「付き合って下さい」
ある日、適度に曇った白い空の下、唐突に現れたソイツは開口一番そう言った。緑色のインクに、空のような瞳。見たことのない顔だ。異種族の顔なんぞ見分けがつくわけがないと思っちゃいたが、驚いたことについてるのが現状だ。
「あー、お嬢ちゃん、そりゃ何処に?って返せばいーノ?」
「違います。恋愛対象として、交際を」
路地裏の、丁度ビルの影を顔面に落としながら、その子はそう言う。
「オマエ、名前は?」
「……ウァス、だけど」
「ちょっと待ってネー」
手持ちの端末を操作して、相手の情報を検索してみる。あぁ、あったあった、公開対戦記録。目の前のギアと頭からつま先まで全く同じだから間違いない……って、5。ペーペーでまだ尻に貝殻でも引っ付いてそうな初心者のキワミもキワミ。
「イヤイヤ、冗談キツすぎ。こんな低ランクとか。せめて20になってからモノ言ってネ。つーかそもそもインクリングと」
「……わかった、20ね」
くるりと踵を返して、その子は日の当たる方へと歩いて行く。ほんの少しだけ振り向いて見えた青は、きらきらと光を反射して輝いた。
……20になったら付き合うって言ってるワケじゃないことは理解して、るよナ。うん。オレ悪くない。インクリングに恋されるなんて、ジョーダンキツいって。
カタコイ。
カタオモイ。
そうしてその次に広場に居るカノジョを見た時、そこそこイカしてて、思わず独り口笛を鳴らした。へぇ、イイじゃん。そうやって何日も視界に入るたびにぼんやり姿を追ってると、どうやらトモダチとやらも出来たようで、たまにゲームをやったりしてる。それでもソイツらと別れた後、真っ直ぐオレんところにくるのも、日常茶飯事なワケで。
「こんにちは」
「どーも」
だけどあの日以来、カノジョは挨拶だけで何も言いはしない。付き合ってくれも、商品の注文も、何にも。ただ雑談を二、三ふっかけて、それだけ。あぁ、そういや確かこの間フェスに参加してたからそのサザエを貢いでくれねーかなー、なんて。でもランク20にもなってないんか。そりゃダメだ。
「ダウニーさん、いつもここにいるね」
そんな雑談を投げながら、今はもう当たり前のように隣に膝を抱えて座ってくる。人一人分の距離。コンクリートで底冷えしねーのかな、なんてガラにもないことを考えちまったりもする。言わねーケド。
「んー? まぁオレを求めてるヤツらも多いからねー」
けらけら笑うと、ウァスの目線がこっちに向くのが分かった。きっと今日もあの青い瞳だ。まさにいまの空みたいな。だから見たくなかった。だから手をかざして、その視線を塞いだ。オレはズルい大人なもんでね。
「そんなワケで、オマエも稼いできてくれよナ」
「……わかった」
そっと手は外されて、立ち上がって尻を叩いたソイツはオレに振り返りもせずロビーへと走って行った。あーあ。火傷しそうに熱ィ。
また後日。アロワナモールに居た時、アラートが鳴った。低音と高音が合わさったそれは近いうちにこの場所の特定のエリアがナワバリバトルに解放されることを知らせてくる。
『今から一時間後より、こちらはナワバリバトルエリアとなります。バトルに参加されない方は屋内かエリア外へ退避してください。なお、バトル開始時刻十分前までに退場されない方は武力行使で以て退場していただきます、ご了承ください』
マジかよバトルエリアのチェックしてなかったわ、とうんざりしたけれど、丁度コーヒーを注文したところだったから諦めて試合観戦でもするかとテキトーな席に陣取った。
実はそこが良席だったようで、だらだらとしているとどこかしらで見たことのある顔がちらちらと試合をしているのを何回も見る。その調子で稼いでおにーさんに貢いでくれよー、何て心の中で応援。届きもしないことだろーけどナ。
「っと」
地響き。ダイナモだ。無印かテスラかわかんねーけど、あの重量は振り切った時と着地した瞬間に地面を轟かすからまず間違いない。離れた窓辺近くにいた観戦初心者のクラゲが飲み物零して慌ててやがる。だけど店員のイカは慣れたように直ぐ片付けに入って会釈して退場した。ま、バトルしないイカがいるのも然もありなん。
「あ」
近くなってくる地響きに目を凝らせば、そこにはオレンジのアノ子がいた。細い両腕でゴッツい金属の塊を振り回し、相手チームを物理的になぎ倒す。
店内にあるディスプレイを見上げると、ちらちらとカノジョの姿が映っていた。空色が映えるインクを撒き散らして中央に君臨するは、鉄壁。快楽主義の欠片も見えない。
それにしてもダイナモ使いかよ。何かわかばとか使ってそうな雰囲気なのに厳ついの使ってんのな。
結局試合はオレンジの勝ちで、カノジョがリスポーン地点に戻ることはなかった。あぁ、太陽を背にするその姿が目に痛いってんだ。
「こん……ばんは?」
試合もまばらになった夕方、朱け色を背にしてソノ子が来た。ひとつ空いた隣に腰を下ろして、立てた膝に頭を乗せてこっちを見る。それはあのゴツいブキを揮っていたときとは全く違うモノで、本当にコノ子だったのかと疑問がもたげる。
「今日、アロワナにいました?」
「さー、どうだかネ」
だけどそう問われて、あぁやっぱりナ、と頷きながら、思わずはぐらかした。別に言ったってどーってことないってのに。
「そうですか」
そのまま会話は途切れて、遠く電車の音と、カタカタとサザエが震える音が路地裏で反響するだけで、後はなんにもない。カァカァとカラスが鳴く時間になってようやく立ち上がったソノ子は、やっぱり振り返りもせず広場、エキの方へ向かって行った。だからなんだってんだ。
ナワバリバトルの告知がされていたタチウオパーキング。どうしてだか足が向いて、来てしまった。近いうちにアラートが鳴るだろう。一般観戦者に解放されたガラス張りの席。テキトウに買ってきたペットボトルを足元に置いて座り込む。
たぶん、彼女が来るだろうと思った。別に言われたワケでもなくて単なるカンだケド。
そんでもってここが一番、観客とバトルの距離が近い。偶にあるアンチョビは駄目だ。誰かが扇風機つかわねーとみれねーし一瞬だもん。あれ構造に欠陥ありすぎ。
さっきガチバトルエリアを見たらアロワナとショッツルが選択されてて、こっちよりあっちの方が見易かったかもしれないと思う。まぁいいか。行くの面倒だし。それにガチに行ってるのかどうかも知らねーし。いや、行ってるだろうけど。行ってない筈が、ない。
数十分窓の外を見続けて、収穫はない。飲み物はとうに尽きた。別にイイけどね。
場所によってはインクで窓が濡れて見えなくなることもあるけれど、おおむねここは塗られない場所だ。そういう場所を、もう知ってる。何度となく来た。あの影を追って。
「……」
くぁ、と日頃の睡眠不足が祟ってあくびが出る。もうここで軽く寝てしまおうかと考えた矢先、試合が始まって、走る音が聴こえた。足音。路地裏に居ても探してしまうそれが、今、外に。
銀色のギラリと輝く凶悪な銃身を構えて身を低く、戦場のド真ん中へ切り込んでいくそれは、確かに彼女だった。
別に特別な足音ってワケじゃないんだろう。特殊な歩き方ってワケじゃないんだろう。ヘンな靴を使ってるワケでもないんだろう。
けれど確かに自分は彼女と彼女以外の足音の聞き分けが出来てしまう。それは事実だ。どうしてか何てのはしらない。オレが知りたいぐらいだ。
そんで今日はシューターでもローラーでもなくチャージャーで、いつもより動きが硬いのが目に見えてわかった。慣れてないんだろうナァ。それでも試合を越えていく毎に新しい手を試して、弾かれて、果ては上手く行って、ホントまぁ楽しそう。本当に、楽しそうに、笑うヤツだ。
そうして、ランク20を境にウァスは完全に来なくなった。いや、今までも来る頻度が落ち続けてた。それは理解してる。
だけどランク20ってのは大きな分水嶺だ。20到達以降はランク昇級制度が少し変わるせいか、そこでブキを手放すヤツも、今まで以上にのめり込むヤツも、数えきれねーぐらい見てきた。そんでアイツは、後者だった。ブキのグリップを握り続けることを選んだ。いや、選んだなんて感覚はないだろうけど。
ロビーのディスプレイで、バトルエリアの観客席で、シティの広場で、アイツをどこかで見ない日はない。それでもあの視線はもうこっちに来ない。あの抜けるような青と、絡むことはない。
20になったらしてやる筈だったセツメイはどこかに宙ぶらりんのまま腐ってる。こんなことなら多少巻いて早めにしとくんだった。アレを知ってりゃ、バトルを極めるつもりが少しでもあるんならオレんところに来ざるを得ないワケで。
だから、あの青い瞳が、今でもオレを見ていたかもしれない。
いや、それはただ見てるだけで向いてないって言うんだ。だけどそれでもよかった。視界内に入ってるだけでも、どうにか出来れば後に続く話。
まぁしかしそんな想い虚しく、アノ子はもう物理的にオレを見ない。日の当たる場所で、トモダチと一緒に笑って、ロビーへ入って行く。本能的に快楽主義のイカがバトルに魅入られたらそうなるのはわかってたことだ。
ただ強く。
ただ楽しく。
ただ面白く。
ただただ、己の欲を満たすため。
自分の死に様すらその糧に。
「あぁ、だから、インクリングに恋されるなんてゴメンなんだヨ」
呟きはバキリと剥がしたフタの音に吸い込まれ、やがて。