が確かに私を見下ろしている。特にロボのほうは殊のほか機嫌が悪そうだ。そしてその口許に銜えられている黒い布は、なるほど、私のケープに見える。

「どうか、した?」

はらりと離された布は私の元に戻り、のそりと一歩。わっ、と思う間もなく、結果として座った状態の私は覆われてしまった。もふもふ。もふもふだ。あったかい香りがして、すごくふわふわで、でも、機嫌の悪さは否が応にも伝わってくる。こういう時、動物会話をしてくれる英霊でもいたら助か……あれ、ちょっと待って、エルキドゥって動植物と会話出来たよね。ということは、もしかして、そういうこと、なのかな。

「あの、ね、ロボ」

毛が口の中に入って濡らしたり汚したりしないように少し手で覆いながら話しかけると、ほんの少しだけ身体をあけてくれた。

「もし違っていたら申し訳ないんだけれど、その、シミュレーションに連れて行かなかったこと、怒ってる?」

彼は、彼なりに私の力になろうとしてくれているのではないだろうかと、そんな淡い希望が首をもたげてしまった。

すると、ばう、と同意するような力強い吠えが挙げられ、私は少し肩が跳ねてしまった。覆われた隙間から天井を見ると、ヘシアンと確かに目が合ったような気がして、肩で頷かれる。どうやら当たっているらしいことと、本当は私が彼の手を取ったのではなくて、彼が私の手を取ってくれたのだということが分かり、どうしても、笑わないではいられなかった。

あぁ、私はばかだった。
こんなにも愛されているのに。

「うん、ごめん、ロボ、ヘシアン。次は一緒に行こう」

少し抜け出して上体を起こし顔を覆って抱きしめると、ロボの笑い声が聞こえたような気が、した。

何かを忘れてしまった。
忘れてしまったのだ。
けれどそれは消失ではない。喪失ではない。

そうして、声を聴いた。喚ぶ声を。
誰も彼も故郷も何もかもを零した狼の名を、懸命に叫ぶ声が。
ただひとつだけ残った、自己とも呼べるそれを。

何かになるのだろうか。
何かになれるのだろうか。

わからないが、その声に導かれたことを後悔はしたくなかった。

ひたすらに走り続けた狼は
その身を、その心を休めることを
いつか知る

決して遠くない未来に