真っ暗な真っ暗な畑の真ん中で、ぼくは、ひとつだった。
それは、ぼくは、
かぼちゃのオバケなワケでして。
秋の収穫祭も近くになり、夜のとばりが降りた畑の中心でもぞりと何かが動いた。月明かりに照らされたそれは橙のかぼちゃで、こつんこつんと他のかぼちゃにぶつかりながら側面を上に持ち上げる。

橙色の表面にぎょろりと現れた瞳は大きく、月を視認し瞬いた。そうしてその畑で動くものが"自分"だけで辺りには何もないとわかり、生まれたての"彼"は、あまりにも暗闇がおそろしくて泣いてしまったのだ。

かぼちゃ畑に生まれ落ちた、ゲイザー。特異点となりしチェイテ城の魔力に当てられて、ひとつのかぼちゃが動物としての生を得た姿。しかし少し離れたここで生まれるにはあまりにも事故であり、だからこそ彼の同胞は生まれ足り得なかった。

本当に、事故だったのだ。




月の下でぐすりぐすりと涙を零すかぼちゃのゲイザーは、それでもまだ幼い葉のついた茎の触手で地面を押し、他のかぼちゃの上に乗り、バランスを崩してかぼちゃとかぼちゃの間に落ち、そうして随分と泥だらけになって畑の端っこまで辿りつく。

ぜえはあと無い声帯から零れるような気さえする吐息を内心でついて、ふっと見上げると、月光が空から失われていた。

否。誰かがそこに立っていた。

「……何だか胸騒ぎがして畑に来てみれば、君は」

影は言葉を落とす。推定、人間。魔物と相容れない存在。つまりそれは魔力で生を得た自分と相容れないと言うことでもある、と本能的に理解したかぼちゃのゲイザーは、うねる千切れた緑の触手を使い地面を這い始める。

けれども影の歩幅には到底敵わず背後から軽々と持ち上げられた。故に、懸命に、必死に、己の持ち得る限りの力で触手を振り回したにも関わらず、影は意に介した様子もなく、彼はくるりと真正面を向かされた。かぼちゃを掲げた影は女神の恩寵の光に照らされその姿を露わにする。

緑を想う瞳に、おそらく多少は纏められていたのだろう髪の毛は泥と跳ねで荒れ、ゆるいカーブを描く頬には擦過傷。

その姿に見覚えなどなかった。当たり前だ。生物として視覚を持ったのなどつい二時間ほど前のことなのだから。それでも、それでも、自分はこの手を"知っている"。

掲げられ、その影を認識し、ぼろりと最後に涙を零したかぼちゃのゲイザーは、ついに緊張が最高点を迎え、枯れるように意識を閉じた。




とん、とん、ととん。

規則的な、たまに不規則な、リズムが聴こえ、ぼんやりと意識が浮上する。影に掴まった自分は、あれからどうなったのだろう。殺されてしまったのだろうか。死んでしまったのだろうか。かぼちゃにだって、かぼちゃのゲイザーにだって、命があったというのに。

という思考を巡らせたところで、瞼が開いた。眼前にはすこし曇ったガラスの先の先に緑から橙が覗く地面が見え、よく見るとかぼちゃがわさりと生っている。畑の半分ほどは緑のみになり、どうやら収穫が終わっているように見えた。

「あれ、起きた? っていうか大丈夫?」

背後から声をかけられ触手で警戒しながら後ろに振り向くと、月の下で見た人物がそこにいた。けれど夜に見るのとはまた、印象が異なったのも事実。

「あー、もしかして言葉通じないかな……」

かぼちゃが魔物化して触手をうねらせているというのに、物おじせずにその人物は言葉を続ける。たしかに発声器官はない。しかし言語を解さないかと言えば、そうではない。不思議なものだ。言葉なんてものをつい昨日までは知らなかったのに。けれどわかってしまうのだから仕方ない。

だからかぼちゃのゲイザーは、目の前の人物の下ろした手に、とんとん、と小さな挨拶をした。

「……言葉、通じてるの?」

目を丸くした相手が再度そう問いかけてくるものだから、縁から落ちない程度に頷いた。あぁ、よくよく見れば自分がいるのは大きな窓際の机に置かれた大きな陶器のプランターの上で、縁はそのプランターのものだ。

「そうかぁ。何年もかぼちゃを育てているけれど、君みたいなのは初めてだなぁ」

のんきな声が聞こえてきて、思わず笑う。声は出ないがそれが仕草で伝わったみたいで、笑ったね、なんて声が落ちてくる。それは決して怒ったものではなく、慈しむそれ。

「あぁ、そうだ。おはよう、かぼちゃくん」

朝の挨拶と共に撫でるその手は、やはり、自分が良く知っている手だった。自分がまだかぼちゃのみの存在であった時、この手が自分に良くしてくれた。具体的に何をされたのかは、記憶にないけれど、この手が通った後はいつも具合が良かった。

おはよう、と自分も言いたくて、その撫でる手の小指に触手を絡ませると、太陽の光を浴びたその人はにこりと笑ってくれたのだ。




それから、かぼちゃのゲイザーはその人間と行動を共にした。

彼、あるいは彼女はかぼちゃ畑を個人的に耕している人間のようで、一人で畑の世話をしていた。かぼちゃには人間の細かい区別はつかないけれど、人間が一人であるのならそれで大した支障はないのだと、内心一玉ごちた。

最初は覚束なかった移動も、人間を追いかけたい一心でプランターから動いて落ちた瞬間、力学を無視した浮力を得て事なきを得た。
あの時の人間の顔は、行動は、完全に間に合うはずがない距離でも滑り込もうとしていたのだから、人間がどれだけかぼちゃのゲイザーを可愛がっているのかは、傍から見たら一目瞭然だっただろう。

そうして、陽が昇っている間は人間が畑の横に置いてくれた簡易的なスタンドの上に陣取り、人間の作業を眺めている。
本当はふよふよと浮けるのだから人間の後を追いかけたいと願ったのだけれど、それは君が危ない目に遭ってしまうかもしれないから駄目だよ、とキツく言われてしまったので、それに従うことにした。危ない目なんて、そんな、魔物におかしな話だと今なら思う。けれどもまぁ人間がそういうのならそうなのだろう。

そんなある日のこと。

太陽がぽかぽかと気持ちが良くて、かぼちゃのゲイザーがうとりと船を漕いだか漕がないか、そういった瞬間に、畑の傍で地を這うような唸り声が聴こえた。

ハッと気がつきスタンドの上でくるりと背後を確認した瞬間、そこには二匹の狼────本来ならばただの狼であったであろう魔物がいた。視線は畑で作業をしている帽子を被った人間ただ一人。かぼちゃになど見向きもしない。彼らは明確な意思を持って、肉を喰らいに来たのだ。

野生の獣は気配を消す。魔力を得た獣は殊更に自分の存在を隠し、人間の認識を回避させる。それはそういった類のものだった。

それは一瞬。

獣は走り出す。地面を蹴り、土を飛ばし、難なく鉄線の柵を飛び越え、緑の絨毯へ無遠慮にも踏み入り、人間の喉元へと牙を剥く。しかしそれは────果たされなかった。

そこにある筈のない一条の光線が一匹の獣の顔面半分を消し飛ばし、それを阻止したからだ。かぼちゃのゲイザー。彼は、眼球に魔力を収束し、敵を殲滅する魔物。それを今まで使ったことはなかったけれど、使う事態に陥るなど考えたくはなかったけれど、魔物として備わった能力は無事に発揮されるに至った。

瀕死となった一匹と、その流れ弾で尻尾を焼いた一匹は、眼前に浮かぶかぼちゃの魔物を見て、瞬時に力量の差を悟り踵を返した。これ以上の交戦は無意味だと判断してそれを見逃し、振り返ると、返り血を僅かに被った状態で人間はそこに居た。

当たり前だ。駆け出した獣相手にどうにか先回りをして間に割って入ったのだから、その刹那の出来事に単なる人間がついて行けるわけがない。けれどその瞳は彼が良く知っている色ではなく、明らかな恐怖に染められていた。

「あ……かぼ、ちゃ、くん」

掠れる声は、拒絶だろうか。あぁ、そうだろう。むしろ、今更な話だとさえ思う。かぼちゃに眼球がついて触手をうねらせ空中を自在に動くなど、化け物以外の外にないだろう。今までがおかしかったのだ。これからが、正常なのだ。

「君は、救けて、くれたの」

そう言った瞬間、今度は人間の方が何かに気がついたようで、未だ中空に制止したかぼちゃのゲイザーを、触手を掴み引っ張り下げ、地面へと体で以て押し付けた。

「ごめん、かぼちゃくん。ありがとう。本当に、ありがとう。でも、とりあえずこのまま、畑の中に居て」

早口の小声で伝えられるそれは、聴いたことのない乾き切羽詰まった声。何かを隠そうとするような理由は、直ぐに判明した。

「おおーい!おーい!」

畑の向こうから、狼が来て、逃げた方向から、別の人間たちが細長い筒を持ち徒党を成して迫ってきていたのだ。

「ヴェンツェルさん!」

かぼちゃのゲイザーを言い含めるように撫でた人間は、起き上がってその人間たちに向かって行く。

「慌てた様子でどうされたんですか!」
「どうしたもこうしたも、狼がこっちへ逃げたと思って追いかけてきたんだ。あんた一人じゃどうしようもないだろう!」
「それは……その、ご心配をおかけしました」
「って、血が出ているじゃないか!怪我か!」
「あっ、いえ、その、これはたぶん狼の血で、こちらは無傷です」
「無傷って、一体何を」
「偶々持っていた鎌を振りかぶったら当たってしまって、その、狼たちは森の向こうへ逃げ出しました」

人間が指し示した方向を見て、ヴェンツェルと呼ばれた人間を筆頭に徒党は唸り、やはり山狩りしかないだろう、という話に帰結した。

「いや、本当にあんたに大事が無くて良かった。俺たちの仕事が無事に終わることを祈っててくれ」
「はい。どうか御無事で」

人間は帽子を取って頭を下げ、その一行を見送った。そうしてその影が見えなくなり、十分な時間の後。

「ごめんね、もう、出てきて良いよ」

かぼちゃの合間を器用に縫って、かぼちゃのゲイザーの元へ。どれだけ茎と葉っぱと地面に隠れようとも、人間にはかぼちゃのゲイザーがいる場所など分かるらしい。

浮かずに、葉っぱの間から見上げると、やはり人間は笑っていた。しゃがんで、人間の手が触れる。震えたそれに引き寄せられ、ぎゅっと、強く、抱きしめられた。

「────あり、がとう」

水が滲んだ声は、恐怖による感情の決壊。震える声が、震える体が、人間が本当に死ぬところだったのだと改めて思わせるから、かぼちゃのゲイザーもあの真夜中のようにぼろりぼりと大きな瞳から大きな涙を零し、人間の肩をこれでもかと盛大に濡らした。

あぁ、この人が無事で、無事で、ほんとうによかった。




暫くして、乾いている方の二の腕で目元をこすった人間はぱっとまた笑顔を落としてくれる。

「かぼちゃくんは強いんだねぇ」

そんな風に泣き腫らした眼でも人間が笑ってくれるから、本当に、これからも、ずっと傍に居たいと思ってしまったのだ。

はじまりはハロウィンへ至る夜の、事故だったというのに。
そしてそれを、かぼちゃのゲイザーはおろか、おそらく人間も理解しているのだ。この関係が期限付きのものだと言うことを。




そうして来たる、収穫祭の夜。
小さな人間たちが人間の家に来て、お菓子を渡すと共に去って行く。そのサイクルを何度繰り返しただろう。何度も何度も繰り返して、夜も更け、そのサイクルは終わりまん丸の月が空を昇って行く。

「さ、じゃあ畑に行こうか」

その光景を、小さな人間に気がつかれないようにそっと眺めていたかぼちゃのゲイザーに、人間は言葉をかける。自分で浮けると言うのに今日だけは、人間の腕に収まって、畑まで歩いて行く。

「君が来てから一ヶ月……は経ってないか。まぁいろいろあったねぇ」

感慨深げに思い出をひとつひとつ丁寧に零していく人間は、心の整理をつけているようにも思えて、かぼちゃのゲイザーは酷く苦しいとさえ感じてしまった。けれど彼には耳がない。聴覚器官がないというのに音が聴こえるのだから、何処を押さえても声は聞こえてしまう。だから人間の懐かしむ声を、ただただ漫然と、聴いていた。

「っと、この辺りか。君と最初に出会ったのは」

もう見慣れてしまった畑の端っこ。そう、ここでかぼちゃのゲイザーは人間と出会った。人間と出会い、感情を知り、ずぅっと、ここに居たいと願うように迄なってしまった。でもそれは叶わない。これはハロウィンの魔力が起こした、奇蹟なのだから。
そう、奇蹟だと、言ってしまってもいいだろう。たとえそれが聖人の為したことではなくとも。鮮血魔嬢と特異点が漂わせる気まぐれな魔力が、ぽつんとひとつのかぼちゃに宿っただけなのだとしても。

「かぼちゃくん」

腕に抱えたまま、人間はまた言葉を続ける。

「そんな悲しい顔しないでよ」

眉尻を下げて、人間は笑う。どうしてそんな風に笑えるのか、彼にはまるでわからなかった。だって、悲しいのに。こんなにも悲しいのに。

「あのね、来年、また、会えると思うんだ」

そう思って今日を終わりにしようよ、と言いながら、出会った時のようにかぼちゃのゲイザーを掲げる人間の瞳は、月光を受けてきらきらと煌めいていた。

「だって、一度会えたなら、もう一度だって、この先に何度だって、会える可能性が有るってことなんだ」

だから、だからね。そう笑う人間の表情が、もう、薄れてきてしまったけれど、そうだねと、最期に頷けたような、気が、した。




「またね、かぼちゃくん」

橙色のかぼちゃを掲げた人間は、もう動かないかぼちゃに唇を落として、家への道を辿っていった。

そうして、果たして。