私がシャドウボーダーの中にある、整備のために用意されている作業場で、壁に背をつけて地べたに座りひたすらに木琴の音板の角取りをしていると、ふと影が落ちる。顔を上げるとそこにはアヴェンジャーが立っていた(どうでもいいけれど、このシャドウボーダーの中は明らかに魔術的な拡張がなされてるように思える。外見の寸法と空間物理含有量が一致しないのだ)。

アヴェンジャーは何も言わない。何も言わず、隣に腰を下ろしてきた。現界したてだからだろうか。彼には、あまり人としての自我がない。いや、自我がないというよりは、思い浮かべればすぐさま見ることが出来るステイタスを鑑みるに、無辜の怪物として顕現しているそれが人間としての色々なものをどこかに置き去りにしている、ということが理解できる。
ざりざりと削りながら、他愛のないことを考える。

────彼は私の星ではない

当たり前だろう。異聞帯で出会った彼は彼でしかなく、また、もうあの異聞帯は 消滅している。空が崩壊するのを遠くから確かに私たちは見届けた。

だから私が音楽について知りたいと、音楽の力になれたらいいと、そのきっかけをくれたあの人はもういない。会うこともできない。それでも私は楽器を作り続けようと思う。それがきっと、不思議と異聞帯を離れるまで聴こえていたあの音楽への自分なりの答えとなるから。

これはそれに至る行為のひとつ。木材を切り出し鉋掛けし、鑢で木材の角を落とし丸みを帯びさせる。強化の魔術をかけて鑢とした指で削る作業はなかなかに時間がかかることではあるけれど、それでも割とこの作業は好きだった。

小さき英霊の方々が誰もいないのだから、安全上を理由として角を取ることにはあまり執心しなくてもいいかもしれない。だけど角は落とす。そっちの方が、またあの人たちが奏でる未来があった時に気兼ねしないからだ。自分はそんな未来があればいいと、これに籠める。

「……」

少しだけ手を止めて、ちらり、隣に視線を走らせる。予想通り、感情の見えない縦に細い瞳孔がある赤い瞳が、こちらを見下ろしていた。

パフォーマンス性も何もない、淡々と削るだけの作業。代わり映えのしない光景だろうに、アヴェンジャーはずっと私の傍に居た。どうしたのかと問うても、あまり意味はないだろう。会話が成立しないというのは、少しストレスかもしれない。

だけどそれでも、聖杯が土地に接続を果たした際、恐らくあらゆる可能性があったと、思う。たぶん。その中で彼が来てくれたというのは本当に奇跡なのだ。聖杯が起こした英霊召喚も勿論そうではあるのだけれど、奇跡の中の、さらにその結果が、私にとっては光すぎた。

あぁそうだ。いつか、いつか、たとえ貰ってもらえなくても、彼を考えて楽器を作ろう。どこかでピアノ線を手に入れて、小さくともきちんと音が出るピアノを。うまく作れなかったら、練習をすればいい。生きているのだから。

……もしかしたらこれは、彼とあの人”を重ねているだけの行いかもしれない。彼はアントニオ・サリエリ≠ナはない。異聞帯ではたぶん土地の悲鳴などの何がしかの力が働き、理性が伴う会話が出来ていたに過ぎない。彼はそうであった時の記憶は欠片でしかなく、大勢の人間に流布された噂が組成の大半を占め、無辜の怪物と完全に成り果てた『何か』。

それでも私は、彼も音楽が好きなのだと思う。きっと。

戦闘の最中聴こえる音が、たまに楽しそうに跳ねているのだから。