────死にたくない。
────しにたくない。
────死んでなんてたまるものか。
────どうして 私が 死ななければならないの。
『それ』は、おそらく、人間だった。
『それ』は、きっと、地上の存在だった。
けれど今は違う。まるで違う。
ソウルの在り方が。
ソウルに対する姿勢が。
ソウルの成り立ちが。
そのすべてが、彼女が『そうではない』ことを強く知らしめていた。
"決意"めいたものを胸に、彼女は。
それは みずに おちて
地下世界の渡し守は今日も小さく、擦り切れてしまうほどに口遊んだそれを歌う。ゆっくりゆっくり、川を割くオールに紛れて、歌い続ける。そうして、そこで、川を流れてくるモノに気が付いた。
Waterfallの上流から流れてきたのだろう。あそこはいつも地上から落とされたものが落ちつき、物によってはこんな風に支流へ流れぷかぷかと水面に浮いていることもままある。
文字が書かれた紙や、水にぬれた食べ物、衣類、機械のようなものまでそれは多岐に渡り、今回もそういうものだろうということを想像した。しかしありふれているとはいえ、いささか大きいので渡しの邪魔になると彼──あるいは彼女──は考えたのだろう。その塊に船を近付けて行った。
手を差し伸べた『それ』は酷く冷たく、川の水よりも冷たく、重く、どしゃりと船の上へと引き上げられた。
そうしてRiverPersonは気が付いたのだ。
それが、人間であることに。
人間の、死体であることに。
「────」
歌が聴こえる。水音に混ざって、微かに。でも確かに。
「トゥララ……トゥララ……あれ、起きた?」
暗い暗い、音が反響する暗闇の中で、そう問われた。おそらく、自分に向かってのことだろうと『それ』は理解する。理解し、声を出そうとした。けれど出せない。自分の手を動かし、喉があるであろう場所を探り、どうもその感覚が遠い。暗闇とどこか寒いこの場所で、感覚が馬鹿になってしまっているのだろうか。
「────ぁ」
相手が黙っていることをいいことに、暫く格闘をしていると、音が出る。出せた。であるのならば、もう少しだ。空気が通る感覚。それを掴んで、引き寄せて。
「起きて、ま す」
暗闇であるゆえにか、平衡感覚がおかしい。ゆらゆら揺れているような気さえする。いや、揺れているのか。揺れているのかもしれない。指を、腕を、意識して硬い床について体を起こす。起こせたような気がする。
「あ の、ここ、は」
「トゥラ……ここ? ここは、そうだね。キミたちの言葉で言えば、遥か地の底だよ、トゥララ……」
歌うように、撫でるように、相手は言う。
「ちのそこ……」
それを頭に入れて、理解語彙であることを認識して、それが何を指し示しているのか何度か反芻して、さぁっと、背筋がぞっとした。
「すてられたんだ」
いやにハッキリと出た言葉は壁に反響して、ふわんふわんと頭の中に響く。
「やまの ゴミばこに、すてられて……あれ、じゃあ、あなたは」
そこで『それ』は相手を見る。薄闇に紛れて、青い何かがひらひら揺れているのが見えるようになってきた。どうやら壁にハマっている鉱石などが光源となるエリアに入ったらしい。
「モンスター、なの」
わたしを殺すの、と問うた声はあまりにも冷えていて、絶望に満ち満ちていた。歌う声はゆっくりと止まり、ずっと続いていた水音もやがてそれに倣う。
「────キミは、もう、しんでいるんだよ」
その言葉が、その絶望の音が、彼女のこれからの魔生を支えるとは、誰も知らなかった。
少女は人間だった。
人間だったが、何らかの理由によって山に捨てられた。
生きたまま山に落とされたのか、生命機能が停止してから捨てられたのか、その辺りの前後関係ははっきりとはしない。現状確かめようもない。けれどそんなことはどうでもいいことだった。
少女は今、ここにいて、人間ではなくなったのだから。
人間のソウルは強い力を持つ。それは多くの────魔物と呼ばれる種族にとって当たり前の知識であった。人間のソウルは時に強い光となり、決意を抱き、その輪郭を世界に知らしめる。繋ぎ止める。
そうした少女の強い想いは地下世界の大気に溶ける魔物の塵と混ざり合い、融合し、一度生体機能が落ちた体に入り込み再度の起床を遂げる。
純粋な人間でもなく、純粋な魔物でもない中途半端な存在は、そうして生まれてしまったのだ。どうしようもない事故によって。
「────死んだって、なに、それ」
震える声が狭い川のなかで静かに響く。
「文字通りの、意味さ……トゥララ」
その言葉に少女が抗議しようとしたところで暗く冷たい洞窟を抜け、光が一面に広がる。白銀の世界。雪だ。
「ゆ、き……?」
雪。雪森。川に浮かぶ氷の塊たち。
水に指先をひたすと、わずかにちりちりと痛んだ。
「なん、で」
冷感を、感じてはいる。けれどそれは今までの経験から知る零度以下のようなものではない。濡れた服で、濡れた体で、こんな雪の降るような場所で平気な顔をしていられる筈がない。意識して、呼吸をしてみる。けれど口から白い息はこぼれない。あり得ない。こんなことは、あり得ない。
「トゥラ、お客さんだ……Undyne……うん、すこしローブに隠れておいた方がいいかもね」
ばさりとひとりでにはためいたローブの中は暗闇で、ともすれば吸い込まれてしまいそうなほど。それでも、有無を言わせないような、それでいて優しいような声音に誘われ少女はそのローブの中へ位置を移す。風が遮られ、乾いたズボンのような布の感触にほっと一息。
ゆらゆらと動いていた船はゆっくりと止まる。
「やぁ、Undyne……乗っていくかい?」
「もちろん頼むぜ。Waterfallまでな」
力強い声に対して、相変わらずのか細い声で承諾の言葉。それと共に船がギィと軋み重みが加わり、船はまた進んでいく。暗いなか、風の音が止み、トゥララと渡し人の歌声が響き始めた。
「トゥララ……到着。また使ってね」
「あぁ、お疲れさん」
がしゃりと金属のような音をさせながら船の軋みと共にすこし浮き上がる。そうして、船は川を割くように動き始めた。
「もう出てきていいよ」
静かな声に促され、少女はそっと外に出る。暗闇のなかにずっといたせいで、さっきよりずっと洞窟のなかが見渡せる。きらきら光る鉱石は不規則に明滅し川を照らしていた。
「今のはUndyne……人間を捕まえて首都に送る役目を持ってるんだ……」
人間、という言葉に少女の肩が反応する。
「キミは人間ではないけれど、ソウルの半分は今でも人間だ……もしかしたら、そう、もしかしたら、ここより深いところへ行ってしまうかも、しれないね……トゥララ」
ということは、つまり、彼は少女を助けたということだ。会って間もない人間を拾い上げ、匿い、話してくれる。それは、今の彼女にとってどんなことよりも清廉だった。紳士的だった。
「……その、ありがとう。あと、ごめん、なさい」
突然の感謝と謝罪。それの意味がわからず、RiverPersonは振り返り小首を傾げた。暗いローブから落ちる視線を見届けて、気まずそうに少女は目線を逸らす。
「ローブに隠してくれたことと、あと、最初に、私を殺すのって、疑ってしまったから……」
だから、ごめんなさい。
そう小さく声が落とされて、RiverPersonは久方ぶりに、本当に久方ぶりに、笑い声をこぼした。こんなに愉快な気持ちはいつぶりだろうか、と。
「素直だね、キミは……」
今までも、この何百年間、彼は生きたまま落ちてきた人間を見て、実際に乗せたこともあった。銃を突きつけられたこともあれば、丁寧にお辞儀をされたこともあった。
そのなかでも彼女はとびきり無防備だ。棒切れひとつもすらも持たず、ずぶ濡れたまま、何者かもわからない相手へだろうと自分の行為が間違っていたと認識したらそれを謝罪し、誠意であろうとする。そんな人間の言葉が、声が、ひどく心地よかった。
「そうだ、私はWeld。貴方の名前は?」
動かない声帯から声を出すことにすっかりと慣れてしまった少女は自らの名前を告げ、相手に訊ねる。
「ボク? ボクは……Rivermanかもしれないし、Riverwomanかもしれない。まぁ、RiverPersonって、呼んでくれていいよ」
「River、Person……すこし長いのね。RiverPerson、RiverPerson……」
覚えるように反芻するWeldの声がくすぐったくて、RiverPersonは僅かに身をよじる。
「さて、これからどうしようかなぁ」
人間の生を終え、半人半魔になった少女は呟く。それでもその声から先程のような絶望がこぼれるようなことはなくて、きっとどうにかして生き延びようとするだろうと頷き、RiverPersonは櫂を漕いで歌い始めた。そうして乗って来るすこし高めの、少女の声。RiverPersonがちらりと見ると、いたずらっぽく彼女は笑う。
そんな風に綺麗に重なりあう歌声が、いつしか地下世界に受け入れられ当たり前のモノになるのは、また先の話。