20191104
新刊『碧の盾』サンプル
◆この本について
本来の時間に帰り『壊滅回避したハイラル』がある世界で旅をしていたリンクが、『壊滅の過去を持つハイラル』に帰還しているネームレス夢小説本です。
(ページを開く際に名前変換を入力された方はすみません。PHPの仕様です。)
収録作の一部にweb再録を含みます。
◆主な登場人物
リンク
ダークリンク
シーク
王国騎士団 "碧の盾” 団長(夢主)
◆組版
ページ最下に10枚ほど掲載しております。
剣に花束
夜の城内を部屋に戻るついでに見回り歩いていると、向こうの方から足音が聴こえてくる。窓から入る月明かりに照らされて現れるのは、ゼルダの側近である騎士団長だ。いつみても背筋を真っ直ぐとして胸に赤い鳥を抱く鎧を着こんだ様は、正直ちょっと、いやかなり苦手な部類になる。面倒事はごめんだと来た道を帰ろうと踵を返す。
「おや、森の騎士殿じゃないか」
さすがにこちらを認識していたらしく、反転させかけた爪先を元に戻した。目の前に来た勇気の女神の色をしたその瞳は、月光で不思議な色合いに変化する。
「……俺は騎士じゃない」
国に属したつもりはないと言う。すると相手は、そうだったな、とこともなげに肯いた。騎士ではない人間が主の傍にいることについて異論を唱えない異端者。それが俺にとってのこいつの印象だ。
「失礼した。では言い方を改めよう。──ハイリア王の牙よ」
「……」
それはそれで、奇妙な言い方だった。決して名前を呼ばない。それは俺に限ったことじゃなく、部下でさえ名前を呼んでいるところを現状見たことはない。
個人の名前を呼んでいるのなんか、それこそごく稀にゼルダの名前を出す時ぐらいだ。そう長い付き合いでもないが、変な奴だとは思う。相手は窓に視線を滑らせてから、何かに気が付いたかのようにほんの少しだけ目をひらいた。次いでそれはこっちに投げられる。
「ここで会ったのも丁度いい。以前から気になっていたことがあるのだが、いいだろうか?」
真夜中ではあるけれど、それをこの場で消化できなけりゃまたぞろ別の日に訊かれるだけだ。そういうのは早いうちに消しておいた方がいい。
「勝手にどーぞ」
肩を竦めながらどうでもいい風に答えていると言うのに、ありがとう、と屈託なく言われる。こいつは本当に人間なんだろうか。
「早速だが、貴殿は魔力を持っているだろう?」
「あぁ」
「魔力を持つ者はしばしば影が動き出すことがあるわけだが、そういう経験はあるだろうか」
その質問で思い出されるのは、しんと静かで誰も音を立てない、どこまでも続きそうな白い部屋。ぽつんと立つ樹木と少しの地面。そこで出会った赤い瞳の影。
「……あったな。賢者復活の為にハイリア湖の神殿へもぐった時、"そいつ"に遭った」
やはりいるのだな、と頷くこいつはこの魔法を使役する王がいる国の団長のクセして、魔力を持っちゃいない。儀式を行おうと、大妖精に目通り叶おうと、それでも魔力を授かることは無かった、らしい。それでもこの地位にいるって言うんだからまぁよっぽどなんだろう。
「牙殿の影か。さぞかし強かったのだろうな」
笑う相手は戦ってみたいのか、少し気分が高揚したようで機嫌がいい声音で喋っていく。戦わせられた俺からしてみれば面倒の一言に尽きるわけだが、剣術馬鹿の考えはわかんねぇな。
「その影がいてくれれば、私との手合せから逃げ回る貴殿を捕まえようとしなくても良くなったりするかもしれないわけだ」
昼間どうやってもこいつと出遭うことを回避したい理由はそれだ。何かにつけて手合せを申し込まれる。我流でしかない俺の剣を受けたいとかなんとか抜かすのが本気で面倒で、そう、苛々する。一国を背負う人間としてその団長の座にまで上り詰めるほどの訓練を受けた正統な『騎士サマ』である奴がそういうことを言うなんて事実が気色悪い。そしてまた、気味の悪いことを言いやがった。
「どうかしたか?」
「本気か?」
「何がだい」
問われ、本当に気が付いていないのかと舌打ちしそうになる。
「ありゃ魔物だぞ」
「なんだ、そんなことか」
些末だと表現するように口の端を歪めた。こんな奴が騎士団長だってんだから世も末だと思う。……あぁ、末は過ぎさせたんだったな。
「技術が学べるのであれば、私は人でなくとも構わない。私が一兵卒だった時に起こった内乱のスタルフォスも、私に技術を与えてくれた」
胸当てに手を置き、魔物を斬り伏せてきたから生きている俺の前で敵へ敬意を表する。
「知ってたけどあんたって頭おかしいな」
「万一斬り伏せてしまっても咎められないならば、普通そちらを取るだろう」
敵は斬り伏せるごとに誉が増すが、こいつの言葉はそんなもんじゃない。こいつは名誉欲で剣を振るっているわけじゃない。そんなもんだったらココに来るまでの間に死んでるぐらいだ。そうじゃないからこそ、俺はこいつがココにいることを許している節さえある。
「……最も、貴殿の影であれば勝つことは難しいだろう。無論、負けるつもりは毛頭ないが」
「買い被りすぎだ」
騎士サマは腕を組み首を傾げ、また嫌に真っ直ぐな目で俺を見る。
「そうかい? ではもし、万が一、奇跡が起きたとして、あの時この手に聖三角の一部が宿っていたならば、私は貴殿より早くこの国を救えたと言うことだな」
言って、相手は腕を組んだまま、普段剣を持つ手の甲を見せつけるように少しばかりそれをひらひらさせる。すると直ぐに、ふふ、と笑い声が廊下に落ちた。
「そんなこわい顔をしないでくれないか。まぁ、それでこそ我らが王の牙だ」
牙。武器。獣。人間ではないナニか。まぁ別にその表現に関しては異を唱えるつもりはなかった。というよりそれすら嫌がったら、今度は何て呼ばれるかわかったもんじゃない。
ただ、俺には名前がある。
「いい加減、名前」
指摘すると、すこし驚いた顔をした。珍しい。そんな顔も出来るのか。どうやら多少は人間だったみたいだ。俺が言えるこっちゃないだろうけど。
「……すまない、呼べないんだ」
申し訳なさそうな顔をする。そういう表情が出来るんなら俺が手合せ願いから逃げた時もそういう顔をしろ。あんたは殊勝な顔をするところが極端に少ないんじゃないか。
「どうやら私は認識に問題があるようで、他人の名前がどうしても覚えられないんだ。顔や戦う際にどう立ち回るかなどは覚えていられるんだがな」
「じゃあまさか」
嫌な予感がした。
「私が覚えている個人名はごく一部だ。……それも覚えているというには怪しいのだが」
「ん?」
「例えば、この国では王の名である『ゼルダ』というのは名前であり概念でもある」
「概念?」
「……そうか、貴殿は森の人だったな。この国では『ゼルダ』という女性は一人しかいないんだ。そう、理として決まっている。誰にも覆せない女神の理としてね」
その言葉に今度はさすがに舌打ちを止められなかった。
「また女神か」
この国は何でもかんでも女神だ。女神に見捨てられなかったから国は滅ばず、女神に選ばれたから俺は勇者で、女神に愛されたからゼルダは女王になった。馬鹿な話だ。俺は俺の意志で森を出て、剣を取って、ガノンに突き立てた。それが女神の意志であってたまるか。
「おや、牙殿は三神がお嫌いか?」
「……好きでも嫌いでもない」
言葉を濁しはしたけれど、それでも伝わっちまったみたいで鷹揚に頷かれる。
「そうか。まぁいいんじゃないか。どうやら我が王は少々女神に好かれ過ぎているきらいがある」
三神を奉じる国の騎士団長とは思えない台詞だ。
「つまりあんたもこっち側か」
「私か? そうだな、神は人間を見ていてくださっていても、個人に何もしない。それこそが"神"という絶対的存在だと、私自身は思うよ。まぁ、表ではこんなこと言えないがね」
「とんだ騎士サマがいたもんだ」
「そう言ってくれるな」
くすくすと笑いが響いて消え、相手は窓から外を見る。つられてそっちを俺も見てみれば、月が大分と移動していた。そんなに時間が経ってたのか。
「……もう月が高いな。引き止めてすまなかった。よい夢を」
それだけ言って、進行方向に足を進めていく。俺はその智慧の色のマントを背負う奴が闇にまぎれるまで見送った。
◆
扉を開けて、ソイツは執務室備え付けの寝室へと入る。寝室と言っても最低限家のようなことが出来る間取りの部屋だ。帰り際に他の部屋から手に入れた火種を数個のランプの中に移して部屋は明るくなった。マントや鎧などを外して軽装になっていく。コイツ、影が魔力を持って動き出すとかって話をした後で簡単に脱ぐのかよ。馬鹿か。
と、そこで光源を背にして言葉が。
「ところで、どなたかな」
「ふん、さすがにデクの棒じゃねぇってか」
ずるりと影から影へと移って部屋の隅の闇で赤い目を光らせてやる。すると多少目を瞬きはしたものの、手にした剣が抜かれる様子はない。
「……人を訪ねると言うのならドアからにしてもらいたいが、人でない者に人の道理を説くのはあまりにも愚かしいか」
「はっはー、その通りだぜ騎士サマ。物わかりのいい奴は嫌いじゃねぇよ」
頷きながら実体化してソイツの目の前に出ていき、テーブルに腰掛ける。
「そうかい、有り難いね。時に影よ、お茶はいかがかな」
ティーセットが用意される音が聴こえて、今度は思わず俺が瞬いた。
「あ? 飲むわけねぇだろ。影だぞ、影」
非生物だ。魔物の中でも経口摂取を必要としない部類に入ることなんて分かりそうなもんなのに何を言ってるんだコイツ。
「試したことがあるのか?」
「それは、ねぇけど」
「なら試してみよう。物に触れられるのであれば飲めない道理もあるまい」
片手で、コンコン、とテーブルを叩かれて舌打ちをする。
「ほんとアンタ頭おかしいな」
「はは、どうやら貴殿はあの牙殿の影のようだな。ま、ともかく椅子にかけていてくれ」
言外に机に座ったことを咎められ、まぁいい今の俺は機嫌がいいんだ、と椅子に座り直してやる。紅茶っつーもんを淹れる姿を見てみれば、どうもいわゆる『一般人』の動作だ。炎を付ける簡易魔法石すら手にしない。不便な奴だ。いや、これが当たり前なんだろうけどよ。
「……本当に魔力がないんだな」
「あぁ、だから貴殿のような存在を生憎持ち合わせてはいない」
瞬間、影が"増幅"する。そこかしこにある隙間の影から狙いを定めて突き刺す────ことはしなかった。けれど刃は届いてる。喉元、皮一枚。
「俺をアイツの持ち物みたいに言うな」
「……これは、失礼をした。非礼を詫びよう。すまない」
その言葉が恐怖から出たモノだったら、たぶん、俺は殺していただろうに、魔物に対しても大真面目に謝罪をしやがる。……止めだ止めだ。しゅるりと影を退かせれば、ありがとう、何て。あぁほんとにコイツは頭がおかしいし気味が悪い。
「ところでアンタ、あれ本気で言ってたのか?」
「あれ、とは?」
どうやら淹れ終わったようで、ポットを片手に机へ向かってくる。用意されたティーカップは琥珀色を湛える。
「勝てる気はしないが、ってやつだよ」
「あぁ、もちろん」
相手はにやりと口の端を歪めて好戦的に笑った。
「牙殿に謙遜など時間の無駄だ。どちらかが簡単に負けるようであれば、彼は私がこの立場にいることを許しはしないだろうし、逆もまた然りだ。おそらく写し身である影に対峙してどちらであろうと早々に負けるのであれば、やはり、あの御方の傍に居る資格はない」
強くなければならないと言う。自分も、アイツも、アイツの影である俺も。何と言うか、それは呪いなんじゃないかと思うわけだけれど、そんなことを言ってやる義理もないので黙っておくことにした。
「楽しそうだな」
「楽しそう? うん、そうかもしれないな」
こくり、と紅茶を飲む仕草がやけに似合ってる奴だ。一応出されたんだから飲むふりぐらいしてやるか、と口をつけてみれば、それは影に吸収された。……。出来るのか。する必要もないってのに。
「こうして炎の女神の恩恵と、影と、月の中で、魔物である貴殿と紅茶を飲むのは悪くない」
「……そうかよ」
なんだっていうんだ。まったく畜生。ある筈もない頭を働かせるのが馬鹿馬鹿しくなる。
「そういや、さっき言ってたわりには俺に手合せとか申し込んでこないんだな」
「初対面の相手へは言わないさ。それに牙殿は私を見た時の表情が面白くてな、つい」
くくっ、と悪戯が成功したガキみたいに笑うコイツをアイツはしらねぇんだろうなぁ。
「よし、行くぞ」
「今からか?」
「嫌だって言うのか」
「……いや、喜んで」
紅茶を飲みほして、軽装のまま俺たちは連れだって剣技場へと足を運んだ。
◇
「なぁ」
影殿と初めて手合せをしてから数日が経ち、とてもいい手ごたえと充足感を伴って午前中の部下との剣を合わせることが出来ている。しかしそろそろ事務仕事に戻ろうと訓練場を直属の部下に任せて執務室への道を歩いていると、背中から声がかけられた。マントが大きくはためかない程度に素早く振り返ると、なんとも不思議なことに牙殿が立っているではないか。
「なんだ、珍しいな。貴殿から話しかけてくるとは。どうかしたか?」
「俺だってあんたに話しかけたいわけじゃない」
「であろうな。それで?」
本題を促すと、何か言い出しにくいのか口が噤まれる。これまた珍しい。基本的に私に対して何かを言う際は逡巡することなど殆どありはしないと言うのに。今日の牙殿はすこし変だ。
「……最近俺の影がたまにいなくなるんだけどよ、もしかしてと思ってな」
「あぁ、そのことか。うん、貴殿の予想通り彼は時折、私の前に現れてくれている」
そう答えると嘆息が吐かれて首をかしげるしかない。
「やっぱりか」
「何か不都合でも?」
いや、不都合はあるか。影がいなくなるのだから、違和感甚だしいことこの上ない。まるでこの世の人間ではないみたいな。……いや、実際、この世の人間ではないのかもしれないが。
「まぁ行き先がわかってりゃ別にいまのところ困っちゃいない」
行き先が分かっていれば、と、言う。その真意がわからなかった。牙殿は魔物だと断じた。それはまず間違いがないのだろう。魔力から生まれ出でているのだから。けれど今の言葉はその認識にそぐわないことだ。
「貴殿は影殿の保護者のようなことを言うのだな」
思わず声にすると、あ?、と目が眇められ凄まれる。どうでもいいことだがさすがに二人は似ているのだなと妙なところで内心頷いた。
「違う、あれは俺だ。俺が俺の行き先を気にして何でんなこと言われなきゃいけないんだ」
……影殿がイコールとして牙殿と結ばれる。なるほど。
「つまり私は影殿に接することでより素直な貴殿に相対している訳か」
「……!」
瞬間、銀色が煌めき、それを寸でのところで回避する。すると私たちの足元から呵々大笑とくぐもった影殿の声が聴こえる。
「何故そこで激昂をする! そしてどうして笑う!」
「うるせぇ! 今日こそはその口を閉ざしてやる!」
不意に影が中空に飛び出てゲラゲラと品のない笑い声を零しながら適当に、あぁ本当に適当に本気さの欠片も感じない声で自分の本体を宥めにかかる。
「まぁまぁまぁ許してやれよ、勇者サマ」
妙な光景だった。勇者と呼ばれる牙殿が怒り心頭に刃を突きつけ、魔力で以て魔物となった影は一応のところ私を庇ってくれてはいる。一体全体、どういう状況だこれは。
「……貴殿たちは掴みどころがなくて困るな」
そう呟くと、一斉にこちらへ四つの瞳が向いた。
「あんたに言われたくねぇ!」
「アンタが言うことかよ」
そんな光と影の言葉が城内で反響するこの国は、おそらく今日も平和なのだろう。
騎士に友
「最近、何やかんや言わなくなったな」
「言ってほしいのか?」
「いや別に」
私が鎧を着こまず執務室で書類に目を通しサインをし必要であれば捺印をしているところで、牙殿は応接用の椅子で時間を過ごすことが多くなった。あれだけ逃げていたというのに。まぁ、私が彼自身には特に手合せを申し込まなくなったと言うのはいささか大きいかもしれないが。
それにしても追えば逃げる、追わねば寄ってくると言うのは、やはり牙殿は牙という喩えが似合っていると自分では思う。名前よりよっぽど憶えやすい。自画自賛だ、が……。
「────」
思わず顔を上げる。それは牙殿も同じらしく、頭の後ろで組んでいた腕を解くか解くまいかという何とも中途半端なところで目を見開いている。
扉の向こう、気配。違えることのない存在。
「騎士長、ただ今よろしいですか?」
陛下だ。
慌てて机から出て扉へ向かえば牙殿が既に扉を開けて招いている。こと陛下に関しては、私たちの意志は一致しているのだから大変ありがたい。
「まぁ、リンク。こんにちは」
こんじきの髪を揺らし、智慧の色を陛下は瞬かせる。
「あなたがここにいるとは思いませんでした」
そのことにどうしてだか気まずくなったのか、彼は肩を竦め、こちらに歩を進めてきた。
「俺だってこの世界の友人を訪ねるぐらいはするさ」
ぽん、と体を預けるように肩に腕が乗ってきたが、驚くのはそこじゃない。友人。友人。友人だと。本当にそう言ったのか?
私が驚愕した出来事を裏付けるように、繋がった影の中から影殿の音にならない笑い声が足の裏を叩いてくる。失態を見せないようにと表情を繕えた気はするが、横目で見た牙殿は大層涼しい顔をしている。
「で、ゼルダはどうしたんだ?」
問われ、牙殿に向いていた視線がこちらへ向けられる。伸びていた背筋が微かに悲鳴を上げたような気がした。
「……その、あなたには、一度こうした……非公式な場所ですが、お話をしなければと」
そう碧い綺麗な瞳が、縁取った綺麗な金色と共に伏せられる。何か陛下が出向かなければならないことが有っただろうか。
いや、目下のところ無い筈だ。現状内政は安定しているし、騎士団の錬度が上々であることは私自身が確認している。確かにこの国の騎士団はさきの大戦により他国に比べれば大分と若いが、騎士団として成立している筈だ。時折視察に来られはするが陛下が気にされるようなことはないだろう。
「魔力もなく、神の声を聴くことも出来ないあなたを騎士叙勲し、あんなことに巻き込んでしまって……本当に……」
────あぁ、なるほど。あのことだ。私や騎士団に何か物申す事があるなどではなく、あれを、御自身の誤りだと、そう認識されている。だから、何度も何度も忘れて、私へ謝罪に来るのだ。
私は置かれた牙殿の腕から抜け出し、陛下の前で跪く。手は胸へ。私の心はいつも我らが紅き鳥とともに。
「陛下、叙勲が私を騎士にしたのではありません。私は、元々この国の騎士であり、そして、あの時から違えることなく貴方様の騎士です」
白き布で覆われた手の甲に額を預ける。
「私は、これからもそうあり続けます」
そう言葉を奉る。碧い智慧の女神の色である瞳は大層美しいのだから、家臣一人にお心を砕かれぬようお願い申し上げたい。何故ならば、私たちは貴方を、この国を、すべて護る気でいるのですから。
「どうか、お顔をお上げください」
陛下、と囁くように呼び名を零すと、陛下は陽の光に照らされて光る髪を僅かばかり後ろへ流す。それとほぼ同時立ち上がれば、ふわりと。
「あなたがこの国の騎士であってくれるのであれば、何よりも心強いです」
「────光栄です」
そこから一言二言言葉を交わし、暇を縫っていらしただろう陛下が踵を返し始めたので扉を開けようとしたら、もう既に開いていた。
あぁ、今度は陛下の影だ。やはり今回もついてきているらしい。お忍びで、非公式な場だと陛下自身が仰っていると言うのに、いつでもどこでもあの影はいる。どうやらプライベートと言う概念を知らないようだ。
扉まで見送り、ぱたん、と閉まって、数瞬。
「……牙殿、その殺気を鎮めてくれないか。言いたいことがあるなら口を使え」
振り向けば大層不機嫌そうな顔をしている牙殿がいた。
「陛下は今『この国の騎士』と言った。『私の騎士』ではない。間違えないでくれ。俗的に言えば私は陛下に振られたんだ。無論恋愛的な意味では全くないが」
「……わぁってる」
呆れたように言えば、くつくつと足の裏から影の笑いの振動がノックする。どうやら牙殿ではなく今は私の足元にいるらしい。まったく。
「それに、私は貴殿の友人であった覚えはない」
「……貸しにしておいてくれ」
舌打ちでもしそうな表情で言うのだから面白いことこの上ない。おそらく陛下に心配をかけないための虚言だったのだろう。牙殿もどうやら森の人ではあるが人の子でもあるらしい。
「まぁ影殿は別、だがな」
脇を通り過ぎて執務机に向かいながら言えば、靴が絨毯を食む振り返る音が聴こえた。
「魔物とオトモダチってか。笑えるぜ」
その声は、何故か、泣きそうな声にも思えた。
……もしかして、本当は、本当に、彼が私を友人だと思っていた、と?こうして部屋に訪ねてくるのもその一環だったとしたら?いや、それでも彼は私を袖にし続けたのだ。私にだってそう言う権利ぐらいはあるだろうし、そんなことを言われる筋合いはないんじゃないか。
逡巡して、小さくため息をこぼした。牙殿に背を向けたまま執務机に腰掛け言葉を落とす。
「……貴殿は、私と戦ってはくれないじゃないか」
「は?」
まるで拗ねた子供だ。いや、まるでじゃない。拗ねた子供そのものだ。でもそれは牙殿にも言えるだろう。
「私は、剣の重みを大切だと思っているし、……コミュニケーションだと、考えている」
何たって私はこんなことをしているんだ。
「友人になりたいかどうかで言えば、なりたいに決まっているだろう」
ゆるく組んでいた手に力が入る。
「だが、私には貴殿……いや、君のことを知る手掛かりが剣しかない。それを避け続けられて、さっきのような言葉にどう反応しろと言う。コミュニケーションが下手だというのは重々承知しているが私にとっての言語はこれなのだ!」
あぁ、もう、この国の騎士を預かる身が執務室で言う言葉ではないことは判っている。わかっているが! それでも!
反応は返ってこない。それもそうだ。いきなりこんなことを言われて、言ってしまって、戸惑っているのは私も同じなのだから。
「あー……、なんだ、その」
だが、不意に居心地悪そうな声が落ちる。
「わる、かった」
「……」
「じゃあ、今度、剣技場行こうぜ」
振り返れば、申し訳なさそうに本棚に背を預けた牙殿。
「ただし、他の奴の相手なんかしねーぞ。あんたの相手だけだ」
「あぁ、それでいい。元より、君の相手が務まるの何て私ぐらいだろう」
「大した自信だな、騎士サマよ」
ニヤッ、と口の端を上げる相手が何だか妙に普段より幼く、言ってしまえば年相応に見えて、きっと相手からも私がそういう風に見えているのだと思ったら何だか酷く笑えてきた。すると牙殿も笑い始め、影殿も笑い始めたのだから、あぁ、なんて楽しいんだろう。
◇
すげぇ赤面もんの告白大会も笑いで飛ばされて、一しきり涙目になって腹を抑えたそいつは本来の仕事に戻るために椅子に腰かけた。俺もとりあえずまぁいいかといつもの椅子に座る。
「ところでよー、"あんなこと"とか"あの時"って何なんだ?」
さっきのゼルダとの会話で引っかかったのはそれだ。
「それについてか……そうだな」
諦めたような声音の呟きと共に、ため息一つ。
「その前に、そこで地味に気配を消している貴方も出てきてはくれないか」
「……正直、ボクも聴きたいところだ」
するとどこからか声と同時に金色が現れ煌めいた。
「シーク!」
赤い瞳は獣みたいに執務机を睨んでる。
こんな風に感情を露わにしてるなんて珍しい。どんだけ気に入らないんだ。
「魔力も持たず神の声も聴けないお前がどうしてゼルダの傍なんかに」
「いや、お前だって神様の声なんて聴いたことないだろ?」
「ボクはいいんだ」
「うっわ、立場の暴力だな」
自分のことをこうも堂々と棚に置くとはさすがだ。まぁ、こいつなんて存在理由がゼルダの傍に居る事でありそれ以外は存在しないなんて言い出しそうだから、さもありなんだ。
……ゼルダが生きているから生きているなんて、ここにいる人間はどいつもそうなんだろうけど。
「それにしても、シークでも知らないゼルダのことがあるってのは不思議だな」
「四六時中一緒にいる訳じゃないって理解してもらえたかい?」
この間、そろそろキョーダイ離れしろよストーカーか、って言ったことを気にしているらしい。俺はその言葉に肩を竦めた。
「いなくてもお前ならどーせ把握してるだろうに今さら取り繕ったって仕方ねぇだろ」
今度はシークが殺気立った瞬間、ペンを置く音がやけに響いた。視線を向ければ団長どのが頭が痛いのか額に手を当てている。
「……話を開始してもよろしいか?」
「あぁ、早くしろ」
「了解、王の影殿」
ぎぃ、と体重を預けたのか、椅子が重い音を立てた。
「三年ほど前の春の話だ」
三年。俺がまだこっちに迷い込む前のことだ。
「何の前触れもなく、何百年かに一度あるかないかという規模の魔脈の乱れがあった。それにより魔力を有する者の影が暴走し、自分の光を殺そうとした」
魔力ってのはこの世界を構成する重要な要素らしい。
大地にも空気にも溶けている。そんなことを賢者となって殆どの人間に認識されなくなったインパが、もう一度来た俺に教えてくれた。どうやら俺は魔法の知識と技術のバランスが取れていないだとかの説教も。知らなくたって使えりゃそれでいいんだけど。
「……そんなことが、あったって、言うのか?」
「王の影殿、とりあえず話を最後まで聴いてからにしてくれ」
シークの疑問を一旦脇に置いて、言葉は続く。
「特に魔術研究所などはひどい有り様になった。たまたまそこにいた私はそれらの影を可能な限り斬って陛下のもとへ駆けつけた。中にはそれで魔力を完全に失った者もいたらしい」
人生を斬ってしまった、と苦しそうに声が落ちた。魔法の研究をしてる人間から魔力を取り上げるなんて、そりゃ、確かに死刑宣告みたいなもんだ。
「……そんな落ち込むこたないだろ? あんたが城内で剣を抜かざるを得なかったぐらいなんだから」
「いや、それでも起こした行動の責は必ずついて回る。それがたとえ罪に問われなくともな」
恨むことで生きていてくれるのであればまだマシな方だ、なんて言いやがるから、その後に起きただろう出来事に顔をしかめる。責任。そういうことか。そういう奴はどうせ他のことでもやるんだから放っておけばいいってのに、嗚呼ほんと、こいつは根っからの騎士サマだ。
「そうして私が部屋に辿りついた時は、陛下は影に飲まれつつあり、乳母君殿が辛うじて意識を保っていることが分かったぐらいか」
へったくそな笑いが零れて、机に落ちてた深い緑の視線は俺達を見る。
あれ、ちょっと待て。こいつ、インパが視えるのか?
けれど俺が疑問を持ったところで変わりなく話は進んでいく。まるで誰もそのことを気にしていないかのようなふるまいだ。取り敢えず疑問は端に置いておくことにした。
「話の流れでわかるだろう? 私は、陛下を、斬ったのだ。そして貴殿を」
瞳はシークを注視する。勇気の女神の色をしたそれはひどく歪んでいた。
「色が零れ出していた瞳に光が戻った瞬間、これで私は死んでも、処刑されてもいいと思った。あの方をお救いできたのだから。魔力を持たない騎士がいたのは、こういう時に権力を持ち自由に動ける駒が必要だったからだと思えた」
なるほど。トップ全員が魔力を持っている状態ってのは、つまりそういった一つの出来事で瓦解しかねないわけだ。それこそ何らかの魔法で大規模な魔脈の乱れを自由自在に起こせたら、その国を生かすも殺すもそれ次第になる。
「しかし結果はこれだ。私の抜剣は問題視されず、どころか地位を確立させ、時間を経た今、陛下が直々に訪ねてくださった。ただ、陛下は私が団長でなければここまで遺族の矢面に立たされることはなかっただろうと……それだけの話だ」
それだけというにはあんまりな話だ。だけど俺以上に、その話に納得がいっていない奴がここにいる。ゼルダっていう薄い膜でようやく自我を保っているような、辛うじて人間だと言えなくもない存在。
「────何故、ボクがそれを知らないんだ」
色を付けるとしたら、赤だと思った。シークの瞳の色じゃなくて、ディンの色みたいな、力を持った声だった。
すると問われた相手は首を振って否定する。
「知っている筈だ。ただし魔力のオーバーフローにより記憶を喪失している。いや、失い続けている、と言った方が正確か。記憶の定着がされないのだから」
「おい、まさか」
「そうだ」
嫌な予感っていうのは当たるもんだ。
「陛下も、王の影殿も、あの日からずっとこの日の話を覚えていられない。ただ陛下は時折、何故か思い出して私のところへ来るのだ。────正直、気が狂いそうだよ」
ため息と共に組んだ両手に額を預けたそいつからは、乾いた笑いが零れる。
「キミは何回もこの話をボクにしているっていうのか?」
「私だけじゃない。陛下の乳母君も何回も話をしている筈だ。……もっとも、貴殿が記憶を失い続けている、というのは初めて話したがね」
肩を竦める姿がどうしようもなく、らしくなかった。
するとどうせ今まであいつの足元に居ただろう俺の影が、ずるりと机と床の間から這い出て机の前面に腰を預ける。
「懺悔してるとこ悪ィけどよ、いるぜ」
「……いる?」
その疑問は誰が呟いたのか。でもそんなことはどうだってよかった。
「そいつの影の中に、俺と似たような気配がある。まだ自意識みたいなもんはねぇみたいだけど、餌として"この話題"を喰ってる」
「────それは、まさか」
「殺せなかったってことだな。ザンネンなこった」
楽しそうに影は笑う。
「アンタ勘違いしてるみたいだからついでに言っておくけどよ、大体のやつは魔力をもう気がつかない程度のレベルだろうと基本持ってるんだぜ。魔力を持つ奴の影が意識を持つわけじゃない。えれぇ量の魔力を持ってる奴の影が、意識を持つ可能性があるってだけだ」
「……何?」
あれ、じゃあ、もしかして、シークは本当は本当に神様の声って言うのが聴こえる筈なのか。こいつの説明が正しいかどうかなんてのはわかりゃしないけど、シークが口を挟まないところを見る限り、間違っていると言い切れるものじゃないらしい。
「ああいう奴らの声ってのは魔力を媒介にしてる。だから聴こえるんだ。だけど稀に聴こえないやつもいる。伝えるものを持ってないからだ。アンタ、生まれてこの方一回もカミサマの声なんざ聴いたことないだろ?」
けたけたとやたら影は上機嫌だ。
「神の声は、そうそう聴こえるものではないと……」
口ごもる辺りでもう自覚を自白しているもんだ。
「ほー。あの内乱を経て生き残った王国イチの騎士サマにも声かけねぇなんてカミサマもひっでぇなぁ。……わかってんだろ?」
ワントーン、落ちる。俺と全く同じ顔のつくりをしているクセに、俺と全く違う顔の使い方をするそいつは、嗚呼本当に魔物なんだとこういう時、場違いに思い知る。
「ん、その理屈で言えばシークはどうなんだ?」
さっき「神様の声なんて聴いたことないだろ?」って言ったら、否定はされなかった。神様の声が聴こえない側近だなんてもんは、こいつのコンプレックスになりそうなもんなのにそういう雰囲気もなかった。
「ソイツは聴く気がねぇんだろ。姫さんの声以外届かねぇよ」
なるほど。逆にそれでアイデンティティを確立してると。うっわ、ぞっとしねぇな。
「だけどまぁ、そういうヤツはオレたちにとっちゃ居心地がいいし、同時に天敵でもある」
「どういう意味だ」
団長殿の硬い声が影に問う。
「なんせ空っぽだからな、魔力がないから影に入り込んでも他のやつと競合しない。だけど定住もできない。魔力がないし、何より本体と遠く離れるなんて芸当、普通は出来やしないから殆ど意味がねぇ」
言外に、オレはすげぇんだぜ、ってことを言ってやがって本当にこいつは俺の影なのかってぼんやり思った。何でこいつこんなに自信に満ち溢れてんだよ。俺のポジティブ要素全部かっさらわれてるんじゃねぇの。いやそんなことはない筈だ。たぶん。
「そして天敵だっていうのはな、魔力が完全にないやつはオレらを殺せるんだ。霧散じゃなく生物みたいにな」
何が楽しいのか嬉々として自分の殺し方を喋っていく。
「影と本体の中に剣をねじ込んだ瞬間、他のやつならそいつ込みで魔力路を一瞬繋げば生き長らえられる。だけどアンタみたいな魔力路すらないヤツは繋げねんだ。だから魔力の供給が強制的に絶たれて死ぬ」
剣を手刀で模して、もう片手に向かって軽く振り下ろす。斬られた方はころりと掌を上にした。
「アンタは本能でそれを知ってる。だからこそ研究野郎どもの影は斬れたんだ。だけど姫さんとかそこのヤツの影は消滅し切れなかったんだろうな。ま、イレギュラー存在だからしかたねぇ」
イレギュラー。その単語がやけに強調された気がする。双子だってぐらいで、別に、それ以外は普通に魔力を持つ奴と変わりないんじゃないか? あ、すげー量の魔力があるからとか?
「……イレギュラーとは、随分な言い方だな」
随分と長く口を閉じていたシークがため息を吐いて言う。
「あ?誰がどう見たってイレギュラーだろ」
「だから、何がだ。イレギュラーっていうのはつまり予測がつかない存在になりうる。そういうものを排除するのがボクの仕事だ」
「えれぇこった」
笑いながら手を叩いたあいつの足元、赤い絨毯に針が投げられる。「あぁ!」と部屋の主があげた悲鳴はこの際どうでもいい。
逃げるそぶりもせずに影はにやにや笑う。
「なぁ、アンタは誰だ」
「王家……いや、ゼルダの影だ」
「じゃあ、姫さんの影ってのは、」
「影殿!」
そこで執務机に座っていた奴が急に立ち上がって、机に背を向けて体重をかけている影に手を伸ばす。まるで制止を求めるみたいに。まるで口を封じたいみたいに。
「何……んにゃ"誰"、だろうな?」
魔物の赫い瞳は昼光の中でも不気味に光る。
背筋が、強張ったのが分かった。じわりと動き始める左手を右手で抑えて、信じられないモノがこの部屋に二つ存在している事実に奥歯を噛みしめる。
「まさ、か」
金色の髪の毛から覗く赤い瞳が疑問を持って執務机へ向けられる。それを受け止められなかったのか、瞬間、深緑の視線は机に落とされた。それはもう、答えみたいなもんだ。
「────」
絶望の音って言うのが、聴こえたような、気がした。
それから、暫くして。
死にそうなシークなんて全く関係がないとでも言うように影がまたわらった。
「まぁ、影は影でも影を住まわせてる影だからな。その影を殺せばまたアンタだけが姫さんの影でいられるぜ」
ずるりと空気が動く。
「ただし、この場でそれが出来るなんてのは俺が教えても一人っきゃいないわけだけだがな」
自然、視線が集まる。
「……私か」
嘆息に似た息を漏らしたそいつは顔を上げた。
「いいのか?」
問いながら、でも、躊躇なく傍らに置いていた剣を取った。斬るために。それは自分がゼルダの半身であるシークに再度剣を振るうことを厭わないという、言外の宣言だ。
「勿論だとも」
シークは肯き、その返答をわかっていた素振りで騎士は執務机から出て、二人は相対する。鞘から抜かれた剣は試合用じゃないことを反射した光で知らせる。
「信用するぞ、影殿」
「おう、してくれていいぜ。何せソイツに何かあって姫さんが悲しめばオレがコイツに消されっちまうからなぁ」
何がおかしいのか俺の影は平素よりテンション高く笑う。なんだこいつ。だけどそんな疑問は、剣が迷いなく振り降ろされたことでどっかいっちまった。
後日。
部下につけていた鍛錬から戻り執務室の扉の前で立ち止まる。
「……」
鍵を取り出そうとした手をおろし案の定開いた扉を抜けると、どうしてだか牙殿と、影殿と、王の影殿が三人集まっていた。それこそイレギュラーが集まっているにも程がある。
牙殿は相変わらず寝ている気配はないが応接用の椅子に座って目を閉じているし、影殿は書棚に収まっている本を適当に読んでいるし、王の影殿に至ってはただ壁に背中を預けているだけで何をしているわけでもない。
「……一体いつから私の執務室はたまり場になったんだ」
ため息をつきながらデスクに向かい、手にしていた書類を机に置いた。
それにしても影殿が二人いて本当に面倒だ。こういう時は名前を覚えられない自分が恨めしくなる。
「仕方ないだろう、ゼルダはボクが手を出そうとすると怒るようになったんだ」
「……それで私の部屋に来る理由にはならないだろう」
「えー、だってこいつ友達もお気に入りの場所もない奴だからここしか来るところないんだろ?」
「君に言われたくないな、時の勇者」
「オマエら何でそんなくだんねーことで喧嘩できるんだよ」
げらげらげらげらと、この間からやたらと高揚し切った声が今日も私の執務室に響き渡った。平和だ。平和なら、まぁ、いいか。
そう自分に言い聞かせて、執務室の窓からうつくしい空を見た。
そうして一人、影は笑う。
嗚呼、嗚呼嗚呼。
魔物に騎士の友人だなんてオカシイったりゃありゃしねぇ。
魔力がない、神の声が聴こえないという加護を貰った哀れな騎士サマ。
そんなんだから魔物を友人に選んじまう。とんだ神の誤算だ。
────ま、悪くもねぇけどよ。
風果て緑
古木が立ち並ぶ奥まった入口へ足を向けると、ぴゅうと強い風が背中から吹き付けた。どうやら風の通り道らしい。精霊たちの機嫌を損ねないようにと端に寄って足を動かしていく。
そうして一つのところに行きついた。風が吹き込む場所。崖にぽかりと空いた大きな穴。持っていた地図を懐に仕舞い、私は洞穴を見上げた。普通程度の大人が通るのにギリギリのそれは、やはり私のような人間を拒んでいるようにも感じられた。しかし与えられた使命も絶対である。
一歩踏み出し、止まる。
腰に帯けていた剣に視線をやり、調息してからそれを外した。こんな場所に来るような盗賊もいるまい。
森は金物を嫌うゆえ普段の鎧は元々外していたが、さすがに平原を丸腰で渡るわけにはいかないと帯剣したのだ。しかしこの森にそのようなものを持ってはいるのは憚られた。王からは何も言われはしていないが無礼に当たると思われる。素手で戦うことが特別不得意と言うわけではないから、どうとでもなるだろう。
両手の中にある重みをそびえたつ崖の根元、くさはらに預け、祈り、立ち上がった。
さぁ、行くとしよう。森の人が住む場所へ。
洞穴へ踏み出した瞬間、自分の身体が何かに包まれたような気がした。気のせいかもしれないが、もしかしたらこれが神の神器による加護というものなのかもしれない。
そう、私は、今は伝説となった彼が預かった精霊石を各部族の元へ還す使命を仰せつかったのだ。
初めて足を踏み入れた森の人の領域は、僅かにだが、呼吸が重くなったような気がした。外界とは完全に一線を画している森の領域。彼ら森の人は生涯幼い姿で過ごし、森へ還ると聴いた。だから、やはり、"彼"は異端だったのだろう。
ぎぃ、ぎぃ、と一歩足を出すたびに軋む縄とロープは手入れがされていないのか、あるいは私のような大人の人間を想定していないのか、不安を煽る。出来れば技師を派遣したいところだが、大人数は送り込めまい。どうするのが最善だろうか。
それにしても昼間だと言うのに、森が天を覆うここは光が届かずに薄暗い。もしかしたら集落の中もこんな状態なのかもしれない。そう考えると、じわり、胸下に重石が現れたような気持ちになった。
橋と洞穴を抜けた先、里が現れる。うすく立ち込める霧は遠く見通すことを許さない。空を見上げれば、靄がかった空の向こうにぼんやりと明るい一点が見える。あれが太陽か。
視線を戻し、雑多に生えた草花を極力踏まないようにして伝えられている通りの道を歩いて行く。入って真っ直ぐのところにデクの樹様と呼ばれる森の主殿がいる筈だ。
「ねぇ、アナタ、だぁれ?」
声の方向に顔を向けると、金色の髪を下でふたつに結わえた少女がいる。先程から様々な場所から視線を感じてはいたが、物おじしない少女だなと心がゆるむ。あぁ、そうか、私は緊張していたのだ。
「私はハイラル城から参じた騎士です」
膝をついて少女と視線を合わせる。
「ハイラルジョウ? ……ボクジョウより向こうにある大きなやつ?」
「そうです。私はそこから大事なものを還す為に、こちらの森の主様にお会いしに来ました」
「フフフ、ヘンな言葉」
そう笑った少女は一瞬だけ里の奥を指で示し、たっとどこかへ駆けていってしまった。
「あちらか」
立ち上がり膝の土を払って、また歩き出す。水辺の飛び地を経由し越えて、奥まった細い道の前、淡く黄色に光る妖精を連れた少年が立っていた。
「アンタ誰だよ」
警戒心たっぷりの、さきほどの彼女とは正反対の表情。それに対しておなじように膝をつき名乗りを上げれば、片眉をあげて上から下まで、前から後ろまで見られる。
「あっ」
と後ろに回ったところで、少年が声を上げた。
「ニイちゃんとおんなじやつだ!」
外套を掴まれ、引っ張られる。彼が言っているのはおそらく赤い鳥が聖三角を抱いた紋章のことだろう。
「アンタ、ニイちゃん知ってるか!?」
ニイちゃん……森の人は全員齢が変わらぬ姿をし、且つここは人が立ち入らぬ秘境である。つまりそこで彼らより成長していると目される人物は一人。時の勇者だ。
「緑の服を着て、金の髪を持った青年のことでしょうか」
「そう! たぶんソイツ!」
「えぇ、もちろん知っています。彼は勇敢でしたよ。とてもね」
そう、とても、勇敢だった。自分の言葉はぽとりと自らの心に染みをつくる。女神と我が王に愛されてしまったが為にこの世から消された存在。
「そっか。元気でやってんのかな」
明るく笑った少年はもう行く手を遮るつもりはないようで細い道の奥へと進み手招きする。
「こっちにデクの樹様のこどもが……うわぁっ!」
地面から勢い良く這い出た食人植物の土を片手で払いながら、もう片手で少年の首元を引き背中へ。
それは久々の獲物を見つけたのか、ぐるぐると回って駆け引きも何もあったもんじゃない頻度で頭部を突進させてくる。喜色満面とも取れるような、飢えているような。さて、素手でのこの類の魔物の対処法は……。
「────!」
一歩踏み出し、頭部の振りかぶりを誘発して半歩下がり、太い茎が伸びきった瞬間に右手を思いきりその中へ刺しいれた。ぐちゅりと鳴る咥内の肉を引き千切り核とも呼べる種を引き抜けば、半狂乱となった魔物は数瞬にして萎びた植物へ還る。
ぶしゅう、と腕から滴った酸が足下の雑草を撓れさせた。城の者が守護してくれた服と手袋があったからこそ出来た芸当であることを物語っている。でなければ私の腕は一本持って行かれてしまっていただろう。
念のためにこれはここで踏みつぶさず、適当なところで燃やすことに決めた。それで完全に滅せたはずだ。しかし改めて見て、牙がないところは本当に植物なのだなと思う。
「なんか、ニイちゃんとは全然、違うんだな……」
振り返ったところにいた少年の、まるい瞳。剣があったとしてもその評価は免れなかったような気もするが、しかし何となく腑に落ちないのは、何故なのだろうか。
身なりを整え、小路を進んでいくと急に、土地的にも明るさ的にも広がりが見えた。ところどころ光の差すそこは、崩れ落ちかけている古木が世界を見渡すかのようにそびえている。
「キミを待っていたんデス」
と、古木の根元、一際明るいひだまりがさし込む場所にその方がいた。あかるい新芽とも言うべき樹肌は若々しく、きっと背後にある暗く落ちた色の古木が先代なのだろう。災厄の男が残した爪痕は今でもあるのだ。
「森の主殿」
静かに寄り、膝をついてこうべを垂れる。
「ハイラル王国騎士団"碧(あお)き盾"団長、現王の名代を仕り、こちらへ参りました」
どうして私がここへ来たのか、この方は存じていらっしゃるのだろう。生まれたばかりとはいえ、この森を統べていた方の子孫だ。人間である私では途方に暮れてしまうほどの記憶を積み重ねていらっしゃるはずだなのだから。この、大地に。
「顔をあげてクダサイ」
許しを得ておもてを上げると、森の主殿は陽だまりの中で、やわらかく笑んでいた。
「時が、経ちましたネ」
「はい」
「それでも歩みをとめなかったキミたちを、ボクは見守りマス。この身がまた、朽ち果てるその時まで」
「ありがとう、ございます」
また、幾年月幾星霜、この大地の守り人となって頂けるとは、何たる、ことだろう。ハイラル王家が──たとえ直接には関係なくとも──王家の使者を名乗ったあの男が、先代の森の主殿に危害を加え朽ち果てさせたのは厳然たる事実だ。
だというのに。許すというのだ。このお方は。
「……大変、長らくお借りいたしました。森の奇跡たる神器を、ここに────」
背負っていた袋から包みを取り出し箱を取って開けると、瞬きの間もなく、精霊石は有るべき場所を得たりといったような風情で中空に躍り出てきらきらと光を帯び始める。
その緑は森をうつし、この世界に法と安寧を創り出した女神のやさしさを静かに湛えていた。
「あなたは……?」
騎士に有るまじくその光に心を奪われていると、透き通る少女の声がした。振り向くと森緑の髪をたずさえた少女が、小路を通ってこちらに向かってきている。少年はどうやら入口に戻ったようだ。
「ボクが呼びました。きっと、会っておいた方がイイと思ったんデス。手紙の代筆も彼女がしてくれマシタ」
「アタシ、サリアって言います」
森の主殿の横に立った少女。森の色をした髪と瞳はこの聖域の体現とも言える姿であり、僅かにだが人ならざる者の気配のようなものを感じた。……いや、気のせいだろう。私にはそういったモノは備わっていないのだから。
彼女の丁寧な挨拶にはこちらも最上の挨拶で以て応え、お互い手を交わす。膝をついた私と目線が同じ辺りの高さだ。前にあった牧場での宴の時も思ったが、やはり森の人は小さく幼い。もしかしたら私よりもずっと長く生きているのかもしれないが。
「ふふっ」
するとやわからく、あどけなく、目の前の彼女は笑う。
「何だかオトナがここにいるの、ヘンな感じ。前にみんなが森を出たときはオトナばっかりだったケド」
そういえばそうだっただろうか。あの時はまだ本当に、黒雲が晴れたばかりで何も決まっておらず、子供などは安定した生活ではない中であまり生まれも育ちもしなかった。ゆえに、たしかに絶対数が少なかっただろう。
「────」
そう考えると、やはり、平らかな世がやってきたのだと思った。城下町は人の営みが再開され、子供の笑い声、人々のざわめき、それらの中に信仰が根付いている。その世界に、私はいるのだ。
しかしそれを為した"彼"は、今どこにいるのだろう。
「さぁ、行きなサイ」
思考の畔で、静かな声が耳に届く。
「君にはまだやらなければならないことがある筈デス」
「はい」
すべての始まりは森だった。そこからまた、城へ帰って、行かなければならない。表立てる名代として各部族を騒がさせぬ一人という状態で神器を届けられる人間などそうそういはしないのだから。それに私以外が行けばそれは愚弄ともなろう。
「サリア」
「はい」
私が立ち上がると、森の主殿は名を呼び少女が応える。それだけで通じたようで、どうぞ、と私を見送ってくれるらしい声掛けを頂く。ありがたく頂戴しようと並歩した。
小路の入口で少年に別れの挨拶をして、さくりさくりと静かに集落内を横切っていく。来るときに感じた好奇の視線は多少収まっていた。
「ごめんなさい。みんな、アナタが珍しくって」
「いえ、気にしてはいません。そうだろうなと思いますので」
「よかった」
ふわり、花のように笑う。
ほどなくしてあの軋む橋まで来た。しかし、橋は一切軋まず、泰然としてそこにある。ほつれなど何処にあったのかというほどに綺麗なものだ。
「何でかはわからないケド、きっと、また縁がある気がします。お元気で」
「はい、ありがとうございます。貴女様も、どうかご自愛ください」
そう別れの言葉を交わし、私は森の人の里を後にした。
調息して腰に剣を帯け、一人、考える。
人の心を写し込む森があるという。
人の心を書き出す鏡があるという。
人の心を覗き見る甕(かめ)があるという。
であれば、あの橋は────。
たぶん、そういった類の物なのだ。
私たちに似てしかして異なる者がいる里。そういう理を女神から与えられた土地。騎士団はすべてを守る。それは、この森も例外ではない。だからこそ、私はもっと強くあらなければならないと思う。騎士団は強固でならなければならない。
無邪気な声と、花のような笑顔を脳裏に思い浮かべる。永遠の少年と少女。
彼らがまた悲しみの淵に立つことがないよう、私は己の在り方をしっかと改め心に刻んだ。